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2013-07-06

Jane Birkin ジェーン・バーキン 「Lolita Go Home」


以前書いたカヒミ・カリィの記事(彼女のいじらしいハミングはいつだって魔法のようだから)でも触れていましたが、「Lolita Go Home」は私にとって少し特別な曲。初めて聴いたのは中学生。歌っていたのはジェーン・バーキンではなくカヒミ・カリィだった。CMで見た姿にひと目惚れし、近所にあった中古屋のカヒミ・カリィのコーナーから『Girly』というアルバムをジャケ買い。当時はジャケットの謂れも、2曲がカバーだということもまったく分からぬまま、同じ日本人とは思えぬ綺麗なお顔と、それまでの人生で一度も聴いたことことのない不思議な歌声にすーっと引き込まれてしまった。衝動的に手に入れたCDが日本語の歌ではなかったので少し戸惑ったけれど。洋楽のCDも一枚も持っていない頃。フランス語とスペイン語の区別もつかなくて読めないのだし、そもそもフランス語を耳にすること自体が初めての体験に近かった。

最初に気に入ったのが2曲目の「Lolita Go Home」だった。ファッション誌で目にする「ロリータ」という単語が入っているという他愛のない理由から。(私は「CUTIE」と「ZIPPER」を購読していた。懐かしい!)ナボコフの小説は読んだことがなく、元々の意味など把握しているわけもない。勿論キューブリックの映画を初めて観たときも相当勘違いしていたのだし。当時は完全にファッション用語だと思っていたから、訳詞を見ても娼婦だとか紳士がヨダレなんて出て来るし正直あまりピンとこなかったけれど、「ロリータ、ロリータ・ゴー・ホーム」と口ずさむのには時間はかからなかった。ちなみに『Girly』の歌詞カードにはロリタ、と記載されている。ロリータともロリィタともロリヰタとも書けば、また違ったニュアンスになる日本語の妙。


*

ジェーン・バーキンのアルバム『Lolita Go Home』がリリースされたのは1975年。ジェーンはすでにゲンスブールとの連名で数枚のアルバムを発表していたけれど、このアルバムはすべての楽曲をゲンスブールが手掛けているわけではない。作詞は映像作家のフィリップ・ラブロによるものが大半を占める。「Lolita Go Home」はゲンスブール作曲、アルバムのオープニングを飾る曲。歌詞にはゲンスブールをそのまま連想させる紳士が登場するけれど、作詞を担当したのはラブロのようだ。

ジェーンの声はなんと形容すれば良いのだろう?私はウィスパー・ヴォイスが大好き!年代を問わずウィスパー・ヴォイスにはガーリーなイメージとノスタルジーが交差する。可憐で儚げな少女を思わせる、弱々しくどこかぎこちない歌い方。もちろんウィスパー・ヴォイスと言っても、砂糖菓子のように甘い歌声もいれば、涼しげな声もあるし、時には毒を持ったアーティストもいる。

ジェーンの声は衝撃的だった。ウィスパー・ヴォイスと括ってしまうにはあまりにも個性的で大胆だとも。官能的な吐息。ジェーンの歌声はジェーン・バーキンの声としか説明がつかない。ジェーンの魅力のひとつに英国訛りのフランス語がある。歌手としてのジェーンを評価する時にも、英国訛りのフランス語が掻き立てる効果云々など書かれていることが多い。正直私は発音のことはよく分からないので(初めて聴いたウィスパー・ヴォイスの女性歌手がカヒミということもあって、フランス語の響きと囁き声に親密な関連性を見出してしまいたくなるのだけれど)、やはりジェーンの歌声の魅力を引き出したのはゲンスブールの歌唱指導によるところが大きいのだと思う。官能ともの憂げな少女が綯い交ぜになったロリータのイメージ。もちろん単純にオツムの弱い尻軽娘ではなかったから、ジェーンは歌手として開花していったのだけれど。



YouTubeより、素晴らしい動画!(どうやら貼付けコードが無効のようです。こちらよりYouTubeへアクセスするとご覧になれます)「Lolita Go Home」を歌うマーメイドのようなジェーン、29歳頃。TV番組のようです。一瞬ですが、ゲンスブールの姿も映ります。借りて来た猫のような歌い方が特徴的だったけれど、この時期は自我も芽生えた感じのファンキーな歌い方。私はファッションやメイク、スウィンギン・ロンドン時代のジェーンに惹かれている時期が長いけれど、年齢を重ねて成熟過程のロリータというオーラのジェーンも大好き!

