2012-03-29

ブコウスキーとゲンスブール(3)


セルジュ・ゲンスブール(本名:ルシアン・ギンスブルグ)は1928年4月2日、パリのブランシュ街に生まれる。父はオデッサ出身のユダヤ系ロシア人、母もクリミア半島出身のユダヤ系ロシア人で、夫婦はロシア革命の混乱のなか1927年にパリに亡命した。クラシックの作曲家であった父親は、バーでピアノを弾いて慣れない異国での暮らしを支えていた。二人は最初に生まれた長男を悪性肺炎のために一歳4ヶ月で亡くしており、まだ二歳と幼い長女を抱えての貧しい生活であった。母は三人目を身籠ったときに堕胎をする決意をしたが、当時のフランスでは堕胎は犯罪であり、闇医者に頼るしかなかった。しかし下町の闇医者をたずねた彼女はあまりの不潔さに逃げ帰っている。このとき生まれたのがルシアン、セルジュ・ゲンスブールである。しかも驚くべきことに双子であった。ゲンスブールにはジャクリーヌという名の姉と、リリアンヌという双子の姉がいる。


ゲンスブールの父親はロシアの知識階級の出身で、幅広い教養を身に着けたディレッタント、芸術至上主義者であったために、ゲンスブールは貧しくとも貴族的な教育を受けている。学校から帰ると毎日父親からピアノのレッスンを受け、バッハやショパンを弾かされていたが、そのことがとても嫌だったという。幼い頃から絵の才能に秀でていたルシアンは、誰に打ち明けることもなく画家になることを夢見ていた。臆病で内向的な感受性の強い少年で、家庭での恵まれた愛情に反して学校ではいつも孤独であった。


1940年、ドイツ軍による占領がはじまると、一家はフランス中を転々としながらナチスによるユダヤ人狩りから逃げ回った。12歳のルシアン少年もユダヤ人であることを示す黄色い星を胸につけられ、森林伐採などの強制労働をさせられたという。堕胎未遂の末に生まれたゲンスブールは「生まれる前から死に損なった」とのちに語っているが、ナチスによるユダヤ人排斥もまた、望まれざる命であることへの絶望感を強めることになった。そしてユダヤ人で醜男というコンプレックスはゲンスブールに生涯つきまとう。


戦後、美術学校の建築科に入学し、フェルナン・レジェら画家のアトリエにも通って絵を学ぶ。47年から兵役も経験しているが (脱走を企てたことで3ヶ月投獄されてもいる)、あまりにも退屈で13ヶ月の任期を終える頃には立派なアル中になっていたと語っている。しかしアル中はそのときに始まったことではなく、13歳頃からアルコールの味を覚えると、過度の飲酒により意識喪失も経験していた。さらに13歳から吸い始めた煙草はジタンを一日に七箱ともいわれる。


22歳のとき教育センターで美術教師の職を得る。ユダヤ人の子どもたちや収容所から生還した人たちをサポートする施設での仕事であった。生活は厳しく、自宅でピアノを教えて収入を補い、近所の生涯学習センターでワークショップを催したりしている。23歳で一度目の結婚をする。昼は教育センターで美術を教え、生活のために夜はバーやキャバレーでピアノを弾いて稼いでいた。しかし昼夜の二重生活はそう長くは続けられず、夜の仕事のほうが収入が良かったため、思い切って教育センターの仕事を辞めるが、昼間にバーやクラブが開いているわけがなく、家具の塗装やフィルムの色塗りなどのさまざまな副業で食いつないでいた。


ゲンスブールは才能に限界を感じていた画家になるという夢を断念し、音楽の道を選ぶ。26歳のときにはミュージシャン組合に加入し、そのための試験まで受けるという堅実ぶりであった。後のゲンスブールの姿からはまるで想像がつかないが、ソングライターへの予感があったからだった。しかし内気なゲンスブールは歌手にデモテープを売り込むことができず、あまり成果が得られずに終わっている。


ミロール・ラルスイユというキャバレーで、ミシェル・アルノーの専属伴奏者となった。そこで精神的兄弟ともいえるボリス・ヴィアンに出会う。そしてヴィアン自作の歌を聴いたゲンスブールは、この分野なら自分にも何かできるかもしれないと思った。ヴィアンの歌はこれまでの愛を嘆く甘いシャンソンとは違って、常識社会を嘲笑し皮肉った挑発的なものであった。56年、28歳のゲンスブールは『リラの門の切符切り』で歌手デビューする。



ゲンスブール、かく語りき
永瀧 達治
愛育社

2012-03-28

ブコウスキーとゲンスブール(2)

ヘンリー・チャールズ・ブコウスキー・ジュニア(親しい仲間からは「ハンク」と呼ばれている)は1920年8月16日、ドイツのライン河のほとりにあるアンデルナッハという街で生まれる。母はドイツ人、父はアメリカ軍人で、父ヘンリー・ブコウスキー・シニアが兵役でアンデルナッハに駐留していたときに、その地に住む母キャサリンと知り合った。父方の祖父もドイツ人である。ブコウスキーが3歳の時に一家はアメリカに戻り、ロサンジェルスに暮らす。同世代の子どもたちからは「ドイツ野郎」とからかわれ、孤独で退屈な幼少時代をすごした。

ブコウスキーの父親は牛乳配達員の仕事をしていたが、自分ならもっとまともな職に就けるはずだという恨みや不満は厳しいしつけや冷酷な仕打ちとなって一人息子や母親にふりかかっていた。大恐慌の煽りをうけ、父親が失業すると、ブコウスキーはしばしば虐待の対象となった。自身の幼少期から青春時代までを描いた長編小説『Ham on Rye(日本語訳のタイトルは「くそったれ!少年時代」)』によれば母親は父に絶対服従しており、度重なる一方的な折檻についても「父さんはいつも正しいのよ」と息子に説明し、正当化していたようである。ブコウスキーはそのようにどこか歪んだ環境の家庭で育った。

五年生のとき、時の大統領ハーバード・フーバーがロサンジェルスを訪問したときのことを作文を書くと、先生は彼の文章を絶賛し、クラスみんなの前で発表した。しかしブコウスキーは実際には大統領の演説を見に行ったわけではなく、すべて空想で書いたものだった。後になってそのことを白状すると、先生は彼を叱るどころか、だから上手く書けているのだと褒めたたえた。ブコウスキーはこのとき「人は真実を求めているのではなく、上手く出来た嘘を求めているのだ」と気付き、自分は作家であるということを意識し始めたようである。

中学、高校と退屈な日々は何も変わらなかったが、高校生のときにひどいニキビに悩まされ、それは手術を受けるほど深刻なものだった。顔、身体を治療にあてるも腫れ物はいっこうにひかず、数十回にもわたる施術はブコウスキーの外見を醜いものへと変えてしまう。ブコウスキーは容貌への強烈な劣等感に苦しみながら多感な思春期をすごすことになった。

