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2013-01-16

クシシュトフ・キェシロフスキ


ポーランドが生んだ鬼才、クシシュトフ・キェシロフスキ(Krzysztof Kieślowski-1941年〜1996年)は、『デカローグ』『ふたりのベロニカ』『トリコロール』といった傑作を次々に発表したあと、創作の絶頂期にありながら96年に心臓発作で急逝してしまった。54歳の若さだった。10代の頃にお父様を結核で亡くされたキェシロフスキは、父親の虚弱体質を受け継いでしまったことを口にこそ出さなかったが、生涯にわたり気にかけていたように思われる。

私はキェシロフスキの作品はどれも後追いだけれど、長編映画はすべて観ることができ本当に幸せだと思う。その早すぎる死がとても悲しく残念でならないけれど、なにものにも代え難い時間を与えてくれるキェシロフスキの映画をこれから先もきっと何度も観返すに違いない。


キェシロフスキはロマン・ポランスキーやアンジェイ・ワイダを世に送り出したポーランドの名門、ウィッチ映画大学出身。政治と無関係ではいられなかった戦後のポーランドでドキュメンタリー映画から始めた人だった。いくつかの短編を撮ったあと劇映画に転じ、習作のつもりでテレビドラマの制作に携わっている。共産党政権下のポーランドでは劇場映画の監督と認められるにはいくつかの手順を踏む必要があり、まずはテレビ用の映画を撮るのが通常のやり方とされていた。映画産業は国が統轄し、制作に介入することが可能な時代。共産党による検閲が存在していたけれど、検閲官の目をごまかすことはそれほど難しいことではなく、むしろ国から制作費があてがわれたため、資金の確保や市場の心配といった問題とは無関係に映画を作ることができたのだという。

そしてなにより熱心な観客がいたのだった。検閲官の手を逃れることのできた言葉の意味を観客は正確に読み取ることができたし、監督と観客が一体となって検閲官という敵に立ち向かうような雰囲気があった。検閲制度があったおかげで映画は国民に夢を与えることができた、そんな時代だ。当時についてキェシロフスキは、検閲制度によって自由が大幅に制限されたのではなく、簡単に映画を作ることができるいい時代だった、と語っている。いくらパリが、西側の生活条件がよくても、ポーランドなしの人生は考えられない、とも。


キェシロフスキの作品の何が私を夢中にさせるのか、あらためて考えてみると自分でもその理由はよくわからない。初期の長編は個人を描いているとはいえ、背景には政治的色合いが濃く垂れ込めているので正直なところ心底おもしろいとは言いがたい。けれど、ポーランドについて、共産党についてよくわからない者が観てもわからないなりに最後まで淡々とみせてしまうのもひとつの魅力だろう。そしてキェシロフスキを世界的地位に押し上げることとなった『デカローグ』『ふたりのベロニカ』『トリコロール』、これらの崇高な映画はとてもじゃないけれど書き尽くせない。思い出すたびに胸が震えてしまう。

キェシロフスキの作品はそのどれもが物語ではなく感情を扱った映画だ。私が彼の映画に惹き付けられる一番の理由もそこにあるのかもしれない。そして、人生のもっとも大切な瞬間を切り取っている。もっとも大切な瞬間、とは生涯を通じて一番決定的な時間という意味ではなく、その人物にとってのいま現在、その時、ということだ。だからキェシロフスキは愛するという感情を描いた。しかしキェシロフスキの映画が恋愛映画なのかどうかは定かではない。おそらく答えは「ノー」なのだが。ロマンティシズムに陥りかねない状況をギリギリのところでバランスを保ちながら浮遊しているような感覚、とでもいえようか。

キェシロフスキの映画とは一体何なのであろう?キェシロフスキの映画は、はっきりいって結末などどうでもいいように思われる。なぜなら結末は観ている者にすべて委ねられているからだ。感情の生まれる過程を描いているのに、感情が生まれる背景についてはほとんど説明されることがない。つまり、キェシロフスキは物語そのものを描くことを拒否し、点景をパズルのピースのようにちりばめ、観る者がそれぞれの解釈でそれぞれの好きなように物語を構築することが可能な映画を撮った。これは特に『ふたりのベロニカ』と『トリコロール』にみられる方法で、ただの幻想かおとぎ話ではないのかという批判も聞かれた。

