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2013-06-30

Roxy Music ロキシー・ミュージック


初期のロキシー・ミュージックが好き!もし私が何らかの音楽活動をしている人間だったなら、初期のロキシー・ミュージックは理想的な超憧れのバンドになっていただろうと思う。プログレともグラムともつかない、毛色の変わったへんてこなバンド。私が惹き付けられるのは、デビューアルバムから3rdまでの混沌としたサウンドと不気味なヴィジュアル。しかしそれらはすべて計算し尽くされたもの。アイディアとセンスさえあればやっていけるというスタンス、音楽的な知識や技術は二の次(これは2ndまで在籍していたイーノさんの影響があってのことのように思う)、ほとんどのメンバーが美術学校出身のアート野郎集団でもあった。

ぱっと見た限りではどうも老け顔で化粧も誰一人として似合っておらず、コミックバンドな出立ちにぎょっとするけれど(これもハゲなのにロン毛なのか?ロン毛なのにハゲなのか?美形で可愛らしいお顔をしていながら超ケバい化粧を施したイーノさんの強烈なヴィジュアルが一要因)、フェリーさんをはじめ長身で、よく見りゃみんなハンサムなのだ。



初めて聴いたのは「More Than This」だった。洋楽を聴き始めた10代の頃。当然のことながらリアルタイムではないし、しかもレンタルで借りた80年代洋楽のコンピレーションアルバムか何かに収録されていたものだった。他にはオリビア・ニュートンジョンが入っていたような気がするけれど、繰り返し聴いた記憶はほとんどなく、当時は大人っぽい曲で親しめなかったのだと思う。

にもかかわらず鮮明に覚えているのがロキシーというバンド名だった。イギリスの映画館の名前だと後々知るが、私の世代はロキシーといえば90年代後半に女子中高生のあいだで流行したアパレルブランドのROXYがあった。おそらく両者に関連性はないのでどうでもいい与太話だけれど、そのおかげでロキシー・ミュージックという名前だけはずっと覚えていた。

真剣に聴き始めたのはそれから数年後のこと。イーノさんの歌モノのソロを聴いて仰天し、さらには優しそうな可愛らしいお顔で大好きになり(超単純!だけど、密かにロック界一の美形だと思っている!冒頭からイーノさんイーノさんと気持ち悪いですが、普段からずっとイーノさんと呼んでいるのでそのままでいきます)、そのイーノさんがロキシー・ミュージックのメンバーだったことを知る。でも、ロキシーってあの「More Than This」の?とあまりのサウンドの違いに驚いたけれど、完全にミーハー心からイーノさんが参加した1st、2ndを買った。



洗練された「More Than This」を出したバンドとは思えぬ歪なサウンド。比較的ポップな曲はすんなり入っていけたのだけれど、特有のループ構成はどこか退屈で、ロキシーはずっと取っ付き難いバンドだった。そんな私がRoxy Musicを心底好きになったのは彼らの動いている姿を見てからだ。嗚呼、これほどYouTubeに感謝したことはない!このクールなのかダサイのかよくわからないエキセントリックなコスチュームと、奇妙なパフォーマンス、テキトーに見える演奏(もちろん個々の演奏能力はそれほど低いわけではないと思うのだけど、本気で全員ヘタクソだったのか?)、捉えどころのないアヴァンギャルドなサウンド、作り込まれたダサさ、ちょっとスカした感じ。

「Re-Make/Re-Model」(1972年)のソロパートの部分が好き!メンバー全員が強烈な個性!初期のロキシーは個々の自由度が高いバンドだったのだ。上の動画のパフォーマンスではおそらくサックスから唾が逆流しているであろうコスチュームがどう見てもゴーヤなマッケイさん(超クール!)、髭もじゃで最年少とは思えぬ風貌のマンザネラさんのノイジーなギター、なぜか弾まない異様に硬いトンプソンさんのドラム、ピーッビャーッビュルルルルービーッ!なんだかよくわからない発信音みたいなシンセサイザー担当の孔雀羽根の男イーノさん、当時を知らない私にしてみればダンディズム云々と言われても怪しい笑顔のおっさんでしかないフェリーさん。この時点ではまだロキシーは完全にフェリーさんのバンドという感じではないし、イーノさんのバンドでもない。見方によってはマッケイさんのバンドなのかもしれない。



それにしてもロキシーって本当にハンサムなメンバーばかり。フェリーさんはもちろんだけれど、サポートメンバーだったベースのケントンさんの女性的なルックスと控え目な佇まいも好き。というかケントンさんが一番お洒落じゃない?

しかしイーノさん経由でたどりついたのに、ロキシーとなると途端にマッケイさんを贔屓にしてしまう私はただただミーハーな人間なのでした...。



ロキシー・ミュージック(紙ジャケット仕様)
ロキシー・ミュージック
EMIミュージック・ジャパン (2007-09-26)



2013-06-09

追悼 レイ・マンザレク


今日はロックの日。普段はこういった語呂合わせのイベント事などはあまり意識したことがないのだけれど、ちょうどドアーズの記事を書こうとしていたものだから、このタイミングはなんだか不思議な気持ち。



*

去る5月20日にドアーズのオルガニスト、レイ・マンザレク(Raymond Daniel Manzarek - 1939年〜2013年)が胆管癌で亡くなった。ドアーズのキーボードと紹介されている記事をウェブでいくつか目にしたけれど、ドアーズのサウンドを決定付けていたのは紛れもなく彼の電子オルガンだったから、キーボードという書き方はあまりしっくりこないなあとぶつぶつ呟きながら、美しく狂気じみたその音色を思い出していました。