下記の歌詞は『Girly』より


*

みんなお上品ぶって あたしを振り返るわ
とくに女たち... どうしてかしら?
私の靴やソックスやスカートを じろじろみるの
そしてみんなあたしを"娼婦よ" っていうのが耳に入るわ
ロリタ、ロリタはお家へ帰る......

みんなどこまでもあたしを追ってくるわ
フリッパーの玉みたい
鉄の機械の中で
バカみたいにぶつかりあっている
あたしはバックの中に 厚紙も紐も全部つめたの
みんなの皮肉に もう耐えられなかったの
ロリタ、ロリタはお家へ帰る......

雨戸は閉まっていたけど あたしは視線を感じていたの
だからあたしは背を曲げて 駅へ行ったわ
みんな、あたしのことを
恐ろしいやつだったっていうと思うわ
あたしは 女たちがギッシリ列をつめて
コーラスを 叫んでいるのをみたわ
ロリタ、ロリタはお家へ帰る......

食堂車で あたしは紅茶を頼んだ
別に何もしていなくて
足を開いて坐っただけ
それなのに あたしの前で
老いぼれの紳士が よだれを流しているわ
そしてあたしは 汽車の音を聞いたの......
ロリタ、ロリタはお家へ帰る......



ロリータ・ゴー・ホーム
ジェーン・バーキン
USMジャパン (2011-05-11)



2012-11-13

『La noyée』(ラノワイエ・溺れるひと)



あなたは流れて行ってしまう/思い出の川の上を
僕は岸の上を走りながら/戻って来るようにと叫ぶ
それでもゆっくりとあなたは遠ざかる
僕は必死に走って/少しずつあなたに追いつく


ときどきあなたは沈む/揺れ動く液体の中に
いくつかの茨をかすめ/ためらいながら僕を待つ
まくれあがったドレスで顔をかくしながら
恥と後悔が/醜くすることをおそれて


あなたはもはや/哀れな漂流物
水に流れる死んだ雌犬にすぎない
けれど僕は今でもあなたの奴隷だから
流れの中に飛び込もう
記憶が停止したとき
忘却の大海が
僕らの心臓や脳を破壊しながら
永遠に二人をひとつにする



ゲンスブールが残した美しい曲のひとつに『La noyée(ラノワイエ)』という溺れ死んで行く女を歌ったものがある。この曲はまだ若造だった頃のゲンスブールがシャンソン界の大スター、イヴ・モンタンにわざわざ彼の家まで足を運んで自ら売り込んだ楽曲であったのだけれど、結局モンタンがこの曲を歌うことはなかった。そしてこの名曲をどういうわけなのか、ゲンスブール自身も録音しなかったので、長い間お蔵入りとなったままだった。しかし2004年にカーラ・ブルーニのカヴァーで世に知られてしまう(!)


ゲンスブールはこの曲を一度だけテレビで歌っている。1972年11月4日、Samedi Loisirという番組のようである。このときの映像は現在DVDにもなっていて、『Gainsbourg et caetera』という写真集に付属したCDに短いインタビューとともに音源が収録されている。幸運にも私はこのCDを持っていて、歌が終わると司会者が「セクシー」と言って、「ムハハ...」というゲンスブールのはにかんだ笑いが聞こえてくるのだった。


ゲンスブールが実際に番組で歌っている映像がYoutubeにあったのだけれど、コードが無効になっていて貼付けられなかったので、こちらからどうぞ。美しきセルジュ!こんなにも美しい詞を小汚いオヤジ(若い頃の作品だけれど)が書いた思うと、それだけでいつも泣きそうになる。私は本当にこの曲が好きで、秋になると無性に聴きたくなる。そしてこの曲を聴くと死にたくなる。





セルジュ・ゲンスブール 1970-1989 [DVD]
ユニバーサル インターナショナル (2011-05-11)

2012-03-21

ニュー・ウェーヴをボサノヴァで、その名もヌーヴェル・ヴァーグ!