高校卒業後、デパートに就職するが仕事に興味が持てずに辞めてしまう。ロサンジェルス・シティ・カレッジに入学し、ジャーナリズムを専攻するも、この頃書いていた小説が父親に見つかり、タイプライターと原稿を庭先にばらまかれたことに激高し、家を出る。肉体労働をしながら酒を飲んではギャンブルに明け暮れ、喧嘩を繰り返しながら各地を放浪、無頼の日々を送る。マフィアのボスに気に入られ、仲間に誘われるなどしていた。しかしどんなに滅茶苦茶な生活でも作品は書き続けていた。

1952年ごろから郵便局で働き始める。同じ時期にミニコミ誌に詩を投稿するようになり、その雑誌の主宰者であったバーバラ・フライという女性と文通する。ブコウスキーは彼女に手紙でプロポーズし、55年に二人は初めて対面して結婚した。バーバラはテキサス州の富豪の娘で、ブコウスキーは郵便局の仕事を辞めてテキサスで暮らすが、三ヶ月後にはロサンジェルスに戻っている。バーバラとの結婚生活は57年まで続いた。

郵便局に再就職し(今度は12年間続けることになる)昼は働き夜に書くという生活が始まる。60年に最初の詩集が出版され、その二年後には第二詩集が出版された。この頃ニューオリンズで『ジ・アウトサイダー』という文学誌を作っている夫婦と知り合いになり、彼らの雑誌に作品を寄稿するようになった。また彼らの手で55年から書き溜めていた詩がまとめられ出版された。

63年に同じく詩を書いているフランセス・スミスと知り合い同棲を始める。翌年、二人の間に娘が誕生する。ブコウスキーにとってははじめての子どもだったが、彼女にとっては5人目の子どもだった。執筆は順調で、65年に出版した散文集のなかで初めてヘンリー・チナスキーというブコウスキーの分身ともいえるキャラクターが登場している。66年には寄稿家でもあったLCLAの学生がブコウスキーの詩を集めて作った『ファック・フェイト』というポエトリー・ペーパーがわいせつ文書だとして摘発を受ける。

ブコウスキーの名前が知れ渡るようになるのは、60年代も後半になってからだった。ロサンジェルスのオルタナティヴ・ペーパーの『オープン・シティ』にNote of a Dirty Old Manという連載コラムを書き始めると評判になり、単行本化されるとたちまち二万部が売り切れ、ドイツでも翻訳されて出版された。

70年、50歳のブコウスキーは15年勤務した郵便局を辞め、晴れて専業作家となる。郵便局を辞めた翌日から『ポスト・オフィス』という長編の執筆にとりかかり、わずか三週間で一気に書き上げた。



くそったれ!少年時代 (河出文庫)
チャールズ ブコウスキー
河出書房新社

2012-03-27

ブコウスキーとゲンスブール(1)


...私は目を閉じて波の音に耳を傾けた。海の中には無数の魚たちがいて、お互いを食べ合っている。飲み込んでは排泄する果てしない数の口と尻の穴。この世はすべて穴に尽きる。食べて排泄して性交するだけだ。—チャールズ・ブコウスキー『Ham on Rye』(1982年)



俺はリラの門の切符切り/人がすれ違っても目にもとめない男/地下に太陽はない/妙なクルージングさ/......穴をあける、小さい穴、ほらまた小さい穴/小さい穴、小さい穴、いつもいつも小さい穴/これじゃあ気も狂うさ/銃も手にしたくなる/その銃で穴をあけるのさ、小さい穴、最後の小さい穴/それで俺は大きい穴に入れられる/そこだともう穴の話は聞かずにすむ、穴のおとはいっさいなし/小さい穴の、小さい穴の、小さい穴の...—セルジュ・ゲンスブール『Le poinçonner des Lilas』(1958年)





セルジュ・ゲンスブールのデビュー曲『リラの門の切符切り』は、ぼそぼそとつぶやく男の暗いシャンソンのようなポーズをとりながらも革新的な内容で、作家・詩人・トランペット奏者・画家・劇作家・俳優・歌手と、20以上の顔を持つボリス・ヴィアンから「アンチ・シャンソンの誕生、シャンソンはゲンスブールとともに新世紀に入る」と激賞された。

ゲンスブールはこの曲で、ひたすら切符を切り続ける地下鉄の改札員のことを歌っているのだが、地下の暗い世界で切符を切り続ける孤独な男が外の世界へ逃げ出したいと願うも、来る日も来る日も小さな穴をあけているうちについには気が変になって死の願望にとりつかれるようになり、自らの頭にピストルで穴をあけて棺桶の待つ穴に急ぐという、まるで帝政ロシア時代の小説を思わせるような内容で(ゴーゴリのようなユーモアを持っていると私は思うのだが)、さらには繰り返される穴という単語がダブル・ミーニングで性的なメタファーを孕んでいるという、一筋縄ではいかないような歌詞である。

ゲンスブールはデビュー以来このような言葉遊びを好み、プロデューサーとしてアイドルや女優たちに楽曲を提供する時も彼のスタイルは徹底していた。主に性的な内容を扱ったものが多いのだが、それはロリコン趣味のエロオヤジといったイメージを安易に連想させるものではあるが、ユーモアのなかにありったけの皮肉を込めて、ある時には過激なほど自虐的な詞も書いた。

チャールズ・ブコウスキーの小説もまた、過激で自虐的だ。おそらくブコウスキー本人は自虐的な小説を書いているという意識はまるでないと思うのだが(彼が意識的に自虐的な内容を語るときは故意に誇張してユーモアたっぷりに、そしていつでも作家としての冷静な眼差しを欠くことはない)、私にはそのように感じられる。前回の記事でも書いたのだけれど、ブコウスキーの小説は自伝的というか、ほとんど自伝だ。だからブコウスキーの小説を過激で自虐的だと感じるのだとすれば、それはブコウスキーの人生、ブコウスキーそのものが過激に満ちた存在なのであり、自虐的に振る舞うざるを得ない決定的な何かが彼の人生にはあったのだ。

ゲンスブールにも同じようなことが言えるだろう。ゲンスブールに関する書物を読んでいると(どれも永瀧達治氏の本なのだが)、ゲンスブールにもっとも近い「危ないオヤジ」としてブコウスキーの名前が挙げられている。私は偶然にもブコウスキーとゲンスブールをほとんど大差ないタイミングで知ることになったので、ゲンスブールを聴きながらブコウスキーを読むという、方や伊達男の飲んだくれ、方や無頼派の飲んだくれという危険なオヤジとの三角関係に身をまかせながら、なぜこんなにも滅茶苦茶なオヤジに惹かれるのか、もはや狂気の沙汰ともいえるの彼らの生活、彼らの人生について想い、なぜ彼の歌は、なぜ彼の小説はこんなにも美しいのだろうと、もはや時代遅れとなって久しい彼らのこと、彼らの残した作品のこと、それらに恭しくキスをして行き着くことのない想いをめぐらせることにせっせと時間を費やしてきた。そのような私もだいぶ気違いじみているかもしれない。しかしこの二人の男は無茶苦茶でいながら、脆く、繊細で内気な男たちなのだ。まるで思春期の少年の心をそのまま残して、歳だけとってしまったような男たち。要は、とんでもない男たちなのだが。そんな二人の男について思うことを、明日にでも、もう少し。