しかし私はキェシロフスキのこの2作を観てはじめて、自分がなぜ映画を観るのか?という問いの答えを見出すことができた。そして、これまで無知だったポーランドの歩んできた歴史、その複雑な背景について感心を持ち、なにかを感じ得ることができたのもキェシロフスキとの出会いからだった……。





キェシロフスキの世界
クシシュトフ キェシロフスキ
河出書房新社

2012-12-09

アキ・カウリスマキ

「人生の意味とは、自然と人類を大切にする自分のモラルを作り上げ、それを持ち続けること」

—アキ・カウリスマキ



フィンランドの巨匠(と、もう呼んでしまってもいいよね?)アキ・カウリスマキ!

カウリスマキの映画が三度の飯より好きだ!という日本人はいると思う。カウリスマキの映画を観ていると、フィンランド人と日本人の気質が似ていると言われる理由がなんとなくだけれどわかるような気がしてくる。カウリスマキの世界といえば、極限まで削られた少ない台詞と無表情な登場人物、印象的な音楽(ときに音楽に語らせる!)、どこか暗い雰囲気を持った背景から生まれるぶっきらぼうなユーモア、といった特徴が挙げられる。これらの要素はどの作品においても基本的にブレることがないように思う。

なにも映画がそうだからといって、フィンランド人、はたまた彼らに似ていると言われる日本人が無口で暗いというわけではないのだろうが、たいていのことは口に出さなくても伝わるもの、といった雰囲気が前提に漂うカウリスマキの作品は日本人の心にぐっと突き刺さるものがあるのだ。


カウリスマキは日本の名匠、小津安二郎に多大な影響を受けたという。下の動画は小津の写真を前にカウリスマキがあれこれ語るという趣旨のものだが、カウリスマキを知らないという人も、小津の映画を観たことがないという人も、4分足らずのこの動画でアキ・カウリスマキがどんな監督なのか漠然とわかってもらえるのではないだろうか。カウリスマキという人は話を聞いているだけでも非常に面白い人です。



ところで、カウリスマキの映画は不幸な人間ばかりが主人公なのに、どこか可笑しくて思わずにやりとしてしまうのはなぜか。この可笑しさはいったいどこからくるのだろう?カウリスマキがおかしいのか?フィンランド人というのは滑稽な人間ばかりなのか?

カウリスマキの映画に出てくる、寡黙な人々というのはフィンランドという国の風土を強く反映しているに違いない。私は寒い地方の人間だから、寒い国の人々は口数が少なく感情を心の奥に閉ざすということを日常的に知っている。そこから生まれる可笑しさについても。そんなものだから、カウリスマキの映画で描かれる舞台はどうみても北欧の風景にしか見えないし、フィンランドにも行ったことはないけれど、私はほかのどんな外国映画よりもカウリスマキの世界の親しみを感じ、異常な愛着を持っている。



「人生の意味とは、自然と人類を大切にする自分のモラルを作り上げ、それを持ち続けること」

これは「人生の意味とは何ですか?」という小学3年生の質問に対するカウリスマキの回答だ。スナフキンというか、ソローの名言集にでもそっくりそのまま出てきそうな言葉である。そういえば若い頃のカウリスマキはどことなく顔もスナフキンに似ている。

カウリスマキは学生の頃、編集者として大学誌の手伝いをしながら映画評論も発表していた。シネフィル時代のカウリスマキが書いたものはあまり知られてはいない。評論は恥ずかしくなって辞めてしまったそうだが、82年に発表された「脚本家の死」という文章からは、映画、そして人生に対するカウリスマキの信条がみてとれる。カウリスマキが好きな人なら、なにか込み上げるものがあるだろう。





「この国をどれだけ愛しているだろう。幾千とある湖、そして暗闇の冬の日々。ここで平穏に暮らせないとしても何の問題があるだろう。春、道を歩いてみよう。ほつれかけた袖でぶらぶら歩いていると、人々が七面鳥のような表情で好奇心をむきだしに視線を注ぐ。または、眠ろうとすると誰かがベッドの下から覗いて、居心地はいいかと尋ねてくる。ここで死さえ平穏に迎えられないとしても誰が問題にするだろう。