私のiTunesライブラリの再生回数で常にトップに居座り続けているアルバムが、フランスの男女混合ユニット、ヌーヴェル・ヴァーグの1st『ヌーヴェル・ヴァーグ』(2004年)です。ヌーヴェル・ヴァーグは70年代後半〜80年代初期のパンク、ニュー・ウェーヴの音楽をボサノヴァにアレンジして、さらにはジャズ、ブルース、スカ、レゲエといった要素を盛り込んだカバーアルバムをいくつか発表しているのですが、「ヌーヴェル・ヴァーグ」というユニット名はフランス語で新しい波の意味、「ボサ・ノヴァ」はポルトガル語で新しい波、「ニュー・ウェーヴ」はもちろん...というわけで、うまいぐあいに三拍子揃えるという茶目っ気たっぷりのユニットなのです。そしてこの1stアルバムのジャケットはおそらくゴダールの『女と男のいる舗道』の娼婦ナナに扮したアンナ・カリーナではありませんか!2ndアルバムのタイトル『Band a Part』もゴダールの作品(邦題『はなればなれに』)からとってつけていたり、さらにはベスト盤のジャケットがゴダール映画のクレジットの雰囲気そのままにといった感じで、映画界のヌーヴェル・ヴァーグにまで目配せをするという徹底ぶり。これだけでもう私は完全にノックアウト状態なのです!

ヌーヴェル・ヴァーグはプロデューサーでもある男性二人が中心人物となって、曲ごとにアーティストを変えるという方法をとっていて、女性ヴォーカルがメインなのですが、一枚のアルバムで様々なヴォーカルが聴けるというのも彼らの魅力のひとつとなっています。ポスト・パンク、ニュー・ウェーヴなる音楽が世界を席巻していたまさにその時代に生まれた私は、正直、恥ずかしながらヌーヴェル・ヴァーグがアルバムで取り上げるオリジナルの楽曲をほとんど知りませんでした。洋楽はビートルズにはじまり、ビーチ・ボーイズ、ボブ・ディラン、ドアーズ、クリムゾン、さらには渋谷系なるものに感化されてからというもの、60年代後半のテクニカラーを塗りたくってフラワーをちりばめたあのサイケデリックな世界、サイケデリックな音がどうしようもなく好きで、デヴィッド・ボウイを聴くようになり、やっと70年代のロックも少しずつ聴くようになったのですが、パンク・ロックはあまり得意ではなくて(JAMとClashは例外なのですけども)、その後のニュー・ウェーヴもなんだか気が乗らなくて、何から聴いて良いのかわからないというのもあったのですが、それでも機会があればいつかちゃんと聴こうと思っていた、そんな矢先に出会ったのがこのヌーヴェル・ヴァーグだったのです。

私にとってこのヌーヴェル・ヴァーグのアルバムは青春時代を懐かしむといったような感傷的な記憶を呼び起こすものでも、ボサノヴァ風のアレンジに対する目から鱗の驚きというような感覚もほとんどないに等しいのですが、やはり音楽ファンを唸らせるアルバムなだけあって、私のようなニュー・ウェーヴを体験していない人間にも面白い発見があります。時代を遡ってオリジナルを聴いてみるというじつに単純な発想を実行に移したまでですが、それでもかなりの収穫がありました。1stアルバムの中では「This is Not A Love Song」という曲がとても気に入っているのですが、このオリジナルはPILで(もちろんPILについてもピストルズの人...というだけの認識)私はヌーヴェル・ヴァーグのメロディアスなアレンジで聞き慣れているものだから、オリジナルを聴いたときはあまりの能天気っぷりに思わず仰け反ってしまったのでした。このヌーヴェル・ヴァーグ、耳障りの良いお洒落なBGMとして流すのもそれはそれで素敵だと思うのですが、オリジナルを聴いてみるとまた別の発見があって面白い、奥が深いのです。そんなわけで、未体験のニュー・ウェーヴを少しずつ追いかけていけたら良いなあと思っているところです。





