2012-04-01
ブコウスキーとゲンスブール(4)
二人に共通するもっとも面白い逸話は、それぞれが自らを投じた分野を端から否定していたということである。ゲンスブールであれば、アンチ・シャンソン、ブコウスキーはアンチ文学の精神である。画家になることを志し、貴族的な教育を受けたゲンスブールにとって一流と呼べる芸術は、音楽であればクラシック、絵画、純文学なのであって、クラブやバーで演奏するシャンソンやスタンダード曲などは二流芸術にすぎず、60年代の華やかなポップスの世界で彼は一時代を築くことに成功したように見えるが、本人にしてみれば、ポップスなんていうものは所詮二流なのである。ゲンスブールにとって純粋芸術である絵画を捨てて二流である歌謡界に身を投じることは、たとえそれが自ら選んだ道だとしても、純粋芸術に対する未練と二流芸術への劣等感は生涯彼につきまとい、成功しながらにして不幸という、決して癒されることのない強迫観念にとらわれることになったのだった。
ブコウスキーの場合はもっと過激だ。ブコウスキーに言わせると、もはや文学にとどまらずすべての芸術は嘘まみれである。肉体労働者であった彼は、貧しさが、飢えが傑作を生み出すということはまずあり得ないということを身をもって経験しているからだ。『勝手に生きろ!』という小説のなかで、ブコウスキーの分身である主人公のチナスキーは金がなくてキャンディーバーだけを舐めながら小説を書いているのだが、そこで彼はこんなことを言っている。「空腹が俺の芸術を高めることはなかった。かえって邪魔になっただけだ」と。ブコウスキーのこの言葉は、貧しさのなか逆境に耐えながら書き続けた作家、または描き続けた芸術家といわれる、彼らの気高く美しい文章、崇高な作品、そんなものはすべてわれわれの幻想が作り上げたきれいごとにすぎないという事実を痛いほど突いている。そして文学とは、芸術とはいったい何であるのかと、ふと考えさせられる。このようなブコウスキーの嘘の否定の文学は、五年生のときに書いた作文で「人は真実よりもきれいな嘘を求めている」と気付いたときにすでに芽生えていたのかもしれない。そもそもブコウスキーの生きたアメリカ社会の常識もまた、嘘だらけなのだ。大多数の人間がアメリカン・ドリームなどと無縁であるにもかかわらず、その大きな嘘はいつの時代もアメリカ社会を覆い隠している。ブコウスキーは労働者の立場からそのような社会の嘘を暴き出す。アメリカを駄目にした張本人であるとしてミッキーマウスを嫌っている。
ブコウスキーの小説は基本的に自身が経験したこと、実際に起きた出来事しか書かれていない。人生にはそうそうドラマティックな展開があるわでけもないし、作られたきれいごとなど通用せず、醜く汚いことのほうが圧倒的に多い。ブコウスキーの小説に書かれていることは、働いて酒を飲んでセックスをして便通の心配する、という日々の繰り返しだ。たまに競馬に打ち込む姿が描かれるが、競馬場などもっとも劇的なドラマとは無縁な場所であるということを強い説得力を持って伝えているにすぎない。それゆえブコウスキーの小説は一見退屈で何も書かれていないというような印象を与える。しかしそのように感じるのはブコウスキーの作品を文学の立場から捉えようとするからである。そもそも文学的価値などとは無縁のところで書いているのがブコウスキーなのだ。
そしてブコウスキーはやはりというか、当然とも言うべきか文壇という世界をもっとも嫌っている。ブコウスキーの作品がアカデミックな文芸界から評価されているのかも怪しいところなのだが、文壇人や文学談話を嫌悪する場面がブコウスキーの小説には何度も出てくる。ブコウスキーは同時代のケルアックやバロウズやギンズバーグなどのビート詩人と一緒にされて論じられることもあまり好ましく思っていないらしく、どちらかといえばパンク詩人と言われるほうが自分に合うように感じると生前に語っていた。