 こうした条件すべての上に立つ私たちをひとつにするものとは、いったい何か。私たちは空を飛ぼうとするニワトリのようにかなわない欲求を抱えている。私たちには、共通の言語と文化、そして死も覚悟できているほどの、あえていうならば魂の共生といったものが備わっている。

 私たちの中には、時代の黎明からの純粋さや原罪に先立つ無垢のようなものがあるのだ。」

 





アキ・カウリスマキ
アキ・カウリスマキ
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愛育社

2012-03-04

わたしのもっとも好きなフランス映画、ジャック・タチ『ぼくの伯父さん』(1958年・フランス=イタリア)


思えば、フランス映画の魅力を教えてくれたのはジャック・タチ(1907-1982)だった。『ぼくの伯父さん』(1958年・フランス=イタリア)という作品に出会ったのは、たまたまつけていたBSのチャンネルで放送されているのをなんとなく眺めていただけのことだったのだが、それまでは単なる娯楽のひとつとばかりに思っていた映画に対する見方を、この映画は一晩にして変えてしまったのである。そこから始まる映画に寄り添った人生、といっても20代に入ってからのことだからだいぶ大袈裟なのだけれど、トリュフォーもゴダールもリヴェットもルイ・マルも大好きな監督だが、一番好きなフランス映画をひとつ挙げろと言われたら、やはりジャック・タチの『ぼくの伯父さん』がわたしの原点のように思う。


ジャック・タチ(Jacques Tati)は本名をジャック・タチシェフと言い、もとはロシアの貴族の出身である。パリ郊外に裕福な額縁職人の家に生まれたが、若い頃から父親の見習いをするもひそかに額縁職人以外の道を探していたようだ。兵役についたことが人間観察のきっかけとなり、またラグビーの選手でもあったタチは(やたらと体格も良い)、手始めにスポーツのパントマイムを仲間内で披露したところ、受けが良かったので本格的に舞台役者としてのキャリアを開始した。タチの舞台は人気を博したが、家柄を重んじる父親には勘当される。20代半ばのことであった。父親との確執もあり、タチシェフという独裁的な響きのする名前をタチは自ら切り捨てた。上の画像はABCシアターという劇場で舞台の成功をおさめていた1936年頃のタチ。「伯父さん」姿ではない若き日の貴重な写真である。30歳手前といったところ。


タチは生涯に5本の長編映画を撮っている。そう、たった5本しか撮っていないのだが、タチの作品は現在までに続くコメディ映画の体系の要となっている。タチ自ら演じる「ムッシュー・ユロ」というおとぼけで粋で愛嬌のあるキャラクターをスクリーンに登場させ、そのどれもが軽快な楽しさと夏休みの終わりを思わせるいくばくかの寂しさが入り混じった思い出のように、いつまでも記憶に残る素晴らしい映画なのだ。


ぼく(ジェラール)のお父さんはゴムホース会社の社長。郊外の一等地に超豪華でモダンな屋敷に住んでいて、門の開閉から庭の噴水、キッチンにいたるまですべてがオートメーション化されている。けれど、ぼくはこの家を窮屈に感じている。そんなぼくは下町に住む無職のユロ伯父さんと遊ぶのが大好き。しかし自由気ままなユロ伯父さんに対して、ぼくのお母さんはお見合いの世話をしたり、お父さんは就職させようとするのだった...


この『ぼくの伯父さん』の主人公もタチが演じるユロ氏である。この映画には何も大胆な特撮や派手なアクションがあるわけでもない。格別面白いストーリーが展開があるとも言い難い。庶民が住むパリの下町と、対照的な上流階級のモダンなオートメーション化された屋敷を舞台にタチのパントマイムがひたすら繰り広げられる。しかしそれを何ともなくぼんやりと眺めていたら、画面を右往左往するユロ氏の世界にいつのまにか引きずり込まれていたのだった。わたしはチャップリンも大好きなのだけれど、チャップリンが喜劇に風刺を盛り込んだドタバタの定義だとしたら、もちろんタチもそこから派生しているわけだが、チャップリンほどドリフターズ的な笑いにはならない。フランス人に大爆笑はないとどこかで読んだか聞いたことがあったけれど、タチの映画を観てもお腹を抱えて笑うなんていうことはないのである。いつもクスクス、ニヤニヤといった感じなのだ。これを、エスプリ全開というのだろうか。


