2012-12-20

california snow story『close to the ocean』(2007年)



California Snow Storyはグラスゴー出身のインディーポップバンド。Camera Obscuraの初期メンバーであったDavid Skirvingが中心となり、2002年結成されました。私はご本家より断然こちらのバンドのほうが好きなのですが、如何せん寡作なのです。Camera Obscuraの突き抜けるような清々しさはこのバンドからはあまり感じられなくて、Davidの囁くようなヴォーカルは優しくて温かみのある親しみやすい声だけれど、どこかもったりとしていて陰鬱さも感じられるところが私は気に入っています。ベルセバのスチュアートほどセンチメンタルになることはないけれど、どこかノスタルジーな想いが込み上げるのは、やはりインディーポップの魅力としか言いようがない気がする。ああ、スコットランドって本当に素敵なバンドばかり!私は女性のウィスパーな歌声が大好きといつも書いているのですが、男性の声も囁き声、というかぼそぼそとした面倒臭そうな歌い方、呟き声が好きなようです。





『Close to the Ocean』は彼らの1stアルバムなのですが、実質的にはこのバンドはDavidとヴォーカルを担当しているSandraという女性のデュオのようで、二人のヴォーカルの掛け合いがメイン。Madoka Fukushimaという女性がキーボードで数曲参加しています。派手さはまるでないアルバムだけれど、こんな小品ばかり集めて傍らに置いて生きていけたら幸せだろうなあ。ちなみにどの季節に聴いてもしっくりくると思うのですが、私のイメージだと今の季節がぴったり合う。氷点下の日にストーブをがんがん炊いて、暖かい部屋で濃いミルクティーを飲みながら聴いたらきっと素敵。



Close to the Ocean
Close to the Ocean
posted with amazlet at 12.12.20
California Snow Story
Letterbox (2007-06-11)

2012-12-16

スペイン産ウィスパー・ヴォイス、NIZA『ニーサ』(2003年)

とっても久しぶりにウィスパー・ヴォイスのカテゴリを更新します。

NIZA(ニーサ)は1998年に結成された、スペインはマドリッド出身のRobertとSilviaによるインディーポップ・デュオ。スペインといわれるとどうしても情熱的なラテン風の音をまず連想してしまうのですが、この人たちはネオアコ。基本は透明感のある軽いギターポップだけれど、打ち込みやダンス・チューンもあって、上品なサウンドの中にもおもちゃ箱をひっくり返したようなキラメキが詰め込まれています。そんな可愛らしい音を支えるのはSilviaのヴォーカル。爽やかな優しいメロディーに彼女の舌足らずなウィスパー・ヴォイスがのっかると、なんだか60年代にタイムスリップしたみたいな、懐古的な気分になれるのです。ダンス・ミュージックからソフト・ロック、フレンチ・ポップ、ボサノヴァの要素まで感じられるのがミソかな。そして意外なのですが、ヴェルヴェッツのカヴァーもやってたりします。




彼らのアルバムは2003年に日本盤『NIZA』が発売されていて、どうやら来日したこともあるみたいです。私がこのアルバムに出会ったのは数年前。近くのツタヤをぶらぶらしていたところワールドミュージックの棚にこのCDを見つけて、なんとなく試聴してみたらガーリーな声がカヒミっぽくて(カヒミよりだいぶ甘いけれど)レトロチックな可愛らしいサウンドもトミーフェブラリーみたいで大好きな音だった。聴いた瞬間に恋に落ちる音楽ってそう多くはないけれど、根っこのところは結局同じなんだなあといつも感じます。やっぱり私はウィスパー・ヴォイスが好きです。





NIZA
NIZA
posted with amazlet at 12.12.16
ニーサ
Rambling Records (2003-12-03)

2012-12-11

アキ・カウリスマキ再び、カウリスマキ映画の音楽について『過去のない男』(2002年・フィンランド)

カウリスマキ映画における最大の魅力ともいえる音楽だが、その扱い方も実にユニークである。なんといっても面白いのはバンドの演奏が挟み込まれることだろう。初めてカウリスマキの世界に触れたとき(それは『過去のない男』であった)脇役のはずであるバンドの演奏シーンにあまりの時間を割いているので驚いた。カウリスマキの作品に出演するバンドは単にBGMとして扱われるのではなく、ときには主人公の心情に寄り添った歌詞をうたい、物語を象徴するようなスタイルで登場する。