レイの訃報は21日の夜、たまたまつけたテレビのスターチャンネルかWOWOWの番組で流れたテロップで知った。ドアーズというバンド名を見たとき、一瞬ジムの顔が過って、だいぶ昔にもう死んでるけどなァ?と寝惚けたことを思い、やがてインテリジェンスな物腰のレイを想い浮かべて悲しいというよりは驚いた。

というのも前日の夜、なんとなく棚の奥からドアーズの紙ジャケを引っ張り出してきて、何をすることもなく眺めたばかりだったから。CDは聴かなかったけれど、ドアーズの楽曲のなかで私がもっとも好きな「Touch Me」が収録されている『Soft Parade』のジャケットが見えるよう棚の一番手前に置いたのだ。びっくりするような偶然だけれど、ドアーズだけにこんなストレンジな出来事も、なんでも起こりうるような気がして少し笑ってしまった。

それでもやはりレイの死は悲しい。一番好きなバンドは?と聞かれたら相当悩むけれど、私はドアーズを挙げるような気がしています。今はもう以前のように彼らを、特にジム・モリソンを神格化も崇拝もしていないけれど(ドアーズのファンには程度の違いはあれそういう時期が存在すると思う)、ドアーズの音楽を聴くと単純にもの凄く元気になれる。ジムの呪文のようなバリトンも、時にヒステリックなレイのオルガン、淀むように壮絶な「The End」でさえも、なぜだか不思議とパワーが漲ってくる。私にとってドアーズはずっとそんなバンドなのです。



60年代を体現したロックスター、ドアーズの象徴はジム・モリソンだ。けれど、サウンドの要は間違いなくレイだった。不安定なジムに振り回されながらも忍耐強く付き合い、ステージ上でジムをコントロールしていたのはレイだった。もしかしたらドアーズはレイのバンドだったと言い切ることだってできるかもしれない。ドアーズにはベースがいないから、レイがあとから低音を録音していたと聞いた。そして、「Light My Fire」の印象的な序奏!この曲で彼らを初めて知ったとき、ジムのヴォーカルは怖いような気がしたけれど、レイのオルガンの調べで私はドアーズが好きになったのだ!





2012-11-18

ルー・リード

誰もがみんな、かれに恋してた。誰もかれもがね。すっげえセクシーだった。みんな、ひどくオネツだった......かれ以上にセクシーな人間なんて、あの頃、ほかには見当たらなかった。ヴェルヴェット・アンダーグラウンド時代のかれっていうのは、ニューヨークにいたみんなの一番の性的憧れの的だった...




ルー・リードの唇が好き!などと書いてしまうと、どこかヘンタイめいた趣の内容になってしまいそうだけれど、ヴェルヴェッツ時代のルーはセクシーでチャーミングだったにもかかわらず、その素敵な容姿について語られることはまずない。まあ殊更に語る必要もないわけだが、私はルーの顔が好き。ガラガラヘビみたいな口元が特に好き。くっきりとした輪郭に口角がきゅっと上がっていて本当にセクシーなんだもの。“ひどくオネツ”っていう言葉も誇張されたものではないと思う。この、冒頭に引用した証言は音楽誌の編集者だったダニー・フィールズによるものだ。この人、ポールの嫁リンダの親友だったり、ドアーズのジムにニコを紹介したりイギーやラモーンズのマネージャーもやったりして、すごい経歴の持ち主である。

上の動画、ルーの唇マニアが思わず狂喜乱舞するであろう映像!(コーラの瓶になりたい...というコメントに共感する気持ちも分からなくはないけれど...)これはウォーホルによるスクリーンテストと呼ばれている作品で、1964年から66年のあいだにファクトリーに出入りしていた人物を肖像画のようにカメラに収めたもの。これがものすごい人数にも及ぶらしい。DVDも発売されたけれど今は廃盤になっていて入手し難くなっている。デニス・ホッパー、ボブ・ディラン、ニコ、イーディ、ギンズバーグといったお馴染みのメンバーや、ウォーホルの映画に出演していた連中の顔はYoutubeでも見ることができる。


スクリーンテストにも顔を出しているディランがファクトリーとウォーホルの取り巻き連中を嫌悪していたというのは有名な話だけれど、ルーもまたファクトリーから距離を置いている人間のひとりだった。ルーは表面的にはファクトリーにうまく溶け込んでいるように見せかけながら最後まで完全には染まることはなかったのだ。ウォーホルはあらゆる人物にファクトリーを解放していたが、そこに集まる連中のやることなすことをすべて黙認するというのが彼のやりかたであり、面白い人物がいればひそかに観察することを好んだ。ルーはそんな覗き趣味のウォーホルをさらに観察し、ファクトリーで起こった出来事をネタに物語を引き出していった。ルーはつねに傍観者であり続けた。

スピードを打ちまくって三日に一度しか眠らず、あらゆるドラッグから引き起こされる症状をソングライティングに反映するという実験を試みていたルー。誰もが彼にオネツだったけれど、一方では偉大な才能、小柄な悪魔とも畏れられる。