Nouvelle Vague
Nouvelle Vague
posted with amazlet at 12.03.21
Nouvelle Vague
Luaka Bop (2007-10-09)

2012-03-20

カトリーヌ、『エデュカション・アングレーズ』(1994年)


カトリーヌは女性の名前をしたフランス人男性。グループ名でもない。実際のところ、フィリップ・カトリーヌという男性と女性の名前を持ち合わせた(中性的で?)不思議な名前のようだけれど、これももちろんアーティスト名で本名ではない。フィリップ、つまりカトリーヌは日本では90年代半ばにカヒミ・カリィのプロデューサーとして知られるようになりました。最近だと映画『ゲンスブールと女たち』(2010年)にボリス・ヴィアンの役で登場し、一曲披露している姿が記憶に新しい。音楽活動のほうは『8番目の天国』(2002年)以降は追いかけていないのでよく分からないのですが、ここ2、3年のアーティスト写真を見たらすっかり変な(というか変態?かなり怪しい色モノっぽい)おじさんと化していて軽いショックを受ける。こんなに可愛らしいアルバムを作っていたフィリップ...どこへいっちゃったの?

そんなカトリーヌが十年前にリリースした2ndアルバム『エデュカション・アングレーズ(英国式教育)』(1994年)はお気に入りで何度も聴いていたし、今でもよく聴いている。ジャケットもすごく好き。カヒミ・カリィが国内盤のライナーを書いているというそれだけの理由で思わず買ってしまったのですが、自宅録音のあたたかみのあるチープなサウンドに女の子のウィスパー・ヴォイスが重なって、これはとても良いどころじゃない、最高に大好きなアルバムになるぞと聴いた端から思ったものです。


国内盤はボーナストラックも含めて19曲収録されているのですが、その大半が2分足らずと短くて、しかもフィリップ本人はほとんど歌っていません。それならば誰が歌っているのかというと、フィリップの妹のブルーノとフィリップのパートナーであるアンヌという女性二人がヴォーカルをとっています。面白いのはこの二人はカトリーヌの正式なメンバーというわけではなくて、カトリーヌの作った音楽にちょっとばかり参加したという感じだそうで、このラフさ加減と彼らの密な関係がサウンドにもうまく反映されているように思います。

一曲一曲が短いのと、アンヌとブルーノの対照的なヴォーカルが交互に並んでいるところに、どこか対話のようなイメージを受けとることができます。アンヌはコケティッシュでガーリーなウィスパー・ヴォイス、ブルーノは低音で曇り空のようなどんよりとした気怠さを思わせる声、そこにフィリップの男性にしては高音な声でコーラスが入り、まるで三人が気ままにピンポンでも楽しんでいるような、そんな穏やかな日常風景が浮かんでくるみたい。いつもどこへでも、ポケットに入れて持ち歩きたいような可愛い曲ばかりで、本当にずっと大好きなアルバムです。



エデュカション・アングレーズ
カトリーヌ
ポリドール (1995-03-13)

2012-03-19

正統派フレンチ・ロリータ、コラリー・クレモン『ルゥからの手紙』(2001年)