カウリスマキはいつも確信犯的にバンドの演奏シーンを入れてくる。『10ミニッツ・オールダー』というオムニバス映画(ゴダールとかベルトリッチとかヴェンダースとか錚々たる監督が参加している)のなかでも、10分という制限時間があるにもかかわらずやはりバンドの演奏をもってきて、観ているこちらが時間を心配してしまったほどだ。



寡黙で無表情な人々が行き来するカウリスマキの映画において、音楽が重要な役割を担っているというのは理に適ったスタイルのように思えるのだが、一筋縄でいかないのがカウリスマキである。音楽が大好きな、そして古いものに愛着を抱くカウリスマキらしく、タンゴ(フィンランド人はタンゴの発祥はアルゼンチンではなくフィンランドだと思いたがっているらしい)、ブルース、ロック、ジャズ、クラシックからムード歌謡にいたるまであらゆるジャンルの音楽を混在させる。カウリスマキが映画に使用したことでフィンランド国内で再評価の高まった歌手も中にはいて、そもそもカウリスマキが監督としてのキャリアをスタートさせたのは、兄であるミカ・カウリスマキとの共作『サイマー現象』で、これはフィンランドの3組のロックバンドのドキュメンタリーであった。また、カルト的人気を博したレニングラード・カウボーイズというバカバカしくも素敵なバンドの誕生にもおおいに関与しているのだが、これがまた面白いエピソード満載なのでまたの機会に紹介することにして、今日はバンドの演奏シーンとともにカウリスマキの最高傑作と名高い『過去のない男』のことを少し。



『過去のない男』(2002年・フィンランド)は80年代から90年代とカルトの監督と認識されていたカウリスマキがカルトから脱し、正統派の力強い物語で世界各国からの支持を集めた本物の名作である。


とある駅で電車を降りた男が公園で寝入ってしまい、不幸なことに暴漢に襲われてしまう。親切な家族に助けられ、男は元気を取り戻すが過去の記憶を一切失ってしまっていた…。まあ早い話が一人の男の再生の物語である。住民やホームレスたちと親しくなって困難を切り抜け、貧乏ながらも前を向き、新たな生活をスタートさせた男だったが、どうしても救世軍(お役所)の力を借りざるを得なくなってしまう。しかしこの男、周囲に頼ってばかりではなかった。ガラクタの山から拾ってきたジュークボックスから聞こえるロックンロールに癒された男は、住民たちにロックの、音楽の素晴らしさを教えるのである。




この映画に登場するバンドはフィンランドで97年に結成されたマルコ・ハーヴィスト&ポウタハウカ(Marko Haavisto & Poutahaukat)。救世軍に所属するバンドという形で出演している。救世軍のバンドだから、お決まりの曲をそつなく演奏することしか知らない彼ら。そこで男はロックをやってみたらどうだ?と提案、バンドのマネージャーにまでなってしまう。男が企画した救世軍の屋外コンサートのシーンで演奏される曲は「悪魔に追われて」。




もうひとつ、本作を代表する音楽は『思い出のモンレポ公園』という哀愁漂うブルース。どこかとぼけた感じのムード歌謡である。マルコ・ハーヴィスト&ポウタハウカの演奏をバックに歌うシワシワの顔のおばさんはフィンランドの国民的歌手であるアンニッキ・タハティ。彼女も救世軍で働く女性の役で出演している。見ればみるほど迫力のある顔のおばさんだが、1955年に録音されたこの曲はフィンランド初のゴールド・ディスクに輝いたそうである。これは1940年の冬戦争でロシアに割譲されたカレリアのことを歌っていて、この冬戦争というのはフィンランドの歴史において今なお語りつがれる概念を生み出したものとされている。冬戦争の精神の合言葉は「仲間は置き去りにしない」。カウリスマキの映画にもその精神は流れている!




そして日本人なら思わずにやりとしてしまうのは、クレイジーケンバンドの『ハワイの夜』が流れる列車で寿司を食べるシーンがあること。さらに小野瀬雅生のインスト『Motto Wasabi』(もっとワサビ)!これはワサビが大好きなカウリスマキから直々に「Motto Wasabi」というタイトルの曲を作って欲しいと頼まれ実現したそうだ。昭和の情調漂うCKBの曲はカウリスマキの世界になぜだかびしっとはまるのだから不思議である。そう、カウリスマキがスクリーンを通じて蘇らせたフィンランドのムード歌謡と昭和歌謡はどこか似ているのだ。現に私が車で音楽をかけていると母はいつも「また変な曲聴いてるね」と言って顔をしかめるのだけれど、このサントラだけは「珍しく良い曲聴いてるね」と言って何曲も聴き入っていたのだから。



「過去のない男」オリジナル・サウンドトラック
ビクターエンタテインメント (2003-02-21)

2012-12-09

アキ・カウリスマキ

「人生の意味とは、自然と人類を大切にする自分のモラルを作り上げ、それを持ち続けること」

—アキ・カウリスマキ



フィンランドの巨匠(と、もう呼んでしまってもいいよね?)アキ・カウリスマキ!