しかし、ニコ曰く「ルーはとても優しくて、素敵な人だった。ぜんぜん攻撃的じゃないの。初めてかれに会った時、愛しくて抱きしめちゃいそうだった」そうである。ニコは本当にルーのことが可愛くて仕方がなかったらしく、あまりの可愛さにしょっちゅうホットケーキを焼いてあげていたそうだ。初対面の相手を「愛しくて抱きしめちゃいそうだった」というのはニコにしかできない発言であろう。ニコ姉さんレベルのオンナになると言うことが違う!のだ......。

それでもニコの「とても優しくて」という言葉に偽りはないのだろうという気がする。私がルー・リードの音楽でまず思い浮かべるのは『pale blue eyes』や『perfect days』や『〜says』といった優しい曲だ。ヴェルヴェッツのアルバムも3rdと4thを聴くことが多い。俺様至上主義的な発言が目立つルーは大胆で攻撃的で、観客の前でヘロインをぶっ射すという伝説、歌詞の内容から退廃的、破滅的なイメージを持たれることが多いけれど、本当に無茶苦茶な人のではなく、ルーが明知の人だからだ。(いや、当時は無茶苦茶だったのかもしれないけれど)それに、己を知っている人間、自分自身を客観視できる人間というのはたいがい自分のこと以上に他人に対する優しさを持ち合わせているように私は思うから。だからこそヴェルヴェッツの、ルーの、攻撃的で暴力的なサウンドの裏側にはいつも優しさがつきまとうように感じられるのかもしれないな。



Velvet Underground
Velvet Underground
posted with amazlet at 12.11.17
Velvet Underground
Polydor / Umgd (1996-05-07)

2012-02-15

King Crimson『Islands』(1971年)


私が初めてクリムゾンを聴いたのは二十歳前後のときで、絲山秋子の小説『イッツ・オンリー・トーク』を読んだことがきっかけになったのだと思う。私は女性の書いたものは苦手で滅多に読まないのだが、絲山秋子のこの小説は本当に面白くて、読んだ次の日にはエイドリアン・ブリューという名前を検索してキング・クリムゾンというバンドについていくばくかの知識を得たのだった。もちろん、プログレって何?状態である。

小説のタイトルにもなっている「イッツ・オンリー・トーク」という曲が収録されたアルバムは『ディシプリン』であるのになぜか初めて買ったCDはあらかたの人と同じように『クリムゾン・キングの宮殿』である。ジャケットの顔がおそろしくて眺めていられず、寝るときはベッドのそばにすら置きたくないという恐怖を味わうことになってしまったのだが、聴いた時の衝撃というのがまさにあのジャケットと同じ顔をしていることに気付かされる。しかし不安だとか恐怖といったおぞましい内部の感情が剥き出しにされるような戦慄をおぼえながらも、私はクリムゾンの虜になってしまい次から次へとアルバムを聴いてしまったのである。1971年に発表された『アイランズ』はクリムゾンの4作目にあたるアルバムであるが、どうしてか一番最後に聴いたアルバムであった。そして私がもっとも好きなアルバムである。

好きと言った端から申し訳ないのだが、私はキング・クリムゾンというバンドの正体をほとんど知らない。唯一、顔と名前が一致するのがロバート・フリップという人で、ボウイのアルバムにも参加しているということを後に知ることになるのだが(私はボウイより先にクリムゾンを聴いていた)、メンバーチェンジを繰り返して、どの時期に誰が加入してバンドの形態がどのようなものであったのかというような背景はまったくわからない。国内盤の解説を読んでもさっぱりなのだからどうしようもない。けれど彼らの発表したどのアルバムを聴いても、そこにはキング・クリムゾンがキング・クリムゾンであることの軌跡がしっかりと音に刻印されており、おそらくこれはロバート・フリップという人の特質があらわれたまでにすぎないのだと思うのだが、小難しいプログレッシブ・ロックというジャンルにおいてピンク・フロイドとはまるで異なるバンドであることがど素人の私にもわかる。なぜだか私はクリムゾンのほうが圧倒的に好きなのだが、おそらく『宮殿』で聴いたサックスの音色が瞬時に私のなかでキング・クリムゾンというバンドの地位を決定付けたように思う。私はサックスの音色が大好きで、これは元吹奏楽部なのだから仕方が無いのだった。

前置きが長くなってしまったが、この『アイランズ』というアルバムはクリムゾン史上もっとも静謐で壮大な物語をうたった作品である。私はやはり文学をモチーフにした楽曲に惹かれる。この作品は、ホメロスの『オデュッセイア』とその『オデュッセイア』を下敷きにしたジョイスの『ユリシーズ』の世界がうたわれている。おそらく『オデュッセイア』を読んだ人間であれば、1曲目の「Formentera Lady」と2曲目の「Sailor's Tale」がホメロスの『オデュッセイア』の物語をいかに忠実に描きだしているかわかるだろう。もちろんなにも彼らは叙事詩を忠実に表現したわけではないのかもしれないが、弓弾きベースの音色にはじまる10分を越えるこの曲は、トロイア戦争に勝利したオデュッセウスが故郷のイタケを目指して船出する場面から、穏やかな波に揺られながらの航海を経て、セイレンという人魚の魅惑の歌声を切り抜けたシーンを見事にあらわしている。そして「Sailor's Tale」の一転した激しいビートにはオデュッセウスが荒波に揉まれる姿がおのずと浮かぶのである。