ベスト・オヴ・セルジュ・ゲンスブール(2CD)
セルジュ・ゲンスブール
ライス・レコード (2011-05-01)

2012-03-23

チャールズ・ブコウスキー


チャールズ・ブコウスキー(Charles Bukowski / 1920-1994)はアメリカの詩人、作家。1944年、24歳で最初の小説を雑誌に発表するも、職を転々としながら飲んだくれの日々をひたすら執筆に打ち込む。1952年頃より郵便局に勤め(さらに飲んだくれながら)雑誌に詩を投稿するようになる。1960年、初の詩集が出版される。しかし昼間は郵便局で働き、夜に書くという二重生活は十年間も続けられた。50歳で郵便局を辞め、以降は(やはり飲んだくれながら)執筆に専念。遅咲きの奇人であった。73歳で亡くなるまで、50冊にもおよぶ詩集や小説が発表されている。自身の生活、体験を扱った作品が多く(というかほとんど自伝)、長編小説『くそったれ!少年時代』『勝手に生きろ!人生』『ポスト・オフィス』『詩人と女たち』の順に読むとブコウスキーの人生が一通りわかるようになっている。ラディカルで奔放な生き様から、パンク詩人の異名を持つ。





みんなが感心したりすることにわたしはまったく感心できず、ひとり取り残されてしまったりするのだ。例を挙げていってみると、次のようなことが含まれる。社交ダンス、ジェット・コースターに乗ること、動物園に行くこと、ピクニック、映画、プラネタリウム、テレビを見ること、野球、葬儀への参列、結婚式、パーティ、バスケット・ボール、自動車競争、ポエトリー・リーディング、美術館、政治集会、デモ、抗議運動、子供たちの遊び、大人の遊び.....ビーチや水泳、スキー、クリスマス、新年、独立記念日、ロック・ミュージック、世界の歴史、宇宙探検、ペットの犬、サッカー、大聖堂、優れた美術作品といったことにも、わたしはまるで興味を引かれなかった。
 ほとんどどんなことにも興味を引かれない人間が、どうしてものを書くことができるのか?どっこい、わたしは書いている。わたしは取り残されたものについて書いて書いて書きまくっている。通りをうろつく野良犬、亭主を殺す妻、ハンバーガーに食らいつく時に強姦者が考えたり感じたりしていること、工場での日々、貧乏人や手足を切断された者、発狂した者がひしめく部屋や路上での生活、そういったたわごと。わたしはそういったたわごとをせっせと書く.....―『ブコウスキーの酔いどれ紀行』中川五郎訳より




チャールズ・ブコウスキーという作家を知ったのはたまたまレンタルで借りてきた『ブコウスキー・オールド・パンク』(2006年)というドキュメンタリー映画だった。レンタル屋の棚に並ぶ映画という映画を片っ端から借りて観ていたモラトリアム期に(今だって充分そうだが)、ブコウスキーの名前を見つけたのだ。だから私は彼の作品を読む前に、彼の、年老いたパンクじじいの姿をこの目にひしと焼きつけることになったのだ。映画は朗読会の映像から始まるのだが、仄暗い部屋のライトの下、煙草をくゆらし、すでに呂律はまわらず酒瓶を片手に聴衆に向かって悪態をつき、酒がないと帰るだのとわめき散らす。ただの飲んだくれじじいである。

私はそれより以前にブコウスキーと同時代人でもあるケルアックが自身の小説をテレビ番組か何かの企画で朗読している映像を観たことがあったのだが、スーツを着込んだケルアックは俳優のようで、舌も滑らか、韻を踏むセンテンスは歌のように聞こえ、さらにはピアノ演奏付きという華やかな演出がなされていた。それにくらべてブコウスキーという爺さんは手始めにバーボンを一気に飲み下し、ぐだぐだと酒をくれだのなんだのと客とやり合う。そしてその特異な容姿。疣に覆われた赤ら顔、背を丸めた大きな図体、なんだか鰐のような男だと思った。

ブコウスキーは自身が醜いということも、ドブネズミのようにみじめな(みじめだった)生活を何の偽りもなしに作品のなかで洗いざらいさらけ出す。彼は専業作家になるまで怠慢な日雇いの肉体労働者で、稼いだ金はすべて競馬と酒代に消え、女と一緒に毎日飲んだくれるという生活を送っていた。酔っぱらいながら書いて書いて書きまくって、たとえ売れなくても文学的価値を認められなくても書くことをやめなかったし、死ななかった。毎晩郵便局の仕事から帰宅したあと、明日こそ辞表を出してあんな仕事辞めてやると酔っぱらいながら息を巻いてタイプライターに向かうのだが、次の日帰宅してみると、結局辞めることができなかったと言って女に泣きつく。それでもブコウスキーは死ななかった。

そんなわけで、私はこの数年というもの、ブコウスキーの作品を頻繁に読んでいる。U2のボノやショーン・ペーンがリスペクとする作家というフレコミで、日本では90年代にブコウスキーブームがにわかに起こったらしいのだが、私はだいぶ遅れてブコウスキーに夢中になっている。




ブコウスキー:オールド・パンク [DVD]
コロムビアミュージックエンタテインメント (2006-08-02)

2012-03-22

鬱々とした曇り空、または灰色をした映画音楽、ゴンザレス『ソロ・ピアノ』(2004年)


ゴンザレス(現在は改名してチリー・ゴンザレス)はフランス在住のカナダ人。シンガー、ピアニスト、プロデューサー。ジャンルにとらわれず幅広い分野で才能を発揮している何でも屋みたいな人。ジェーン・バーキンの『ランデ・ヴー』をプロデュース、ビョークのリミックスを手掛け、さらにはイギー・ポップのドラムを担当。クラシック、ジャズ、ダンスミュージックと、多彩で実験的な音楽を発信しています。

この『ソロ・ピアノ』というアルバムはタイトルのとおり、ピアノ一本で表現された16の小品を収めたもので、暗いフランス映画のような陰鬱さとジャズっぽい躍動感(といってもかなり抑えてあります)を兼ね合わせた、夜または雨、グレーな曇り空にふさわしい、繊細で静かなアルバムです。ピアノの音が小さくとても柔らかいのですが、弦を布に包むなどの独特なスタイルで演奏しているようで、ペダルを踏んだ際の摩擦音や鍵盤を叩く音も微かですがそのまま録音されています。暗い夜などイヤフォンを使用しながら耳をそばだてて聴いていると、いつの間にか世間からぽつんと離れてしまったかのような、自分とそこにはピアノしか存在していないのではないかというような、心地良い浮遊感に浸ることができます。クラシックともジャズとも違う、本当に静かで色の感じられないアルバムなのですが、決して無味乾燥というわけではなく、むしろ静寂の中に響く雨音や微かな風の音のように自然音としてピアノの音が存在するように感じられるのです。


「ピアノはどんな楽器よりも多くの色を表現できると人は言う。確かにそこには白と黒がある。古い無声映画のようにね。僕はこれらピアノの曲たちを壁に映された影絵のように思う」ゴンザレス




そして私は今日も、一曲目の「GOGOL」のイントロで心を掴まれ、そのままゴンザレスの影絵劇場に引き込まれていくのでしょう。


Solo Piano
Solo Piano
posted with amazlet at 12.03.23
Chilly Gonzales
Pid (2010-09-14)

2012-03-21

ニュー・ウェーヴをボサノヴァで、その名もヌーヴェル・ヴァーグ!