カウリスマキの映画が三度の飯より好きだ!という日本人はいると思う。カウリスマキの映画を観ていると、フィンランド人と日本人の気質が似ていると言われる理由がなんとなくだけれどわかるような気がしてくる。カウリスマキの世界といえば、極限まで削られた少ない台詞と無表情な登場人物、印象的な音楽(ときに音楽に語らせる!)、どこか暗い雰囲気を持った背景から生まれるぶっきらぼうなユーモア、といった特徴が挙げられる。これらの要素はどの作品においても基本的にブレることがないように思う。

なにも映画がそうだからといって、フィンランド人、はたまた彼らに似ていると言われる日本人が無口で暗いというわけではないのだろうが、たいていのことは口に出さなくても伝わるもの、といった雰囲気が前提に漂うカウリスマキの作品は日本人の心にぐっと突き刺さるものがあるのだ。


カウリスマキは日本の名匠、小津安二郎に多大な影響を受けたという。下の動画は小津の写真を前にカウリスマキがあれこれ語るという趣旨のものだが、カウリスマキを知らないという人も、小津の映画を観たことがないという人も、4分足らずのこの動画でアキ・カウリスマキがどんな監督なのか漠然とわかってもらえるのではないだろうか。カウリスマキという人は話を聞いているだけでも非常に面白い人です。



ところで、カウリスマキの映画は不幸な人間ばかりが主人公なのに、どこか可笑しくて思わずにやりとしてしまうのはなぜか。この可笑しさはいったいどこからくるのだろう?カウリスマキがおかしいのか?フィンランド人というのは滑稽な人間ばかりなのか?

カウリスマキの映画に出てくる、寡黙な人々というのはフィンランドという国の風土を強く反映しているに違いない。私は寒い地方の人間だから、寒い国の人々は口数が少なく感情を心の奥に閉ざすということを日常的に知っている。そこから生まれる可笑しさについても。そんなものだから、カウリスマキの映画で描かれる舞台はどうみても北欧の風景にしか見えないし、フィンランドにも行ったことはないけれど、私はほかのどんな外国映画よりもカウリスマキの世界の親しみを感じ、異常な愛着を持っている。



「人生の意味とは、自然と人類を大切にする自分のモラルを作り上げ、それを持ち続けること」

これは「人生の意味とは何ですか?」という小学3年生の質問に対するカウリスマキの回答だ。スナフキンというか、ソローの名言集にでもそっくりそのまま出てきそうな言葉である。そういえば若い頃のカウリスマキはどことなく顔もスナフキンに似ている。

カウリスマキは学生の頃、編集者として大学誌の手伝いをしながら映画評論も発表していた。シネフィル時代のカウリスマキが書いたものはあまり知られてはいない。評論は恥ずかしくなって辞めてしまったそうだが、82年に発表された「脚本家の死」という文章からは、映画、そして人生に対するカウリスマキの信条がみてとれる。カウリスマキが好きな人なら、なにか込み上げるものがあるだろう。





「この国をどれだけ愛しているだろう。幾千とある湖、そして暗闇の冬の日々。ここで平穏に暮らせないとしても何の問題があるだろう。春、道を歩いてみよう。ほつれかけた袖でぶらぶら歩いていると、人々が七面鳥のような表情で好奇心をむきだしに視線を注ぐ。または、眠ろうとすると誰かがベッドの下から覗いて、居心地はいいかと尋ねてくる。ここで死さえ平穏に迎えられないとしても誰が問題にするだろう。

 こうした条件すべての上に立つ私たちをひとつにするものとは、いったい何か。私たちは空を飛ぼうとするニワトリのようにかなわない欲求を抱えている。私たちには、共通の言語と文化、そして死も覚悟できているほどの、あえていうならば魂の共生といったものが備わっている。

 私たちの中には、時代の黎明からの純粋さや原罪に先立つ無垢のようなものがあるのだ。」

 





アキ・カウリスマキ
アキ・カウリスマキ
posted with amazlet at 12.12.09
ペーター・フォン バーグ
愛育社