3曲目の「Letters」と4曲目の「Ladies Of The Road」はジョイスの『ユリシーズ』が舞台になっている。『ユリシーズ』は1904年6月16日(ジョイスが駆け落ちした?日とも言われている)のダブリンにおける一日を様々な文体を駆使して書かれた長編小説で、日本語訳を最後まで読むとなるとこれがとてつもない労力と時間を要する小説なのだが、作家を志すスティーブンという若者と、広告取りの仕事をしているブルームという中年男性が主人公である。朝の8時から午前2時まで、二人がダブリンの町を行ったり来たりして、そこで起こった出来事が描かれている。「Letters」で扱われる内容は、ブルームが妻に内緒で文通している女性から届いた手紙をモチーフにしていると思われる。朝届いた手紙のなかで、奥さんはどんな香水をつけているのかとたずねられ、ブルームは一日中その手紙について考えている。「Ladies Of The Road」はスティーブンが仲間とともにおとずれた娼館での幻覚のシーンが下敷きになっているのかもしれない。歌詞をみると、登場する女性たちがグルーピーに置き換えてあるようだ。




わたしがこのアルバムのなかでもっとも好きなのが「Prelude:Song Of The Gulls」(プレリュード:かもめの歌)である。これまでの物語をすべて洗い流すかのような美しい旋律はまさに癒しともいえる曲で、初めてクリムゾンを聴いたときの印象とはまるでかけ離れたものであるのだが、こういった繊細な側面を持ち合わせているからこそキング・クリムゾンというバンドは一点の曇もない完璧な空気を作り上げ、攻撃的な音を放ちながらも脆くあやうい存在なのであり、私はクリムゾンが、このアルバムが大好きなのであろう。


アイランズ(紙ジャケット仕様)
キング・クリムゾン
WHDエンタテインメント (2006-02-22)

2012-02-12

Eadie Sedgwick イーディ・セジウィック、Velvet Underground 「Femme Fatale 宿命の女」

イーディ・セジウィック!彼女についてなにから語ればよいのだろうか。両親ともに旧家の出身で、途方もないお金持ちの家に生まれ、恵まれた容姿、長い長い手足、細い身体でダンスが得意でリムジンを乗り回し、彼女がいくところにはいつも大勢の人だかりができていた。ケンブリッジからニューヨークへ、どこへいっても彼女は人気者だった。ウォーホールの、そしてボブ・ディランのミューズだった。

彼女もまた、60年代を体現したスターのひとりであった。ドラッグの過剰摂取による死。身体はボロボロになり精神までもが蝕まれても、イーディは美しかった。なによりとびきり可愛かった。28歳という短すぎる人生はドラッグがもたらした破滅だけではなく、なにか説明のつかないもの、セジウィック家がたどった不思議な運命の下にあったように思える。イーディはその運命から逃れるように、そしてなにかに突き動かされるかのようにもの凄いスピードで60年代半ばのN.Yアンダーグラウンドのアートシーンを駆け抜けていった。



私は60年代を輝いた美しく可憐な女性たちのなかでもイーディには特別な感情を抱いている。ほんとうに馬鹿げた話なのだけれど、誕生日が同じというだけの理由から、イーディと二人だけの秘密を共有しているような気持ちになるときがある。そんな勝手な思い込みがときには私を元気づけてもくれる。特にイーディがこの世を去った年齢に、28歳になった頃から彼女のことを考えることが多くなったように思う。

イーディは60年代のファッション・アイコンでもあったけれど、私が彼女に対する想いはファッションやメイクを真似るというような憧れともまた違っていて、失ったものを惜しむ気持ちに似ている。たそがれのなかで過去を慈しむようなとき、イーディのくしゃっとした笑顔をふと思い出したりする。会ったこともない古い友人のような不思議な感じ。

イーディがもっとも輝いていたのは22歳の頃で、「ヴォーグ」や「ライフ」にレオタード姿で登場している。上の画像は『ヴォーグ』の1965年8月号に載ったイーディ。後ろの馬はイーディ自身が描いたもの。イーディには(というか、セジウィック一族には)美術の才能もあった。馬についてはまたの機会に触れたいと思う。今日はイーディを知ることになった、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの「宿命の女」について少し書きます。


*

ヴェルヴェット・アンダーグラウンドはアンディ・ウォーホルのプロデュースでデビューしたことは有名ですが、自らプロデューサーを申し出たのにウォーホルはバナナのジャケット以外、何もしなかった。ヴェルヴェッツのライブを見て彼らの音が気に入ったものの、実際には音楽畑のことはさっぱりわかっていなかったというのが本当の話で、レコーディングに関してはまるっきり何もわからなかったので、指示を出すとか文句をつけるとか、そのようなことは一切なかったそうである。

そのウォーホルがひとつだけルー・リードに注文をつけたのが、イーディ・セジウィックについてなにか曲を書いて欲しいというものだった。ヴェルヴェッツがファクトリーに出入りする頃にはイーディとウォーホルの関係は終わりに近づいていたそうだけれど、それが「宿命の女」という曲で、ニコがボーカルをとっている。私には「ファム・ファタール」と呼ばれるのはイーディよりもニコのほうがふさわしいように思えるのだけれど、ルー・リードによる歌詞を読むと、そこにはイーディの姿がはっきりとあらわれている。この曲を聴くと、いたずらな微笑みを浮かべた愛くるしいイーディが思い出されていつもほんの少し哀しくなる。でも、ルー・リードにしては珍しく可愛らしいバラードだから大好きでもある。