ゲンスブールもまた、フランスの芸能界ではトップクラスの有名人でありながら、芸能界を嫌っていた。偉ぶって嫉妬深い意地の悪い奴らばかりが出入りしていると。同じようにマスコミも嫌っていたが、ゲンスブールはそのマスコミを挑発の場としてうまく利用することを考えたのだった。自らのスキャンダルを売り物にしたのは言うまでもないが、テレビに出る人間たちが皆ネクタイ姿だった時代に、ノーネクタイにジーンズ姿、不精ひげを生やして出演していた。ニュース番組のなかで「税金を払って残るのはこれだけさ」と言いながら500フラン紙幣を燃やして抗議殺到、フランス国歌をレゲエバージョンで歌って右翼に狙われ、生放送中に「あなたとセックスしたい」と大胆な発言で歌手を口説いた。
ブコウスキーとゲンスブール、二人の男について語り継がれる武勇伝(ともいうべき?)はここでは書ききれないし、私の知らない驚くようなエピソードもおそらくまだたくさんあるだろう。私は女だけれど、このとんでもない二人のオヤジの生き方に惹かれるのだ。なぜこんなにも二人が残した作品に心を動かされるのか、なぜ好きなのかと聞かれるとうまく説明ができない。男性としての魅力を感じることがないわけでもないが、そのような憧れとも少し違う。ひとつだけ言えるのは、彼らの作品に漂う、ブコウスキーの精神、ゲンスブールの精神がもっとも私を魅了するということだ。
私はときどき、この二人が出会って酔っぱらいながらジョークを飛ばして互いを罵り合ったり女の趣味をけなしたりするところを想像する。ブコウスキーにしてみれば、ゲンスブールもそのへんのスノッブと何ら変わりはないと思うかもしれない。けれどきっと彼らは意気投合してしまう違いない。もうかなわない、どこか切なく、夢のような話だけれど。
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画像上はブコウスキーと晩年をともにすごした妻のリンダ・リー。
画像下はテレビ番組出演時のゲンスブールとバーキン、1969年。
2012-03-28
ブコウスキーとゲンスブール(2)
2012-03-27
ブコウスキーとゲンスブール(1)
...私は目を閉じて波の音に耳を傾けた。海の中には無数の魚たちがいて、お互いを食べ合っている。飲み込んでは排泄する果てしない数の口と尻の穴。この世はすべて穴に尽きる。食べて排泄して性交するだけだ。—チャールズ・ブコウスキー『Ham on Rye』(1982年)
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俺はリラの門の切符切り/人がすれ違っても目にもとめない男/地下に太陽はない/妙なクルージングさ/......穴をあける、小さい穴、ほらまた小さい穴/小さい穴、小さい穴、いつもいつも小さい穴/これじゃあ気も狂うさ/銃も手にしたくなる/その銃で穴をあけるのさ、小さい穴、最後の小さい穴/それで俺は大きい穴に入れられる/そこだともう穴の話は聞かずにすむ、穴のおとはいっさいなし/小さい穴の、小さい穴の、小さい穴の...—セルジュ・ゲンスブール『Le poinçonner des Lilas』(1958年)
セルジュ・ゲンスブールのデビュー曲『リラの門の切符切り』は、ぼそぼそとつぶやく男の暗いシャンソンのようなポーズをとりながらも革新的な内容で、作家・詩人・トランペット奏者・画家・劇作家・俳優・歌手と、20以上の顔を持つボリス・ヴィアンから「アンチ・シャンソンの誕生、シャンソンはゲンスブールとともに新世紀に入る」と激賞された。