私のiTunesライブラリの再生回数で常にトップに居座り続けているアルバムが、フランスの男女混合ユニット、ヌーヴェル・ヴァーグの1st『ヌーヴェル・ヴァーグ』(2004年)です。ヌーヴェル・ヴァーグは70年代後半〜80年代初期のパンク、ニュー・ウェーヴの音楽をボサノヴァにアレンジして、さらにはジャズ、ブルース、スカ、レゲエといった要素を盛り込んだカバーアルバムをいくつか発表しているのですが、「ヌーヴェル・ヴァーグ」というユニット名はフランス語で新しい波の意味、「ボサ・ノヴァ」はポルトガル語で新しい波、「ニュー・ウェーヴ」はもちろん...というわけで、うまいぐあいに三拍子揃えるという茶目っ気たっぷりのユニットなのです。そしてこの1stアルバムのジャケットはおそらくゴダールの『女と男のいる舗道』の娼婦ナナに扮したアンナ・カリーナではありませんか!2ndアルバムのタイトル『Band a Part』もゴダールの作品(邦題『はなればなれに』)からとってつけていたり、さらにはベスト盤のジャケットがゴダール映画のクレジットの雰囲気そのままにといった感じで、映画界のヌーヴェル・ヴァーグにまで目配せをするという徹底ぶり。これだけでもう私は完全にノックアウト状態なのです!

ヌーヴェル・ヴァーグはプロデューサーでもある男性二人が中心人物となって、曲ごとにアーティストを変えるという方法をとっていて、女性ヴォーカルがメインなのですが、一枚のアルバムで様々なヴォーカルが聴けるというのも彼らの魅力のひとつとなっています。ポスト・パンク、ニュー・ウェーヴなる音楽が世界を席巻していたまさにその時代に生まれた私は、正直、恥ずかしながらヌーヴェル・ヴァーグがアルバムで取り上げるオリジナルの楽曲をほとんど知りませんでした。洋楽はビートルズにはじまり、ビーチ・ボーイズ、ボブ・ディラン、ドアーズ、クリムゾン、さらには渋谷系なるものに感化されてからというもの、60年代後半のテクニカラーを塗りたくってフラワーをちりばめたあのサイケデリックな世界、サイケデリックな音がどうしようもなく好きで、デヴィッド・ボウイを聴くようになり、やっと70年代のロックも少しずつ聴くようになったのですが、パンク・ロックはあまり得意ではなくて(JAMとClashは例外なのですけども)、その後のニュー・ウェーヴもなんだか気が乗らなくて、何から聴いて良いのかわからないというのもあったのですが、それでも機会があればいつかちゃんと聴こうと思っていた、そんな矢先に出会ったのがこのヌーヴェル・ヴァーグだったのです。

私にとってこのヌーヴェル・ヴァーグのアルバムは青春時代を懐かしむといったような感傷的な記憶を呼び起こすものでも、ボサノヴァ風のアレンジに対する目から鱗の驚きというような感覚もほとんどないに等しいのですが、やはり音楽ファンを唸らせるアルバムなだけあって、私のようなニュー・ウェーヴを体験していない人間にも面白い発見があります。時代を遡ってオリジナルを聴いてみるというじつに単純な発想を実行に移したまでですが、それでもかなりの収穫がありました。1stアルバムの中では「This is Not A Love Song」という曲がとても気に入っているのですが、このオリジナルはPILで(もちろんPILについてもピストルズの人...というだけの認識)私はヌーヴェル・ヴァーグのメロディアスなアレンジで聞き慣れているものだから、オリジナルを聴いたときはあまりの能天気っぷりに思わず仰け反ってしまったのでした。このヌーヴェル・ヴァーグ、耳障りの良いお洒落なBGMとして流すのもそれはそれで素敵だと思うのですが、オリジナルを聴いてみるとまた別の発見があって面白い、奥が深いのです。そんなわけで、未体験のニュー・ウェーヴを少しずつ追いかけていけたら良いなあと思っているところです。





Nouvelle Vague
Nouvelle Vague
posted with amazlet at 12.03.21
Nouvelle Vague
Luaka Bop (2007-10-09)

2012-03-20

カトリーヌ、『エデュカション・アングレーズ』(1994年)


カトリーヌは女性の名前をしたフランス人男性。グループ名でもない。実際のところ、フィリップ・カトリーヌという男性と女性の名前を持ち合わせた(中性的で?)不思議な名前のようだけれど、これももちろんアーティスト名で本名ではない。フィリップ、つまりカトリーヌは日本では90年代半ばにカヒミ・カリィのプロデューサーとして知られるようになりました。最近だと映画『ゲンスブールと女たち』(2010年)にボリス・ヴィアンの役で登場し、一曲披露している姿が記憶に新しい。音楽活動のほうは『8番目の天国』(2002年)以降は追いかけていないのでよく分からないのですが、ここ2、3年のアーティスト写真を見たらすっかり変な(というか変態?かなり怪しい色モノっぽい)おじさんと化していて軽いショックを受ける。こんなに可愛らしいアルバムを作っていたフィリップ...どこへいっちゃったの?

そんなカトリーヌが十年前にリリースした2ndアルバム『エデュカション・アングレーズ(英国式教育)』(1994年)はお気に入りで何度も聴いていたし、今でもよく聴いている。ジャケットもすごく好き。カヒミ・カリィが国内盤のライナーを書いているというそれだけの理由で思わず買ってしまったのですが、自宅録音のあたたかみのあるチープなサウンドに女の子のウィスパー・ヴォイスが重なって、これはとても良いどころじゃない、最高に大好きなアルバムになるぞと聴いた端から思ったものです。


国内盤はボーナストラックも含めて19曲収録されているのですが、その大半が2分足らずと短くて、しかもフィリップ本人はほとんど歌っていません。それならば誰が歌っているのかというと、フィリップの妹のブルーノとフィリップのパートナーであるアンヌという女性二人がヴォーカルをとっています。面白いのはこの二人はカトリーヌの正式なメンバーというわけではなくて、カトリーヌの作った音楽にちょっとばかり参加したという感じだそうで、このラフさ加減と彼らの密な関係がサウンドにもうまく反映されているように思います。