Here she comes
You'd better watch your step
She's going to break your heart in two
It's true

It's not hard to realise
Just look into her false colored eyes
She'll build you up to just put you down
What a clown

'Cause everybody knows (she's a femme fatale)
The things she does to please
She just a little tease
See the way she walks
Hear the way she talks

You're written in her books
You're number 37, have a look
She's going to smile make you frown
What a clown

Little boy, she's from the street
Before you start you're already beat
She going to play you for a fool
Yes It's true

'Cause everybody knows (she's a femme fatale)
The things she does to please
She just a little tease
See the way she walks
Hear the way she talks


彼女がやってくる
足元に気をつけたほうがいいぜ
彼女はお前の心臓を真っ二つに切り裂いてしまう
本当さ

難しくなんかないさ
彼女の偽りに彩られた瞳をのぞきこんでみな
彼女ったらお前を持ち上げてやりこめるつもりだぜ
なんてピエロなんだ

みんなが知ってるんだ (彼女は宿命の女)
喜ばせるためにしてることさ
彼女は小さないたずらっこ
ほら、彼女の歩き方を見てみろよ
なあ、彼女の話し方を聞いてみろよ

君のことは彼女の本に書いてあるぜ
37ページだよ、見てごらん
彼女は君を困らせるために微笑むんだ
なんてピエロなんだ

かわいい坊や、彼女はストリートの女の子
始まる前から君はすでにお手上げさ
彼女は君をからかって遊ぶだけ
本当だぜ

みんなが知ってるんだ (彼女は宿命の女)
喜ばせるためにしてることさ
彼女は小さないたずらっこ
ほら、彼女の歩き方を見てみろよ
なあ、彼女の話し方を聞いてみろよ





イーディ―’60年代のヒロイン
ジーン スタイン ジョージ プリンプトン
筑摩書房

イーディ写真集 girl on fire (P‐Vine BOOKs)
メリッサ・ペインター&デイヴィッド・ワイスマン
ブルース・インターアクションズ

Velvet Underground & Nico
Velvet Underground & Nico
posted with amazlet at 13.01.17
The Velvet Underground
A&M (1996-05-07)

2012-01-14

ジュリアン・シュナーベル『ルー・リード / ベルリン』

昨日の投稿でジュリアン・シュナーベルの映画について少し触れたのだが、読み返してみるとただの素っ気ない作品紹介になってしまっているようで申し訳ないと思いつつも、今日の主題である『ルー・リード / ベルリン』についてもどのように書くべきか迷っているところである。


というのは、この映画はシュナーベルの作品のなかでもっとも素晴らしいものであると私は考えているが、それはシュナーベルが手がけた芸術作品であると同時に、この映画の素晴らしさはルー・リードが1973年に発表した『ベルリン』という音楽性よりも物語性を重要視した異質なアルバムの存在に負うところが大きいからであり、さらに私のもっとも好きな音楽家はゲンスブールとならんでルー・リードその人だからである。なのでどうしても個人的な感情が絡んでしまうわけだが、そもそもこの映画をルー・リードという特異な音楽家を知らない人間がすすんで観るかどうかすらあやしいところではある。しかしライブ映像を堪能するにはあまり良心的な環境とは言えない自宅での鑑賞ですらその壮大なラストにはむせび泣いてしまうほどの内容であるのだから、やはり何か書くべきなのだろう。


ルー・リードはウォーホールのプロデュースによってデビューしたヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコに在籍していたが、現在伝説とまで語られるほどになったバンドの姿とは程遠い、その音楽性はほとんど評価されることのなかった特異な人物である。彼のヴェルヴェッツでの活動は3年あまりだが、ジョン・ケイルが脱退したあとのバンド自体がすでにルーのソロ同然の場と化しており、ヴェルヴェッツでは4枚のアルバム(脱退直後に発売されたものも含めて)を発表するがどれも商業的に成功することはなかった。


晴れてソロとなったルーは『ロックの幻想』(1972年)を発表するも、売上げはふるわず、批評家からも見放されつつあり、この時期、ルーは傷心のまま家業を手伝うなどしていたという。そんな彼をプロデュースしたいと申し出たのが、ヴェルヴェッツの、特にルー・リードの熱狂的なファンでもあったデヴィッド・ボウイ(とジギー・スターダスト期に活動をともにしていたギタリストのミック・ロンソン)であることはロック・ファンであれば誰もが知るところであろう。(私はボウイの、スターでありながらも同志にさりげなく手を差し伸べる、あくまでも相手の尊厳を守りとおす形でさらっと創作に加わる、彼のこういった一面が大好き!なのである!)そして発表された『トランスフォーマー』(1972年)はロック史の記念碑的なアルバムとなる。シングルカットされた「ワイルドサイドを歩け」でルーは初めて米英チャート入りをはたし、商業的な成功も得る。当時のルーを写真でみるとボウイの影響もあったのかグラムっぽいメイクも施していたようだが、次に発表された『ベルリン』(1973年)は、きらびやかな『トランスフォーマー』のイメージとはまったく異なるものだった。




ルーのソロ三作目となる『ベルリン』は『トランスフォーマー』のヒットのさなかに発売されたが、アメリカでの売上げはほとんどふるわなかった。さらにイギリスではトップ10入りを果たして一時は人気が出たように思われたが、『トランスフォーマー』のようなサウンドを期待したファンには受け入れられず、多くのレコードが中古屋に売り払われることとなった。その結果、ルーは『ベルリン』をライヴで演奏することをあまり好まなかったようである。