そして、タチの作品でもっとも重要なのは音響である。サイレント映画さながらの無口なユロ氏に変わって音響がとても重要な役割を担っているのだ。音が主役と言ってもよいのではないかと思われるほど、この映画はさまざまな音に彩られている。下町の舗道を走る馬車、市場の喧噪、女性のヒールの音や魚のオブジェから噴き出る水飛沫、絶妙なタイミングで流れるいかにも小粋なおフランスといった印象のメインテーマなど、独特の世界観と音響の見事な融合。チャップリンにも音楽の才能があったように、タチの音楽センスにも目を見張るものがあるように思う。


さて、チャップリンのパスティーシュともいえるタチの作品群のなかでも、この映画は『モダン・タイムス』を意識して製作されたのは明白である。チャップリンほど風刺的ではないが、ユロ氏の住むアナログアパートのささやかな暮らしぶりに見る人情深さ、郊外の一等地にある妹夫婦のオートメーション屋敷で繰り返される不可解な言動、どちらが人間らしく本当に充実しているのかということを「笑い」というオブラートに包みながら上品かつ辛辣に描き出しているのではないか。しかしそんな難しいことなどは考えずに、タチの映画はいつも夏休みの気分で、のんびりと寝転びながら観るのが一番似合うような気がする。


この映画のなかでもっともわたしが好きなエピソードはユロ氏のアパートの下階に住む年頃の少女とのやりとりである。最後のほうのシーンではすっかり洒落て大人びた雰囲気になった彼女に、一抹の寂しさを感じずにはいられないのである。


ぼくの伯父さん
製作年:1958年 製作国:フランス=イタリア 時間:120分
原題:Mon Oncle
監督:ジャック・タチ
脚本:ジャック・タチ
出演:ジャック・タチ


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角川書店 (2004-02-27)

2012-01-31

ニコラ・フィリベールによるドキュメンタリー映画について

私はドキュメンタリー映画も好きでよく観るのだが、ドキュメンタリー映画というのは劇映画に比べると単調になりやすい傾向がある。大概のドキュメンタリー映画はそれを回避するために作品のテーマを明確にして映像に変化をつけたり、音響を利用して観客の興味を煽るような作りになっているのだが、あまりにも内容が一面的すぎて胡散臭い印象しか与えないような作品もなかにはある。映画を出発点としてなにかを考えたり、意識的に変化ある行動を起こしたりすることはもちろん良いことだとは思うのだが、その一方で、映画の内容がほんとうの真実であると丸呑みにしない厳しい視点と適度な距離感を持つこともドキュメンタリー映画を鑑賞するときには大切だとも感じている。




ニコラ・フィリベールはフランスを代表するドキュメンタリー映画の名匠というか、もはや現代ドキュメンタリー作家の最高峰ともいうべき存在で、彼の作品は単調に、退屈になることをおそれない強靭な視点を持っている。おそらく劇映画(特にハリウッドの)に見慣れた人間には彼の映画はひじょうに地味であり散漫で、冒頭の30分などはまさに退屈さの極みであるように感じられるかもしれないが、この退屈さこそまさに彼の作品がほかのドキュメンタリー映画とは一線を画す部分なのだ。フィリベールの作品は日常のどんな風景でも映画になるということを強く語るのである。

フィリベールはたとえ子どもに関する映画を撮っていても、トラクターががたがたと動いている農耕期の農村部の風景とか、天気だとか、木々の揺れだとか、なんてことはない道端の映像だとか、そういったありふれた風景をさりげなく挟み込んでくる。もちろんフィリベールが詩的な映像作家を装うために導入したようにも思えるそれらの映像がまるで作品のテーマとの関連性がないというわけでもなくて、時間の経過をあらわす役割を担っていたり、画面に変化をもたせるアクセントになっていたりするのだけれど、それらは演出効果を狙った大げさな感じのするものではなく、観客を映画という非日常的なものから日常に引き込むための一種の装置といった印象を受ける。