一曲一曲が短いのと、アンヌとブルーノの対照的なヴォーカルが交互に並んでいるところに、どこか対話のようなイメージを受けとることができます。アンヌはコケティッシュでガーリーなウィスパー・ヴォイス、ブルーノは低音で曇り空のようなどんよりとした気怠さを思わせる声、そこにフィリップの男性にしては高音な声でコーラスが入り、まるで三人が気ままにピンポンでも楽しんでいるような、そんな穏やかな日常風景が浮かんでくるみたい。いつもどこへでも、ポケットに入れて持ち歩きたいような可愛い曲ばかりで、本当にずっと大好きなアルバムです。



エデュカション・アングレーズ
カトリーヌ
ポリドール (1995-03-13)

2012-03-19

正統派フレンチ・ロリータ、コラリー・クレモン『ルゥからの手紙』(2001年)


コラリー・クレモンは、フランス本国では21世紀のゲンスブールとも名高いミュージシャン、バンジャマン・ビオレーの9歳年下の妹で、兄のプロデュースのもと2001年にデビューしています。デビュー時の彼女はまだ大学在学中で、才能豊かな兄の後ろ姿を見て育ち、さらには同じ道を追いかけるといった形で、歌手としての才能を発揮、もしくは兄の手によって開花させたようです。彼女の一番の魅力は60年代のフランス・ギャルやフランソワーズ・アルディを彷彿させる舌足らずでどこか気怠いような雰囲気を持つウィスパー・ヴォイスで、これがもうウィスパー・ヴォイスマニアとしましては、最高の掘り出し物(といったら失礼かもしれませんが)で、長い間待ちわびていたウィスパー・ヴォイスのミューズといった感じの女の子。ジェーン・バーキンやヴァネッサ・パラディに連なる正統派フレンチ・ロリータを思わせます。しかし彼女はジェーンのようにセクシャルでもヴァネッサのように小悪魔的な存在でもなく、健康的な普通の明るい女の子といった印象で、そのことは等身大の女の子の気持ちを歌う傾向の歌詞にもあらわれているように思います。

彼女はこれまでにアルバムを3枚出していて、『ルゥからの手紙』(2001年)『バイバイ・ビューティー』(2006年)『Toystore』(2009年)、これらすべてのアルバムを兄のバンジャマン・ビオレがプロデュースしています。私はデビューアルバム『ルゥからの手紙』がもっとも好きで、アコースティックな楽器に彼女のウィスパー・ヴォイスが重なるだけの全体的にシンプルな作りになっているのですが、彼女の一番の魅力である歌声を最大限に味わいつくすことができる最良のアルバムです。彼女は少し早口で歌うところがとっても可愛い。『ルゥからの手紙』は秋に似合うアルバムで、落ち葉の舞う夕暮れ時なんかに聴くと最高の気分です。

2枚目以降はがらりと雰囲気が変わってロックになり、とはいってもやかましいほどではなくて、肩の力の抜けたような脱力系のサウンドが多く、ガーリー・ロックという言葉が当て嵌まりそうな爽やかでキュートな楽曲に仕上がっています。ウクレレやピアニカなどの楽器を詰め込んだ3枚目も遊び心も感じられて悪くはないのですが、彼女の魅力はやはり声だと思うので、琴線に触れるようなメロディーをさらりと歌ってもらいたい。そういう意味で、やはり彼女はデビューアルバム『ルゥからの手紙』ですでに完成されていたように思います。同じ82年生まれというだけの理由からまたもや勝手に親近感を抱いてしまっている私ですが、次のアルバムも楽しみです。


上の動画に流れるのは『ルゥからの手紙』に収録されている楽曲なのですが、ちょうどゴダールの『女と男のいる舗道』のアンナ・カリーナをフィーチャーした素敵な動画があったので。


ルゥからの手紙
ルゥからの手紙
posted with amazlet at 12.03.19
コラリー・クレモン
EMIミュージック・ジャパン (2002-05-29)

2012-03-13

何も起こらない映画、ジム・ジャームッシュ『ストレンジャー・ザン・パラダイス』(1984年・アメリカ=西ドイツ)


今よりも少し若かった頃、この映画をただひたすらにカッコイイ映画だと崇めていた時期があった。もしかしたら現在だって相変わらずそうかもしれない。前にも一度書いた、スクリーミン・ジェイ・ホーキンスのカセットテープをかけてNYの街を歩くエヴァの姿を思い出すと、今も胸が高鳴るようなときめきをおぼえる。そう、ジャームッシュの映画というのは好きか嫌いかではなく、作品に、ジャームッシュに恋をするようなものだ。ひとつの作品が気に入れば、その他の作品もすべて気に入ってしまうというのがジャームッシュである。そしてもちろん私が初めて観たジャームッシュの映画はこれである。


私は映画に限らず小説を読むときなどもそうなのだが、物語性を求めるというよりは音楽を聴くのと同じで、感覚にフィットするか否かで作品の評価は大きく変わってしまう。何も考えずに観ていると言われれば確かにそうなのかもしれないし、それは私がこれまで映画よりも文学に興味があったことも関係しているのかもしれないのだが、小説であればエンターテインメント性の強い作品よりも文学的なものを好む。文学的というのは言葉によって考えさせられるような作品ということだけれど、小説を読むときも語感というか単語と単語のつなぎ、リズムを重要視するし、文体こそが作家の生命だと思っている。もちろんプロットがそれなりにしっかりしていなければいくら小手先だけで巧みに言葉を操ったところで作品としては面白くないわけだけれど、まずは言葉、物語は二の次という意識が常に頭の中にあるので、どうしても映画も同じような感覚で観てしまう。

この映画のワンシーン、ワンカットのあいだに入る「間」というのは本のページを捲る感覚に似ている。何も起こらない「間」を待つことによって観客は物語の展開を考えさせられるし、この映画はおそらく意図的に何も起こらない「間」の部分を観客に考えさせるように作られたものだと思う。もしかしたらこの「間」というのは音楽にも共通していて、例えばアルバムの曲と曲の「間」に近いかもしれない。というわけで、この映画はもちろん映像を観ているわけだけれど、どこか本を読んだり、音楽を聴くような感覚に非常に近いような気がします。



この映画は本当に何も起こらない。もちろん劇中では何かが起こっているのだけれど、それは我々の日常と地続きになっているような感覚であり、うわべだけを観ればなんとなく通り過ぎてしまうような風景と同じである。だからこの作品に明確なテーマのようなものを見出すのは難しい。青春ロード・ムービーとして観る人もいれば、故郷や親類を疎ましく思うアメリカかぶれの孤独な青年と年頃の従妹の奇妙で歯痒くもどこか心温まる交流に共感するという人もいるかもしれない。私たちは事件的な出来事、例えば殺人事件が起きたり、ラブシーンがなければ何も起こらない退屈な話だと感じてしまいがちだ。しかしこの何も起こらない感じこそが、私がこの映画をとても気に入った理由のひとつなのだ。そして何も起こらない感じというのは、つねに派手な銃撃戦や巧みな陰謀が行われっぱなしのアメリカ映画というものをさらりと批判しているような気がしてくる。