シュナーベルの映画では冒頭にテロップでこのような説明がなされる。


1973年 ルー・リードは
アルバム“ベルリン”を発表
商業的にふるわず
33年間 ライヴ演奏を封印
2006年12月–この暗い側面を歌った
この名作を初演した


アルバム『ベルリン』はまだ東西に分裂されていたベルリンを舞台に、キャロラインという娼婦とジムという名の男、そして語り手である俺(もしかしたらルー自身なのかもしれない)によって繰り広げられる背徳の愛の物語で、ロックのアルバムでありながら小説のような明確なストーリーを持つ、ルー・リードによる一大叙事詩とも呼べるような美しいアルバムである。ルーのストーリーテラーとしての側面が見事にあらわれたまでであるが、そこに描かれる世界はドラッグや暴力、バイセクシャル、死、といった暗く退廃的なイメージであり、『トランスフォーマー』の世界をさらにつきつめたようなショッキングな内容が作品の難解さを際立たせていたため、リスナーを寄せつけることをしなかったのである。


シュナーベルは2006年に行われた、ルーにとってベルリンの呪縛からの解放とも言ってさしつかえのない、極めて異質なライヴの舞台セットを担当し、ライヴの模様を自らの手でキャメラにおさめた。彼は『ベルリン』というアルバムの持つ特異性をよく見抜いている。『ベルリン』をひとつのコンセプトに基づいた物語性を孕んだ芸術作品、オペラや戯曲などの類いであるかのように扱って、見事に再現させてみせたのである。そもそもこのアルバムは元来そのように扱われるべき作品であったのだ。


というわけで、この映画にはアルバム『ベルリン』の楽曲を「Berlin」から「Sad Song」まで収録順にぶっ通しで演奏するルー・リードの姿が収められている。セットにはオリエンタルっぽい絵が使われているが気付くか気付かないかのとてもシンプルなもので、ときどきバックスクリーンにシュナーベルの手掛けた各楽曲のイメージを具現化した映像が映し出される。退廃した通りを歩くキャロラインやジムの姿がそこには見える。全体的にやや緑がかった映像になっているのは、「Lady Day」の歌詞のなかでキャロラインの部屋の壁が緑であるとされ、緑のなかに赤が効果的に使われているのはキャロラインが流した血の色である。


シュナーベルによる演出はステージ全体の雰囲気を幻想的なものに仕上げているが、緑と赤のイメージはもともとアリス・クーパーやケニー・ランキンなどのジャケットを手掛けていたPacific Eye & Earが作り出したヴィジュアル構成があった。彼らが作り出したブックレットは2006年に発売された紙ジャケの初回盤に同封されているので見ることができる。





シュナーベルの映画といえども、やはり主役はルー・リード、『ベルリン』という作品そのものである。このアルバムは生身の人間がいて、管弦楽やコーラスが加わってはじめて息づく作品であったことが33年の時を経てようやく証明されたような感じである。おそらくこのライヴ映像が世に出た今、手元にある『ベルリン』のCDはこの映画のパンフレット代わりにもならないのではないかと思わせるほど、素晴らしい内容のライヴ映像をシュナーベルは記録したのである。これは深夜に部屋の灯りを消して観るべき映画だ。そして薄緑色の世界と一体化してほしい。できれば寒い季節が良いだろう。ラストには「悲しみの歌」があなたの胸を満たし、まばゆいばかりの光が濡れた頬を照らしてくれるに違いない。


ルー・リード/ベルリン
製作年:2007年 製作国:アメリカ 時間:85分
原題:LOU REED'S BERLIN
監督:ジュリアン・シュナーベル
出演:ルー・リード(ドキュメンタリー)

ルー・リード/ベルリン [DVD]
VAP,INC(VAP)(D) (2009-01-21)

2012-01-08

デヴィッド・ボウイ

今日はおそらくまともな内容が書けないだろうということを最初に断っておく。1982年生まれの自分にとって、83年における活動とその来日時にボウイが日本人に与えたイメージと後の影響力を考えれば、83年のボウイ・フィーバー(ものすごい陳腐な言い方で申し訳なく思う)を経験していない自分には彼についてなにかを書くなど、その資格はほとんど持ち合わせていないと自覚しているので、それでも好きなアーティストという枠には収まらないボウイのことをどのように書いてよいのか非常に迷っている。


正直なところ、私はボウイについてそれほど多くのことを知っているわけではない。いくら大好きだとはいえたったの十年弱にすぎないのであるから、語るといってもせいぜいお気に入りのアルバムについて一言か二言書ける程度だろう。2004年の、美しさ衰えぬ50代のボウイを拝見することもかなわなかった。


と、言い訳じみた話ばかりしていても仕方がないので、こんなちっぽけな場所でああだこうだと嘆いている今も、ボウイが音楽界にもたらした革新的な偉業は消えることはなく、いつのボウイも美しいという事実に勝るものはないのだから、個人的な想いをいくつか綴ることにしたいと思う。


好きな映画、好きな音楽、好きな芸術家、その他諸々の好きなもの。私の場合、それらすべてが文学から始まっていると言える。そしてボウイを知るきっかけとなったのも文学からであった。それは20歳ぐらいの頃に阿部和重という映画学校出身の面白い純文学作家を知ってからであるが、寡作で知られる彼の小説なかに『プラスティック・ソウル』という名のついたものがあったからである。これについては阿部和重本人が、白人がやるソウル・ミュージックだと揶揄されていたボウイからとったのだとインタビューで答えており、そのことが私の興味をボウイに向かわせたのであった。(阿部和重についても後々書くことになるだろう)