コラリー・クレモンは、フランス本国では21世紀のゲンスブールとも名高いミュージシャン、バンジャマン・ビオレーの9歳年下の妹で、兄のプロデュースのもと2001年にデビューしています。デビュー時の彼女はまだ大学在学中で、才能豊かな兄の後ろ姿を見て育ち、さらには同じ道を追いかけるといった形で、歌手としての才能を発揮、もしくは兄の手によって開花させたようです。彼女の一番の魅力は60年代のフランス・ギャルやフランソワーズ・アルディを彷彿させる舌足らずでどこか気怠いような雰囲気を持つウィスパー・ヴォイスで、これがもうウィスパー・ヴォイスマニアとしましては、最高の掘り出し物(といったら失礼かもしれませんが)で、長い間待ちわびていたウィスパー・ヴォイスのミューズといった感じの女の子。ジェーン・バーキンやヴァネッサ・パラディに連なる正統派フレンチ・ロリータを思わせます。しかし彼女はジェーンのようにセクシャルでもヴァネッサのように小悪魔的な存在でもなく、健康的な普通の明るい女の子といった印象で、そのことは等身大の女の子の気持ちを歌う傾向の歌詞にもあらわれているように思います。

彼女はこれまでにアルバムを3枚出していて、『ルゥからの手紙』(2001年)『バイバイ・ビューティー』(2006年)『Toystore』(2009年)、これらすべてのアルバムを兄のバンジャマン・ビオレがプロデュースしています。私はデビューアルバム『ルゥからの手紙』がもっとも好きで、アコースティックな楽器に彼女のウィスパー・ヴォイスが重なるだけの全体的にシンプルな作りになっているのですが、彼女の一番の魅力である歌声を最大限に味わいつくすことができる最良のアルバムです。彼女は少し早口で歌うところがとっても可愛い。『ルゥからの手紙』は秋に似合うアルバムで、落ち葉の舞う夕暮れ時なんかに聴くと最高の気分です。

2枚目以降はがらりと雰囲気が変わってロックになり、とはいってもやかましいほどではなくて、肩の力の抜けたような脱力系のサウンドが多く、ガーリー・ロックという言葉が当て嵌まりそうな爽やかでキュートな楽曲に仕上がっています。ウクレレやピアニカなどの楽器を詰め込んだ3枚目も遊び心も感じられて悪くはないのですが、彼女の魅力はやはり声だと思うので、琴線に触れるようなメロディーをさらりと歌ってもらいたい。そういう意味で、やはり彼女はデビューアルバム『ルゥからの手紙』ですでに完成されていたように思います。同じ82年生まれというだけの理由からまたもや勝手に親近感を抱いてしまっている私ですが、次のアルバムも楽しみです。


上の動画に流れるのは『ルゥからの手紙』に収録されている楽曲なのですが、ちょうどゴダールの『女と男のいる舗道』のアンナ・カリーナをフィーチャーした素敵な動画があったので。


ルゥからの手紙
ルゥからの手紙
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コラリー・クレモン
EMIミュージック・ジャパン (2002-05-29)

2012-01-04

彼が生まれてきたのは、既製の美を掻き集めるためではなく、未成の美を作り出すためであった(2)

彼、とはゲンスブールである。

バルドーとの出口なしの愛に終止符を打ったゲンスブールは、心の傷も癒えぬまま一本の映画に出演することを決める。のちに世紀のカップルが誕生した記念碑的映画として語られることになるピエール・グランブラの『スローガン』である。1968年5月、ゲンスブールはイギリスからやってきた若干21歳の小娘、ジェーン・バーキンに出会う。



二人の出だしは最悪であった。ゲンスブールは無名のイギリス娘が相手役であることに腹を立て、フランス語の発音が気に食わないなどと19歳も年下のバーキンに対して大人げない態度をとる。事あるごとに彼女を槍玉に挙げては、内心、バルドーとの破局後、傷ついた心のやり場をなくしていたようでもあった。バーキンは、初めてゲンスブールに会ったときの印象を嫌なやつだと思ったと言っている。撮影のあいだじゅう、イライラと激高しているゲンスブールが怖くて仕方がなかったとも、しかしそんな彼に一目惚れをしたとも。

映画の撮影が順調に進むわけもなく、見るにみかねたスタッフが二人きりで食事をさせようと画策。するとその翌日には二人は手をつないで撮影にあらわれ、映画の内容そのままに恋人同士になっていた。翌年、二人は結婚する。のちに娘のシャルロット・ゲンスブールが生まれるのは承知のとおりであろう。