事実、この作品にはアメリカ批判のようなものが織り込まれている。TVディナーを食べるウィリーに、エヴァがそれはどこの肉なのか?と疑問を投げかけたり、アメフトについて必死に説明するウィリーに対してくだらないゲームだとエヴァは言う。もちろんこうしたアメリカ的なものを否定するシーンがそのままアメリカ映画の批判に繋がっているとはもちろん言い過ぎかもしれないが、アメリカ的なものへの違和感が漂っている。しかしこの映画に登場する三人の若者はアメリカ的なものに対する違和感を抱きつつも、世間に反抗するわけでも絶望感を抱くわけでもなく、質素でも豪奢でもない平坦な日々を彼らなりの方法でやり過ごし、それなりに謳歌している。決して無気力というわけでもないのだが、ぬるま湯に浸かっているような彼らの生活は等身大の我々を映す鏡のようで何故だか親しみを感じてしまうのだ。


そしてこの映画の魅力はなんといってもエヴァである。スクリーミン・ジェイ・ホーキンスを理想の男性と崇めるエヴァ。いつも寝起きのようなぼさぼさの髪をして煙草をくゆらすエヴァ。ウィリーにもエディーにもおかまいなしのエヴァ。キッチンで一人、スクリーミン・ジェイ・ホーキンスにあわせて気怠く踊るシーンが大好き。エヴァの冷めたような無気力な演技が妙にかっこよくて、いつものことながら憧れてしまうのであった。


ストレンジャー・ザン・パラダイス
製作年:1984年 製作国:アメリカ=西ドイツ 時間:90分
原題:Stranger than Paradise
監督:ジム・ジャームッシュ
出演:ジョン・ルーリー、エスター・バリント、リチャード・エドソン、セシリア・スターク



ストレンジャー・ザン・パラダイス [DVD]
キングレコード (2006-11-22)

2012-03-09

スティーヴ・ブシェミ、『イン・ザ・スープ』(1993年・アメリカ)


ニューヨークで貧乏暮らしをしながら映画監督を志すアルドルフォ青年は、隣の部屋に住む美女、アンジェリカをヒロインに映画を撮ることを夢見る。しかし現実は家賃を払えず金に困り果て、長年あたためていたシナリオを売ると広告に出す。すると、ジョーと名乗る胡散臭い男が1万ドルで買うと言い、製作資金まで出してくれるという。しかしジョーは資金調達という理由でアルドルフォを連れ回し、アルドルフォは怪しい仕事に手を出すことになる...


この映画は監督自身の体験が元になっていて、金に困ってサックスを売りに出したとき、小物のギャングに出会って気に入られ、一作目の映画資金を出してもらったそうだ。タイトルの『イン・ザ・スープ』とは窮地に陥るというような意味があるのだが、映画に魅せられた普通の青年が、映画を作りたいがためにやくざの仕事に巻き込まれ、しかし映画の撮影はいっこうに進まない、これは当人にしてみれば本当にヤバい状態である。


この作品から私が感じたのは映画を作るということはスープを作るようなものだということだ。冒頭でアルドルフォが料理を作っている。卵を割り入れ、ベーコンエッグか何かと思って見ていたのが、そこに牛乳のような液体を注ぎ、モノクロの画面も手伝ってすごくまずそうな料理に見える。しかし出来上がって皿に盛ってみると、それはまずそうではない、きちんとしたスープの姿をしているのである。アルドルフォはそれを食べながら母親に電話をする。今月も家賃が払えないので送金を頼むよ、かあちゃん、といったぐあいにだ。



映画を作るとは、まさに鍋の中に監督の哲学と俳優を放り込むような感じで、火をつけたのはいいが、想定していた材料がなく、冷蔵庫の中にあるものでしか作れないといったような状況に似ているのだろう。鍋の中で煮詰まる具材、混ざる調味料、器に盛ればそれなりの料理には見える。熱いうちは良いだろう。湯気が立ち上り、美味そうな香りも漂ってくるだろう。しかしスープは冷めるとまずい。いくら味がよくても冷めるとまずいのである。情熱も冷めると後には虚無感しか残らないのと同じように。アルドルフォは最後まで映画への情熱を絶やさない。この映画を支えているのはアルドルフォの映画への情熱と、映画を愛する人間が持っている、映画への愛着である。アルドルフォの部屋にはポスターが貼ってある。タルコフスキーである。そして初期のゴダールが最高だと言う。アルドルフォは隣の部屋に住むアンジェリカをヒロインに映画を撮ってみたいと夢見ている。まるでゴダールが無名のアンナ・カリーナをヒロインに従えていくつも素晴らしい映画を世に送り出したように。



スティーヴ・ブシェミ(ブシェーミとも)というアメリカの俳優について私が知っていること。それは、コーエン兄弟やジム・ジャームッシュの映画に出てくる、殺されたり絡まれたりしていつも悲惨な目に遭っている「変な顔の人」だ。しかしアクターズ・スタジオ出身の確かな実力を備えた俳優で、個性的なルックスと不気味な佇まいで日本でも異様な人気がある。おそらく彼の出演作を何らかの形で観たことのある人間の大半は、スティーヴ・ブシェミという名前を知らなくとも、変な顔の俳優として記憶しているのではないだろうか。姿を見せたと思えばすぐさま殺されたりしてスクリーンからさっさと消えることも少なくはないし、どちらかといえば小物の役が多いけれど、顔のインパクトには相当なものがある。


変な顔、変な顔とばかり書いてたいへん失礼だと思われるかもしれないが、この作品は、変な顔の張本人であるブシェミが主人公なのである。おそらくこの監督は、ブシェミの最大の武器でもあり最高の魅力でもある、変な顔というキャラクターを活かしながらこの映画を作っている。アルドルフォのシナリオを買うと名乗り出た小物のギャングであるジョーは、アルドルフォの顔を見るなり、なんだかよくわからないがお前が気に入ったと言って、アルドルフォに一万ドルを渡す。隣の家に住むアンジェリカの甥っ子も、なんだかよくわからないが一目見た瞬間にアルドルフォのことが気に入った様子で彼を慕う。なんだかよくわからないが気に入った、というのはスティーヴ・ブシェミという俳優に対してわれわれが抱く想いそのものといった感じがする。



そして面白いのは、変な顔のブシェミがごく普通の青年をごく自然に演じているということだ。変な顔のブシェミが夢を追う貧しい青年を普通に演じていることに、われわれはどこかしら違和感をおぼえる。しかしその違和感も最初のうちだけで、やがて変な顔のブシェミが変な顔でなくなる、というか、変な顔と記憶していたブシェミがいつのまにか変な顔に見えなくなっている。最高の癒し系というか、癒されるような映画であることは確かなのだが、さらに恐るべきことに、怪しい役柄の多い三枚目で通っていたブシェミが、実は驚くほど二枚目な俳優ではないかということにはっと気付かされる。単なるモノクロ映画のせいなのかもしれないが、少なくとも私はこのアルドルフォという役を演じたブシェミは美男子(と書くとなぜか気持ち悪い感じがするが)と記憶している。私は歯並びフェチなのだが、ブシェミは笑った時の歯が両八重歯ぽくて良い。これほどブシェミの歯並びを愛おしいと思ったことがない。そしてなによりもこの映画のブシェミは立ち姿が美しかった。