装置と言えば聞こえがいいが、結局は意図的に仕組まれた演出だろうと言われるとそれまでなのだが、観客の興味を集めるための演出というにはフィリベールの映像はあまりにも静かで淡々としすぎていて平凡な印象なのだ。私たちが一歩外に出れば見つかるような、もしくは誰もの記憶に焼きついているような、ごくありふれた時間と風景を切り取っているのである。

フィリベールの映画は日常の延長線上にある映画というものを考えさせる。映画とはなにも特別な芸術作品なのではなく、もちろんそのような価値を持つ映画もなかにはあるが、私たちの生きる日常こそが映画になり得るのである。そのことをフィリベールはどの作品のなかでも一番に伝えようとしているのだ。彼にとって日常こそが映画なのである。

2012-01-12

ジュリアン・シュナーベルの映画について

私はジュリアン・シュナーベルのことを映画監督、脚本家として認識している。というか、映画監督としてのキャリアしか存じ上げないのだが、彼はもともと80年代の新表現主義を代表する画家であって、かつてウォーホールがそうであったように、すぐれた画家は映画も撮るという方程式にあてはまってしまった人なのだろう。多才なアーティストである。

私は彼が映画監督として手がけたこれまでの作品(最新作『ミラル』をのぞく)を気がついたらすべて観ていたわけだが、彼の作品とは相性が良いようだ。なぜかと聞かれるとこれがまた返答に困ってしまうのだが、トリュフォーやチャップリンやリヴェットのように人物像も含めてどの作品も物凄く好きだという感覚とはまた違って、そよ風が頬を撫でるような感じとでもいえばよいのか、なんとなくひっかかるもの、興味を惹くものがどの作品にもひとつやふたつは必ずあって、色彩だったり、音楽だったり、散文詩のようなイメージだったり、物語そのものが面白かったりとさまざまなのだが、どれも私のアンテナにひっかる感じなのである。


彼が最初に監督したのは『バスキア』(1996年)である。スプレーのペイントで一躍有名になりヘロインの過剰摂取により27歳で亡くなったジャン=ミシェル・バスキアの伝記映画で、同志であったシュナーベルも身を置いていた、ウォーホールが君臨していた80年代のニューヨークにおけるアートシーンを切り取ってみせた。まず音楽がとても良くて、P.I.Lやイギー・ポップやトム・ウェイツなんかをチョイスしている。そしてキャストがすごい。デニス・ホッパー、デヴィッド・ボウイ、ゲイリー・オールドマン、ヴィンセント・ギャロ(!)ボウイのウォーホールが想像以上の出来映えである。冒頭と最後にバスキアの夢?という形で、お伽噺とでもいうような象徴的な物語が描かれるが、これもアーティストならではの発想なのかもしれない。


そして次に芸術家、同性愛者であることを理由に激しい迫害の対象とされたキューバで、生き続け、書き続けた作家レイナルド・アレナスが死の直前に綴った伝記『夜になるまえに』を映画化(2000年)する。レイナルド自身の言葉を意識してつくられた映像がまず目にとまる。私はこのレイナルド・アレナスという作家の『めくるめく世界』という小説を読んだことがあるのだが、ストーリーが突如と枝分かれし、こうである場合とこうだった場合と、さらにこうであれば〜というような現実と過去と未来と空想を行き来するような不思議な小説で、とにかく言葉のエネルギーに溢れた、稀代な小説家という印象を受けた。この映画は一人の男が生まれてから死ぬまでを淡々と描いたもので、とても平坦な印象を受けるのだが、それはこの映画が全体としては自伝であるのに主人公自身の言葉によって語られる出来事があまりに少なく、あったとしてもそれらの言葉はどれも長く、歌のような響きを持ち、韻を踏んで詩のようにも聞こえ、言葉自体の意味がよく分からないからだ。実際にそれらはレイナルド自身による散文詩のようなものなのだろうと思うのだが、ひとつの小説を言葉ではなく映像で語ろうとすれば、海やさとうきび畑、兵士の乗ったトラックなどの意味がイメージとして語られるので、なんだか単調な印象になる。そこで、ショーン・ペーンは完全に客を集めるためのカメオ出演といったふうになり、ジョニー・デップが二役、しかも女装して登場するもほんの数分だったりするのだが、原作を読んでみたいと感じさせるような作りになっている。少なくとも私は是非とも原作を読んでみたいと思いました。そして読んだのである。