ゲンスブールはこの曲で、ひたすら切符を切り続ける地下鉄の改札員のことを歌っているのだが、地下の暗い世界で切符を切り続ける孤独な男が外の世界へ逃げ出したいと願うも、来る日も来る日も小さな穴をあけているうちについには気が変になって死の願望にとりつかれるようになり、自らの頭にピストルで穴をあけて棺桶の待つ穴に急ぐという、まるで帝政ロシア時代の小説を思わせるような内容で(ゴーゴリのようなユーモアを持っていると私は思うのだが)、さらには繰り返される穴という単語がダブル・ミーニングで性的なメタファーを孕んでいるという、一筋縄ではいかないような歌詞である。
ゲンスブールはデビュー以来このような言葉遊びを好み、プロデューサーとしてアイドルや女優たちに楽曲を提供する時も彼のスタイルは徹底していた。主に性的な内容を扱ったものが多いのだが、それはロリコン趣味のエロオヤジといったイメージを安易に連想させるものではあるが、ユーモアのなかにありったけの皮肉を込めて、ある時には過激なほど自虐的な詞も書いた。
チャールズ・ブコウスキーの小説もまた、過激で自虐的だ。おそらくブコウスキー本人は自虐的な小説を書いているという意識はまるでないと思うのだが(彼が意識的に自虐的な内容を語るときは故意に誇張してユーモアたっぷりに、そしていつでも作家としての冷静な眼差しを欠くことはない)、私にはそのように感じられる。前回の記事でも書いたのだけれど、ブコウスキーの小説は自伝的というか、ほとんど自伝だ。だからブコウスキーの小説を過激で自虐的だと感じるのだとすれば、それはブコウスキーの人生、ブコウスキーそのものが過激に満ちた存在なのであり、自虐的に振る舞うざるを得ない決定的な何かが彼の人生にはあったのだ。
ゲンスブールにも同じようなことが言えるだろう。ゲンスブールに関する書物を読んでいると(どれも永瀧達治氏の本なのだが)、ゲンスブールにもっとも近い「危ないオヤジ」としてブコウスキーの名前が挙げられている。私は偶然にもブコウスキーとゲンスブールをほとんど大差ないタイミングで知ることになったので、ゲンスブールを聴きながらブコウスキーを読むという、方や伊達男の飲んだくれ、方や無頼派の飲んだくれという危険なオヤジとの三角関係に身をまかせながら、なぜこんなにも滅茶苦茶なオヤジに惹かれるのか、もはや狂気の沙汰ともいえるの彼らの生活、彼らの人生について想い、なぜ彼の歌は、なぜ彼の小説はこんなにも美しいのだろうと、もはや時代遅れとなって久しい彼らのこと、彼らの残した作品のこと、それらに恭しくキスをして行き着くことのない想いをめぐらせることにせっせと時間を費やしてきた。そのような私もだいぶ気違いじみているかもしれない。しかしこの二人の男は無茶苦茶でいながら、脆く、繊細で内気な男たちなのだ。まるで思春期の少年の心をそのまま残して、歳だけとってしまったような男たち。要は、とんでもない男たちなのだが。そんな二人の男について思うことを、明日にでも、もう少し。
2012-03-23
チャールズ・ブコウスキー
チャールズ・ブコウスキー(Charles Bukowski / 1920-1994)はアメリカの詩人、作家。1944年、24歳で最初の小説を雑誌に発表するも、職を転々としながら飲んだくれの日々をひたすら執筆に打ち込む。1952年頃より郵便局に勤め(さらに飲んだくれながら)雑誌に詩を投稿するようになる。1960年、初の詩集が出版される。しかし昼間は郵便局で働き、夜に書くという二重生活は十年間も続けられた。50歳で郵便局を辞め、以降は(やはり飲んだくれながら)執筆に専念。遅咲きの奇人であった。73歳で亡くなるまで、50冊にもおよぶ詩集や小説が発表されている。自身の生活、体験を扱った作品が多く(というかほとんど自伝)、長編小説『くそったれ!少年時代』『勝手に生きろ!人生』『ポスト・オフィス』『詩人と女たち』の順に読むとブコウスキーの人生が一通りわかるようになっている。ラディカルで奔放な生き様から、パンク詩人の異名を持つ。