また初心者のようなことを書いて申し訳ないのだが、ボウイといえばアルバムごとにサウンドとそれに付随するような形で容姿を変化させ続けきたことがまず一番に言われる。そしてボウイのファンは一番好きなアルバムを選ぶという過酷な選択を強いられるのであるが、一番好きなアルバムは...などと言っているようでは、まだまだボウイの音楽を十分に聴き込めていないのだとも痛感している。どのアルバムを一番に挙げるかによってその人の性格まで透けて見えるようだと言う人もいるけれど、どのアルバムもその時代その当時のボウイの精一杯の意識を体現した作品なので私はあまりそのように考えることはない。けれど、やはり一番好きなボウイのアルバムについて、ブログなどに書かれている文章を読むのは相手がどこの誰か知らなくとも楽しい。





そして今の私は絶対に『LOW』である。このアルバムは私が勝手に別名「穴」と名付けているアルバムでもある。なぜなら、一曲目の『Speed of Life』を聴くといつも不思議の国のアリスのごとく、穴に落ちていくような感覚をおぼえるからである。一曲ごとに場面が変わる。ホテルの一室、遊園地、サーカス小屋、宇宙、暗く凍てついたワルシャワの街路、このイメージはそのときどきによって変化するが、ボウイのアルバムのなかでは多彩なサウンドのみならずもっとも視覚野を刺激する作品なのである。そして最後には眠りに落ちるようなアルバムである。実際に私はこのアルバムをかけて眠ることが多い。


ところで私の記憶では、80年代に日曜のお昼に生放送されていたたけしのスーパージョッキーのオープニングに『Speed of Life』が使用されていたような気がしていたのだけれど、検索をかけてもそのような内容はヒットしないので、一体どこではじめてこの曲を聴いたのかいっこうに謎が解けないでいる。






さて、最後になるが、上の写真はおそらくマニッシュ・ボーイズという名前のモッズバンドに在籍して活動していた、まだ10代の頃のボウイである。特別めずらしい写真ではないが、私はベッドの脇のコルクボードにこの画像を引き伸して印刷したものを貼っている。その隣には『二十歳の恋』に出演したときのジャン=ピエール・レオーの写真がある。私のすきなものである。

ボウイは私のアイドルに違いないが、とても不思議な存在だ。彼の顔、佇まいはそれがどんなに退廃的な時期であってもひじょうに美しいが、同時にグロテスクであり、胡散臭さすらおぼえる時があるからである。美と醜が共存しているような人なのである。

私は以前、ギリシャ神話を読みながら、登場する神々に性格や特徴の似たロック・スターを当てはめて読み耽っていたことがあったが、ボウイはどちらかというと神の側ではなく人間の側に近い人物なのだった。多くの誘惑に負けては過ちを認めて立ち上がり、さらに負けては再起するを繰り返すような、ひじょうに人間臭い人物のように私にはうつるのである。そしてやがて神としてむかえられるような、そのような人間だと思うのだ。

今日はボウイ65歳の誕生日である。

2012-01-05

Dear, Jim まぼろしの世界によせて

Dear,Jim

2010年12月8日、私は一本の映画を観た。時刻はお昼を少し過ぎたところ。劇場はいわゆる独立系のシネコンで、ファッションビルの5階にある。サービスデーなのに閑散としていて、行列のないカウンターでチケットを買うとスタンプが所定の数に達したというのでポップコーンがもらえた。

私は迷わずキャラメル味を選んで、劇場が発行しているかわら版に見入っていたら、ポップコーンを渡されたスタッフに「この映画は予告編がありませんので急いで下さい」と入場を促されてしまった。

スクリーンに入ると、観客は私を含めてたったの3人。これには想像以上に驚いた。だって、今日はあなたの誕生日でしょう。誕生日だというのに、たったの3人。

私は後ろから2列目か3列目の、ど真ん中に座ってスクリーンを睨んだ。今日はあなたの誕生日だというのに、なんということ!あなたの出演する映画を観る人間がたったの3人だなんて!

そして私は思い出す。今日はあなたの誕生日でもあるけれど、きっとあなたを愛する多くの人間にとって、もしかしたらあなたの誕生日以上に忘れられない出来事が重なった日でもあるということを。

きっと、あなたはその悲しい出来事を現実的には知らないでしょう。もしかしたらどこかでそれを目撃していて、私たち以上に事実を真実として知っているのかもしれないし、案外本人に直接知らされているのかもしれないけどね。

そう、今日はジョンの命日だ。けれど私は薄暗いスクリーンの前であなたのことだけを考える。今日、あなたは67歳になった。あなたが生きていれば、の話だけどね。
すっかりおじさんになったけれど、あなたは私のパパより2つも若い。

From,N




ドアーズのドキュメンタリー映画『まぼろしの世界』を先日自宅で鑑賞したのだが、一年前に劇場で観た時の10分の1もこの映画の面白さが感じられなかった。いや、そもそも面白さの再確認という作業が間違っているのであって、この映画そのものがドアーズというバンドのおもしろおかしな一面を追求した作品ではない。むしろよくあるミュージシャンの伝記映画の部類としてはドキュメンタリーという形を取ることによって、脚色や誇張といった胡散臭さが清められ、混沌としていたアメリカの60年代を象徴する映像を随所に織り交ぜるという構成には誠実さすら感じさせる出来映えだ。バンドの内容的にもこれが限界だと思うのだが、この映画が面白いと感じるかどうかはまた別の問題である。