ブシェミばかり褒めたような感じだが、この映画は本当に素晴らしい。私はエンドロールを最後まで観ることは滅多にないのだけれど、余韻に浸るような映画は久しぶりだった。



イン・ザ・スープ
製作年:1992年 製作国:アメリカ 時間:93分
原題:IN THE SOUP
監督:アレクサンダー・ロックウェル
出演:スティーヴ・ブシェミ、シーモア・カッセル、ジェニファー・ビールス、ジム・ジャームッシュ

イン・ザ・スープ プレミアム・エディション [DVD]
ジェネオン エンタテインメント (2007-05-25)

2012-03-07

ジョニー・デップ

いつからか、フランスを中心としたヨーロッパの映画を自然と好んで観るようになったけれど、それでもアメリカ映画のほうがずっと身近に感じるのはなぜだろうと不思議に思っていた。中学の頃にスクリーンという雑誌を定期購読していた子がいて、私は洋画はほとんど観たことがなく、彼女が話題に挙げる俳優の名前を覚えるだけでもちんぷんかんぷんだった。彼女は亡きリヴァー・フェニックス、そしてジョージ・クルーニーが最高だと言っていた。当時、ジョージ・クルーニーは医療ドラマのシリーズに出演していて、映画ではまだブレイクしていなかった。それでも彼女は「ジョージは最高だよ」と来る日も来る日も喋り続けていた。中学を卒業するその日までずっと、「ジョージは最高だよ」と言っていた。その直後、ジョージ・クルーニーがハリウッドで活躍する姿を芸能ニュースなどでもたびたび見かけるようになった。彼女には先見の明があったのだと私はひどく感心したのであった。そんなわけで、ジョージ・クルーニーを見ると今でも私は彼女のことを思い出すのだった。そして彼女のことを思い出すと、あの頃の、教室での出来事がよみがえってくるのだった。スクリーンからお気に入りの俳優の記事を切り抜いてノートにぺたぺたと貼っていた彼女。彼女を通じてハリウッドのゴシップをごくわずかだけれど私も齧っていたのだった。当時、世間ではいわゆるブラピ、ジョニデブームだった。しかし私のまわりではブラピは大人気だったけれど、ジョニー・デップの名前は一度も挙がったことがなかった。ディカプリオが好きだという子もいた。ちょうど『タイタニック』が公開される少し前のことだった。


またもやだいぶ脱線したが、私はアメリカ映画も好きである。そして私も例に漏れず、ジョニー・デップが大好き!なのである。しかし彼の出演作を観たのはだいぶ遅く、『パイレーツ・オブ・カリビアン』で文字通り大スターになってからだ。そこであまのじゃくな私は、あえて『パイレーツ〜』を最初に観ることは避け、彼のフィロモグラフィーをさかのぼって観ていくことにした。するとジョニー・デップという人はとても不思議な俳優だということが(今さら言わなくても誰もがそのように感じているだろうけれど)ことさらに浮き彫りになってくるのであった。

『パイレーツ〜』という映画は、どのシリーズを観てもその面白さはジョニー・デップが演じるジャック・スパロウというキャラクターに依るところが大きい。私は二作目の「デッドマンズ・チェスト」が一番好きで、普通に主役かと思いきや、主演であるジョニー・デップの立ち位置が絶妙である。オーランド・ブルームとキーラ・ナイトレイは基本的に一組でロマンスを展開するのだから物語の中心からブレないのだけれど、ジャック・スパロウはなにやら脇で一人チョロマカしている印象の作品なのだ。ジャック・スパロウという人物は基本的にはヒーローである。しかしヒーローでありながら同時に道化でもあり、すごいことをしながら面白いこともしてしまう。そしてアンチ・ヒーロー的な一面も持っている。そんなとんでもないキャラクターをジョニー・デップはいとも簡単に演じてみせるのだが、そのジャック・スパロウのキャラクターこそが、ハリウッドにおけるジョニー・デップの俳優としてのスタンスを見事にあらわしているのではないだろうか。

ジョニー・デップの過去のフィロモグラフィーはどれも作家性の強い佳作が多く、自ら好んでそういった作品に出演してきた俳優だということがわかる。ティム・バートンの映画だって『エド・ウッド』(1994年)なんてのはB級感が強すぎてけっこうひどい。それでも彼はドル箱映画が主流のハリウッドでいまだにスターの型に外れた反体制的(と書くと大袈裟かもしれないけれど)なことをしていたりする。『パイレーツ〜』への出演が決まったとき、ジョニー・デップはハリウッドに魂を売ったと嘆いたファンも大勢いたと聞く。しかし『パイレーツ〜』のジャック・スパロウのキャラクターというのも、実はハリウッドにおける彼自身の立ち居振る舞いを反映しているがゆえに魅力的にうつることは確かで、ジョニー・デップという人は子どもが生まれて父親になろうが、歳を重ねるごとに角がとれて丸くなったとしても、根本的な部分はぶれたりしないのである。それどころか新作が公開されるたびに、いまだに彼はいつもファンをドキドキさせたりハラハラさせたりする。


私は大半の作品が後追いになってしまったけれども、これから歳を重ねられ、俳優として進化し続ける彼を追いかけることができるのは幸せである。いつの時代も素敵だけれど、93〜95年頃の容姿がもっとも美しくて、その澄んだ少年のような瞳にはいつもほれぼれしてしまう。一番上の画像は93年頃で下は95年頃である。93〜95年というと、出演作もラッセ・ハルストレムのやさしい作品からジム・ジャームッシュの詩的で繊細な作品まで、私の好きな映画が並んでいるのも嬉しい。

こういった少しミーハーな記事もたまには良いかなと思っています。大好きな俳優、ミュージシャン、作家、男性に関する記事は「天井桟敷より愛をこめて」というカテゴリでこれから綴っていきたいと思います。女性はすでに「私のミューズ」というカテゴリで綴ってあります。


2012-03-05

ゴミ散らかったパリの魔法、ジャック・リヴェット傑作選『セリーヌとジュリーは舟でゆく』(1974年・フランス)

いきなり脱線するが、ものすごい映画に出会ってしまった時の感激というのは言葉にするのは難しい。もちろんここでいう、ものすごい映画とはほとんど個人的な感性や主観に左右される題材を扱った作品のことだけれど、ようするに好みの問題ということなのだが、わたしのなかでジャック・リヴェットという監督の作品はどれも(といいながら全作品を観たわけではないのだけれど)、昨日書いたジャック・タチの『ぼくの伯父さん』に匹敵するほど摩訶不思議で幸福な映画体験をもたらしてくれる。