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みんなが感心したりすることにわたしはまったく感心できず、ひとり取り残されてしまったりするのだ。例を挙げていってみると、次のようなことが含まれる。社交ダンス、ジェット・コースターに乗ること、動物園に行くこと、ピクニック、映画、プラネタリウム、テレビを見ること、野球、葬儀への参列、結婚式、パーティ、バスケット・ボール、自動車競争、ポエトリー・リーディング、美術館、政治集会、デモ、抗議運動、子供たちの遊び、大人の遊び.....ビーチや水泳、スキー、クリスマス、新年、独立記念日、ロック・ミュージック、世界の歴史、宇宙探検、ペットの犬、サッカー、大聖堂、優れた美術作品といったことにも、わたしはまるで興味を引かれなかった。
ほとんどどんなことにも興味を引かれない人間が、どうしてものを書くことができるのか?どっこい、わたしは書いている。わたしは取り残されたものについて書いて書いて書きまくっている。通りをうろつく野良犬、亭主を殺す妻、ハンバーガーに食らいつく時に強姦者が考えたり感じたりしていること、工場での日々、貧乏人や手足を切断された者、発狂した者がひしめく部屋や路上での生活、そういったたわごと。わたしはそういったたわごとをせっせと書く.....―『ブコウスキーの酔いどれ紀行』中川五郎訳より
チャールズ・ブコウスキーという作家を知ったのはたまたまレンタルで借りてきた『ブコウスキー・オールド・パンク』(2006年)というドキュメンタリー映画だった。レンタル屋の棚に並ぶ映画という映画を片っ端から借りて観ていたモラトリアム期に(今だって充分そうだが)、ブコウスキーの名前を見つけたのだ。だから私は彼の作品を読む前に、彼の、年老いたパンクじじいの姿をこの目にひしと焼きつけることになったのだ。映画は朗読会の映像から始まるのだが、仄暗い部屋のライトの下、煙草をくゆらし、すでに呂律はまわらず酒瓶を片手に聴衆に向かって悪態をつき、酒がないと帰るだのとわめき散らす。ただの飲んだくれじじいである。
私はそれより以前にブコウスキーと同時代人でもあるケルアックが自身の小説をテレビ番組か何かの企画で朗読している映像を観たことがあったのだが、スーツを着込んだケルアックは俳優のようで、舌も滑らか、韻を踏むセンテンスは歌のように聞こえ、さらにはピアノ演奏付きという華やかな演出がなされていた。それにくらべてブコウスキーという爺さんは手始めにバーボンを一気に飲み下し、ぐだぐだと酒をくれだのなんだのと客とやり合う。そしてその特異な容姿。疣に覆われた赤ら顔、背を丸めた大きな図体、なんだか鰐のような男だと思った。
ブコウスキーは自身が醜いということも、ドブネズミのようにみじめな(みじめだった)生活を何の偽りもなしに作品のなかで洗いざらいさらけ出す。彼は専業作家になるまで怠慢な日雇いの肉体労働者で、稼いだ金はすべて競馬と酒代に消え、女と一緒に毎日飲んだくれるという生活を送っていた。酔っぱらいながら書いて書いて書きまくって、たとえ売れなくても文学的価値を認められなくても書くことをやめなかったし、死ななかった。毎晩郵便局の仕事から帰宅したあと、明日こそ辞表を出してあんな仕事辞めてやると酔っぱらいながら息を巻いてタイプライターに向かうのだが、次の日帰宅してみると、結局辞めることができなかったと言って女に泣きつく。それでもブコウスキーは死ななかった。
そんなわけで、私はこの数年というもの、ブコウスキーの作品を頻繁に読んでいる。U2のボノやショーン・ペーンがリスペクとする作家というフレコミで、日本では90年代にブコウスキーブームがにわかに起こったらしいのだが、私はだいぶ遅れてブコウスキーに夢中になっている。