おそらくこの映画はドアーズのファンであれば面白いという感情は起こらないのではないだろうか。少なくとも私が映画館以外の場所で観たところでは、ただひたすらに悲しい映画であった。劇中に使われる楽曲も劇場のような場所で爆音で聴く分には最高なのだろうが、自宅の鑑賞環境では大好きなドアーズがまったく心に響いてこないのである。この映画をPVのようにただ垂れ流しするのであれば、一つのアルバムをじっくり聴くほうがずっといい。

生前のジム・モリソンの映像と対面することは最高の喜びでありながら、最大の悲しみである。私にとってジム・モリソンは神でもディオニュソスでもシャーマンでもロック・スターでもない。詩人になりそこねたロック・スターという人も時々いるが、私がジムを想うとき、詩人かぶれのゴロツキという表現がいちばんに浮かぶ。もちろん好意的な意味でだ。60年代アメリカのロック詩人といえばボブ・ディラン、ルー・リード、ジム・モリソン?やはりジムの名前がクレジットされるのはどこか滑稽な気がしてならない。

ジムは作家志望であった。いまさらことさらに言わなくても十分なほど、本人が作家・詩人として扱われることを切望していた。この映画のなかでもその意思をはっきりと伝えている場面がある。「おれたちは音楽家で作家」なぜかその言葉を言い放ったときのジムの顔は、全編とおして唯一素面に思える瞬間でもあった。

私は世界が言うほどジム・モリソンのことを神聖なロック・スターとして崇めてはいない。おそらく誰もがロック・スターに自己投影する時期が人生の節々にあるだろう。そして私にとってのジム・モリソンは、誰にも言えない、親しい友人なのである。美しく気取ったロック・スターではない。ドアーズと聞けば、ジムの奇行ばかりが表立って興味のない人間にはただのジャンキーなゴロツキの音楽としか捉えられないかもしれないが、ジムは聡明で(これはどこでも言われている)ある以上に、とても人懐っこくチャーミングなのである。それは動いているジムの映像を見れば一目瞭然で、たとえハイになっていても、隠しきれないジムの魅力なのである。ジムの父親はこの映画の公開を待たずに亡くなってしまったが、インタビューで「息子に才能があったかどうかはわからないが、少なくとも友人になりたいタイプの人間だった」と言っている。

ところで時は10年以上前にさかのぼって、私にとってドアーズはビートルズ、ビーチボーイズに次いで3番目に知った洋楽のバンドであった。村上春樹の小説を読み漁っていた頃である。確か、『ダンス・ダンス・ダンス』という長編小説に「ドアーズとプリントされたトレーナーを着た美少女」(正確にはこのような表現ではなかったが)という形で登場した。ビートルズとビーチボーイズに慣れた耳がドアーズを聴くと、おぞましい世界が開かれたかのような気持ちにぶつかる。バロック調のオルガンは美しく私の心をとらえたが、ボーカルは大嫌いであった。歌詞を強くぶちまける魔術的なバリトンがどうしても好きになれなかったのである。

ジムのボーカルが好きではない理由がわかるまで、それからいくばくかの歳月を要するが、つまり、ジムは言葉を大事にしすぎるのである。詩人であるがゆえにこのような歌い方になってしまったのだろうと推測するのだが、洋楽はたいてい歌詞を見ないと何を言っているのかわからないのだが、ドアーズに限ってはそのようなことがほとんどないのである。特に忘れられないのは『アラバマ・ソング』をはじめて聴いたとき、ジムのボーカルを耳で追うだけで、単語がひとつ残らずすべてきれいに聞き取れたのである。ジムは詩人であるがゆえに、たとえそれをメロディーにのせて歌う時もひとつひとつの単語を丁寧に扱い、聴衆に対してもまるで親しい友人との会話のように、言葉を育むことを望んでいたのではないか。それゆえ私は暴走してしまった数々のライブ(いまとなっては偉大な伝説だが)を見せられると、なんとも言えない気持ちになってしまうのである。

最後に、私の好きな『Touch Me』を載せる。ドア—ズの楽曲のなかではなんてことはないラブソングの部類である。前半は大胆だが、後半の歌詞が美しい。ジムはよくギリシャ神話に登場するディオニュソスに例えられることが多いが、太陽や雨や星や空をうたう傾向がある。古代ギリシャの哲学者たちは、暗くなりなにもすることがなくなると星を囲んで空想にふけったり、恋人同士が愛の詩をうたったりしたという。そのような場所がジムの理想とする世界だったのではないかと想わせるような、美しい歌である。なぜか今日は言いたいこととはまったく違うようなむすびになってしまったが、こんな日もいいだろう。



Come on, come on, come on, come on
Now touch me, baby
Can't you see that I am not afraid?
What was that promise that you made?
Why won't you tell me what she said?
What was that promise that you made?

Now,I'm gonna love you
Till the Heavens stop the rain
I'm gonna love you
Till the stars fall from the sky
for you and I


ドアーズ / まぼろしの世界 [DVD]
キングレコード (2011-01-26)