おそらくシュナーベルの映画でもっとも知られているのが『潜水服は蝶の夢を見る』(2007年)であろう。ELLEの元編集長であったジャン=ドミニク・ボビーが突然の脳出血により身体の自由をうばわれ、病床で唯一動かすことのできる左目の瞬きだけで綴った自伝の映画化である。この作品は物語自体もとてもいいのだが、映像作家としてのシュナーベルの腕前をもっともよくみることができる。非常にいらだたしい冒頭のぼやけた映像、これは主人公のジャン=ドミニク・ボビーの視線である。私たちが感じるいらだちこそまさに主人公のいらだちでもあり、スクリーンの向こう側の人物と観客との共有部分だといえる。主人公はこの焦点の定まらないぼんやりとした視界の左目で本を書くのであるから、冒頭の映像はとても重要な役割を担っている。そこで、カメラが主人公の視線を離れ、外側から主人公の姿をうつすとき、観客は一瞬にしていらだちから解放される。この解放感こそが我々をこの物語に引き込むために用意された巧みな仕掛けである。こうした映像のうまさがこの作品を最後まで安心して観ることができる大きな理由のひとつなのであり、ジュリアン・シュナーベルという人がすぐれた映像作家であることを証明しているのである。



さて、今日はこのあとシュナーベルが手がけた『ルー・リード / ベルリン』(2008年)を中心に書くつもりでいたのだが、時間がないので明日ということにする。


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2012-01-06

マルティン・ シュリーク 映画、文学にも演劇にも表現できないものが従える魔術的なメディアとは

昨日の記事はまるでとんちんかんな人間が書いたような内容である。さらに今日の更新について予告するのを忘れていたので、一日中何について書こうものかと真面目に考えてしまっていた。やはり前日にある程度の内容を決めておくべきなのだろう。これでは毎日更新するという目下の課題を安易に放り投げてしまいそうである。あまり考えすぎてもいけないので今日は私の好きなあるヨーロッパ映画について書く。


スロバキアの鬼才と称されるマルティン・シュリーク(Martin Sulík / 1962-)は映画を「文学にも演劇にも表現できないものが従えられる魔術的なメディア」として1990年頃から活動をはじめた人物である。詩的で幻想的な映像美、独自の哲学を盛り込んだスタイル、その感性は多くの国際映画祭で絶賛されており、日本では2003年に「マルティン・シュリーク・不思議の扉」と題された上映会で三本の映画が初公開されている。





今日、ここで紹介するのはその三本のなかから『私の好きなモノすべて』(原題:Všetko čo mám rád / 1992年)という人生の岐路に立たされた、言わば中年男の自分探しのような映画を紐解きたい。実はこのブログの表題を「私の好きなモノすべて」と名付けようかと迷ったほど大好きな作品で、いちど別の場所でもこの映画について書いたことがあるのだが、今日はそれに加筆するかたちでこの映画について考えてみようと思う。


どういった流れで聞いた(もしくは読んだ)話なのかすっかり忘れてしまったが、ゴダール映画における言葉の氾濫について、ゴダールは実際のところ文学が好きでたまらなく、本当は作家になりたいのだが小説が書けないので仕方がなく映画を撮ることにした、という見解をされている方がおられた。デビュー作『勝手にしやがれ』の脚本を担当したのはゴダール自身ではなく同志のトリュフォーに助けられて、というのは有名な話であるが、もしゴダールが映画(映像)よりも文学(言葉)を重んじているという見解がある程度あたっているのであれば、映画(映像)には限界があるが文学(言葉)には限界が、不可能がないということになる。映画は二流芸術で文学は一流芸術という一般論には私も同意するが、なぜ今ここでゴダールの話を持ち出したのかというと、マルティン・シュリークが映画を「文学にも演劇にも表現できないものが従えられる魔術的なメディア」とした理由は一体どんなものであるのか考えてみたいからである。


映画『私の好きなモノすべて』は2〜5分ほどの長さで区切られた断片の積み重ねで構成されている。21の断章すべてに表題がつけられており、鈴の音とともに新たなシーンが始まる。ちょうど連続する短編小説を読んでいるような感じだと言えばその様子が伝わるだろうか。ちなみに21の断章を書き出してみると