ゲンスブールはある日バーキンの鼻歌を耳にして、かつてバルドーに捧げ、封印した、あの『ジュテーム・モワ・ノン・プリュ』を再度、彼女と録音することに決める。バルドーとのデュエット同様にバーキンによる喘ぎ声と、性行為あらわすような男女の睦言がひたすら流れるこの曲は、ローマ法王が過激だと激怒し、放送禁止の声明を出したほどであったが、ヨーロッパでは大ヒットする。ちなみに『Je t'aime moi non plus』を日本語に訳すと、「愛しているわ、でも僕はそうでもないよ」といったぐあいになるのだが、ゲンスブールはこのように微妙なニュアンスを含んだ歌詞を好み、言葉遊びを楽しむ天才でもあった。

バーキンにとってはこれが歌手デビューとなったのだが、おそらく聴く人によってはヘタクソ極まりない歌である。さらにイギリス訛りが強いため、フランス語の発音もままならないのだが、なぜかそれが生々しいエロティシズムを感じさせるのである。歌手になりたいという夢を抱いたこともあったというものの、歌の経験は全くなかったバーキンは腹筋が弱く、高音が不安定なか細い声であったが、ゲンスブールはその後、彼女の弱点を最大限に利用するような曲を無数に書き、歌わせる。1969年に二人の連名で発表した『ジェーン&セルジュ』はフレンチ・ポップの金字塔的なアルバムといえるだろう。

バーキンはイギリスで活動していた頃、ミケランジェロ・アントニオーニの映画『欲望』のなかで、映画史上初めてヘアをさらした女優として、もともとスキャンダラスなイメージを持ちあわせてはいたが、『ジュテーム・モワ・ノン・プリュ』『69年はエロな年』といったゲンスブールとのデュエットで彼女のイメージは決定的になった。そしてナボコフの崇拝者でもあったゲンスブールは、バーキンを得たことで理想のロリータを具現化してみせることに成功したのだった。それはフランス・ギャルでは失敗したことであり、ポップスは所詮、二流芸術だと自虐的に言ってみせる彼の、密かな勝利宣言でもあっただろう。

ゲンスブールは「ジェーンは俺が待ち望んでいた女だ」と語る。それはバーキンにとっても同じだろう。聡明な彼女はのちにゲンスブールのために尻軽イギリス娘を演じ続けていたのだと、苦しかったのだと告白した。しかしロンドンのチェルシーをスウィングしていた小娘を、ジェーン・バーキンという美しい女に完成させたのは間違いなくゲンスブールであろう。彼が生まれてきたのは、既製の美を掻き集めるためではなく、未成の美を作り出すためであったからだ。


ゲンスブールについてはまた書くだろうと思います。
明日は2012年1月4日現在、世界でもっとも美しい私の友人について書くつもりでいる。

掲載した画像は私が所有しているゲンスブールの写真集からスキャンしたものです。

2012-01-03

彼が生まれてきたのは、既製の美を掻き集めるためではなく、未成の美を作り出すためであった(1)

元日にプルーストの文章を載せたが、その記事に登場させてもいる私のノートのなかに、プルーストに関して次のような文章も書き込まれてあった。

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彼(プルースト)は生涯の終りに至るまで、自分の部屋を悪趣味だが神聖な物品で満たしていたが、それらは彼に、死んだ両親、自分の幼少時代、失われた時について語りかけるのであった。彼が生まれてきたのは、既製の美を掻き集めるためではなく、未成の美を作り出すためであった。(ジョージ・ペインダー)

*

情けないがどの書物から抜粋したものか把握しておらず、さらにジョージ・ペインダーなる人物が分からないので検索してみると、プルーストの伝記を書いた人物のようである。(彼の本は読んでいないのだが、プルーストの伝記であればエドマンド・ホワイト氏による『マルセル・プルースト』が面白かったと記憶している。偶然なのかわからないが著者も同性愛者であり、「ならでは」の視点が持ち込まれた新しいプルースト伝である。)