1「夜明け」2「断食」3「屋外のペンキ塗り」4「息子」5「気球のある風景」6「マッチの女」7「ヘーゲルによる世界」8「父」9「寝ること」10「ジョイスの言葉」11「古い世界の肖像」12「カトリック教」13「ヨーロッパ中心への旅」14「結婚記念日」15「家族写真を撮ること」16「奇妙な優しさ」17「ソロー、カント、ゲーテ」18「将軍」19「断食をやめること」20「あなたは何が欲しい?」21「僕に音楽を演奏して」となる。


この映画のなかでもっとも私の興味を引いたのは、音楽も台詞もない風景のみを導入した断章がいくつかあることだった。1「夜明け」3「屋外のペン キ塗り」5「気球のある風景」などがそうだ。1の「夜明け」はまさしく夜明けの映像そのものである。湖の水平線に現れた太陽の姿が映し出されるだけだ。オレンジ色の光に染まる湖水を魚が飛び跳ねたり主人公が泳いだりしている。素晴らしい眺めではあるが、約2分間も同じ調子の映像が続くとこれが 意外と長く感じるものなのである。


そこでふと考えついたのは、もしこれが文学だったならこの2分間にわたる「夜明け」の断章を、作家によっては原稿用紙数枚分にもおよぶ風景描写が可能なのだろうなということだった。映画を文学に置き換えたとき、間違いなく映像は作家にとっての文体である。小説家は言葉を使って世界と対峙し、文体によって世界に解釈を与えなければならない。同じようにほとんどの映画は映像を拠りどころとし、映像によって世界を決定付ける。小説家にとっての文体がそうであるように、映画における映像は作家の個性的基盤である。そういう意味で、マルティン・シュリークの文体は対決すべき世界に解釈を与えることに成功しているのではないか。


マルティン・シュリークが提示する詩的な映像は、その大部分をスロヴァキアの美しい自然が負っている。美しいというのはあまりにも陳腐な表現だがこれほど ノスタルジーをおぼえる田園風景はないだろう。私たちは感情を揺さぶられるような美しい風景に出会ったとき「言葉では表現できない」などと都合の良い言い 回しを用いることよくがあるが、マルティン・シュリークの幻想的で繊細な映像は、それが魔術的な効果なのかどうかはわからないが、その美しさを言葉で捉えたいという欲望に駆られてしまう。


この映画は非常に淡々としていて表情を変えることがない。人物の往来は頻繁に行われているにもかかわらず、台詞が極端に少ないように感じられる。おそらく全編をとおして一番喋りまくっているのは主人公のトマスがインタビューを行っている作家の爺さんである。おまけにこの爺さんはヘーゲル、ジョイス、ソロー、カント、ゲーテといった錚々たる思想家たちの言葉を並べ上げ、喋りまくっているだけだ。トマスはそれら作家の言葉を収集することをライフワークとしていて、いつ か自分も本を書きたいと思っているような人間なのである。


この映画は、誰かの借り物である言葉をちりばめることによって、監督自らがディレッタントにすぎぬ自分をさらけ出しているような、恥ずかしいほど強烈に文学的嗜好が表現された映画なのだ。うまく表現できないのがもどかしいのだが、文学を離れて映像を経由しながら結局は文学に戻ってきたような映画、私にはそのように感じられるのだった。


マルティン・シュリークの映画は、『私の好きなモノすべて』(Všetko čo mám rád / 1992)『ガーデン』(Záhrada / 1995)『不思議の世界絵図』(Orbis Pictus / 1997)の三作が今のところDVDで鑑賞可能である。しかしまだまだ知名度は低いようである。2004年に発売されたDVD-BOXも現在は廃盤になっており、前述の作品以外は今日まで日本で劇場公開されていない。数年前に『地図にない国の風景』(Krajinka / 2000)という作品がシネフィル・イマジカで放送されたようだが私は未見である。
明日は私の核とも言えるべき歌姫について書く。


ここは私の場所じゃない
私のものが一つもない
必要なのよ
私の箪笥と 私のベッドと 私の本と
私のものを隠しておける壁が


マルティン・シュリーク BOX [DVD]
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