さて、昨日の記事で予告していたように、今日は昨夜の時点で私が世界でもっとも愛する男について書こうと思うのだが(今さらながらだいぶ誇張された予告ではある)、引き続きプルーストの話なのかとしかめっ面をされていた方には朗報である。今日の主役はプルーストではない。ジョージ・ペインダーによるプルーストに関する上の文章を引用したのは、本日の「私の好きなもの」である人物の一面をひじょうにうまく表しているように思えたからである。

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「彼が生まれてきたのは、既製の美を掻き集めるためではなく、未成の美を作り出すためであった」
*

ここでいう既製の美とはブリジット・バルドー、未成の美とはジェーン・バーキンである。
そして彼とは、20世紀最後のデカダンなオヤジ、セルジュ・ゲンスブールにほかならない。

セルジュ・ゲンスブールについて語るべきことはもはや何ひとつ残されていないのではないか?そう考えるのは私だけではないだろう。彼ほどスキャンダルをベースに活動していた音楽家はいないからだ。自らプライベートを切り売りして、そこに喜びを見出していた男である。おそらく今日もこの暗くて湿っぽい場所以外の、世界中どこかのブログで彼の美しい音楽について、それ以上に酒、煙草、女をめぐるエピソードが武勇伝として語られているだろう。そして私はゲンスブールが愛し、創造した、既製の美と未成の美について書こうとしている。これもまた、語り尽くされたお話だ。


画家になる夢を諦め、ピアニストの道を選んだゲンスブールは30歳で歌手デビューするも、暗い歌詞ばかりを歌うさえないシャンソン歌手の一人とみなされていた。彼に転機が訪れるのは1965年、18歳のフランス・ギャルに『夢見るシャンソン人形』を書いて一躍名声を得、これがフレンチ・ポップス(俗に言うイェイェ)の幕開けとなったことはあまりにも有名な話だ。

ゲンスブールとバルドーが出会ったのは実はそれ以前の、1959年、『気分を出してもう一度』(原題:Voules-vous danser avec moi?)という映画での共演である。当時、バルドーはすでにトップ・スター、ゲンスブールはただの歌い手のひとりでしかなかった。二人が恋人同士になるのはまだまだ先の話で、1962年頃から楽曲の提供などを行うようになるも、本格的な恋愛関係に陥るのは「ブリジット・バルドー・ショー」というテレビの企画で共演した1967年の秋頃からである。

これはバルドーの歌とダンスを特集した番組で、『ボニー&クライド』『ハーレイ・ダビッドソン』『コミック・ストリップ』などの名曲が、デュエットの相手であり恋人、不倫相手(バルドーはこのとき人妻)でもあるゲンスブールの手によって次々と生み出される。そして、バルドーに「世界でもっとも美しい曲を書いて」と言われて生まれた、かの有名な『ジュテーム・モワ・ノン・プリュ』もこのとき録音される。しかしセックスを連想させる歌詞と喘ぎ声の演技がはさまれたデュエットは人妻であったバルドーの意思によってお蔵入りとなる。これをきっかけに二人の関係も、燃えさかる炎が消える頃合いをまたずに(特にゲンスブールにとってはかなりの痛手であった)終わってしまうこととなる。

67年のフランスを熱く駆け抜けたスキャンダラスなカップルはこうして伝説となり後世へと語り継がれていくわけだが、バルドーとゲンスブールの蜜月関係はなんとわずか三ヶ月(!)という短い期間であったということはあまり知られていない。


画像は私が所有しているゲンスブールの写真集からスキャンしたものであるが、一枚目のゲンスブールの表情がすげーいいです。ひょっとしてジェーンとのツーショットでも見たことがないのでは?と思わせるような、いい顔だ。とにかくいい顔。完全に恋する男の顔である。すでに完成されたスターに自ら手ほどきをするのは、ゲンスブールにとって涙がでるほど嬉しかったに違いない。のちにゲンスブールは、バルドーと関係を持ったことでユダヤ人で醜男という深く重いコンプレックスが軽減され、自信を持ったとまで言っている。さて、興奮してきたところで続きは明日に書く。