ジャック・リヴェット傑作選という3枚組のDVDがあって、現在は廃盤になっていて通常価格の2倍ほどの値段がついているのだが、私はこの三つの作品を近所のTSUTAYAで、もはや購入したほうが賢明かもしれないと思いながらもしつこく幾度となく借りていたのだが、あるとき気付いたらいつのまにか棚から消えてしまっていて、それ以来観ることができないでいる。ある日なにかの拍子に無性に観たくなる映画というのが必ずあって、そういう映画というのは、面白いのだけれどはっきり言ってわけがわからないものが多い。どこが面白いのかと聞かれると答えに困るのだが、本人もよくわからないのだけれど面白いのである。映画というものは、もちろん小説だって音楽だってそうだが、二度と同じものは観られない。観るたびに以前には気付かなかった発見がなにかしらあるからだ。その時の体調や気分によってもまるで違うものに感じられることがある。いつ観ても面白い映画というのはそういうもので、面白い映画は何度観ても面白いのである。ジャック・リヴェットの映画とはまさにそのような類いの映画である。



ジャック・リヴェットの作品は時代こそ異なるがその舞台はほとんどパリである。しかしリヴェットの撮るパリというのは日本人がフランス・パリに抱いているような「洗練された」「お洒落な」というイメージとはまるでかけ離れている。この『セリーヌとジュリーは舟でゆく』(1974年)や、同じくジャック・リヴェット傑作選に収録されているビュル・オジエ親子が共演した『北の橋』(1981年)、舞台俳優志望の若者たちを主人公にした『彼女たちの舞台』(1988年)もパリが舞台になっているが、通りを彩るカフェとかまばゆい光に取り囲まれた建築物といった観光パンフレットに見るような美しい風景は登場しない。おまけにパリの空はいつもどんよりと曇って灰色だ。しかしリヴェット映画のパリはごみ散らかっていようが建設現場だろうがとても魅力的なのだ。もちろんそこに付属する登場人物たちの魅力というのがパリの街を魅惑的に見せる要因のひとつなのかもしれないが、リヴェットの作品に出てくる街こそが本来のパリの姿なのだろうという感じがする。そして、長回しのスタイルで捉えた風景をバックに繰り広げられる即興演出の面白さがわたしをいつも夢中にさせる。上の動画は『北の橋』のもっとも象徴的なシーン。



「たいていの場合 物語はこんな風に始まった」という字幕からはじまる『セリーヌとジュリーは舟でゆく』の冒頭は、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』のパロディになっている。公園のベンチで魔法の本を読んでいる図書館員のジュリーの前を、派手な緑色のボアを首に巻き、肩から荷物の入った大きな袋を下げた女(セリーヌ)が慌てたように駆けて行く。セリーヌは大きな袋からサングラスを落とし、続けてスカーフを落とし、ひとやすみしたベンチに人形を置いて逃げ去って行く。ジュリーはセリーヌの落とし物を拾いながら追跡を始めるが、セリーヌは追いかけるジュリーの存在に気付いていながらも大胆な行動をとる。ジュリーもまたセリーヌに気付かれていると分かりながらもこっそりと隠れたふりをしてみせる。まるで追跡ごっこを楽しむような彼女たちの表情を見ていると、てっきり赤の他人とばかり思っていた二人の関係性が非常に気になりだしてくる。しかし二人は「他人か?友人か?」という目で物語を追いかけてみても、どうやらそうでもないらしい。追跡ごっこのはてにセリーヌはある建物に入り、宿泊カードを書くよう求められる。彼女はそこで職業の欄に「魔術師」と書く。われわれはそこで魔法の本を片手に呪文を唱えていた冒頭のジュリーを思い出し、奇妙な追跡ごっこはセリーヌの職業が魔術師であることに関係があるのだろうと予想する。しかしシーンが変わってもこうした私たちの疑問は一切説明されないまま物語は進んでしまう。ちなみにこの台詞のない導入部だけで30分近い時間を消費しており、はっきり言って退屈である。しかしこの何も起こらない退屈な感じをやりすごせる人間だけがリヴェットの魔法にかかることができるのである。



この作品はストーリーがあってないようなもので、結末もあってないようなものである。物語として成り立たない映画というのはとにかく前衛的でこれまでにない面白いこと、かっこいいことをやってやろうという気迫が伝わってくるような、人間味に欠けた嫌らしい印象のものが多い。けれどこの映画は私たちの生きるごく普通の生活の延長上にあらわれた物語である。あるときは立ち止まり、道を踏み外したり、堂々巡りな日常からふらりと脇道に入って行くと、この映画のような夢物語にばったりと出くわしてしまいそうな、そんな予感を抱かせる物語なのだ。空想か現実かわからない世界を主人公が行ったり来たりするという話はさほど珍しいものではないけれど、この映画は空想と現実を区別して考えるような謎解きを最初から必要としていない。

記憶鑑賞会のできるキャンディや、四大(水、空気、地、火)で作った魔法の薬、魔除けの恐竜の眼といった子どもじみた装置が空想と現実をつなぐ役割として登場するが、それらもまた現実の中に取り込まれた夢物語の一部でしかない。こうした夢物語の装置がさらに夢物語な出来事を呼び起こすこの物語は、基本的に「空想/空想」の二重構造から成り立っている。もちろん現実がなければ空想世界も存在しないわけだが、この映画を観ていると現実が空想を作り出すのではなく、「空想/空想」の二重構造、もしくは空想の連鎖によって現実が見えてきたり、われわれの意識が元の場所に戻ってくるというような不思議な感覚になってくる。

こういう物語を何をすることもなくだらだらと眺めていられたら最高に幸せだろう。よくわからないが、そのよくわからない「謎」で三時間以上の映画を作ってしまうのだから、やはりこの作品には面白い以上のなにかがあるのだと思う。私はそれが何であるのかを探し当てようとして、いつもこの映画を観ているのだ。上映時間が三時間を越える作品でありながらその長さを感じさせず、映画が終わってほしくない、いつまでもこの世界に留まっていたいと思わせるような不思議な魅力を持っている。それがジャック・リヴェットの、ごみ散らかったパリの魔法なのかもしれない。



セリーヌとジュリーは舟でゆく
製作年:1974年 製作国:フランス 時間:192分
原題:CELINE ET JULIE VONT EN BATEAU
監督:ジャック・リヴェット
出演:ジュリエット・ベルト、ドミニク・ラヴリエ、マリー=フランス・ピジェ、バルベ・シュローベル、ビュル・オジエ



ジャック・リヴェット傑作選DVD-BOX
コロムビアミュージックエンタテインメント (2006-09-02)

2012-03-04

わたしのもっとも好きなフランス映画、ジャック・タチ『ぼくの伯父さん』(1958年・フランス=イタリア)


思えば、フランス映画の魅力を教えてくれたのはジャック・タチ(1907-1982)だった。『ぼくの伯父さん』(1958年・フランス=イタリア)という作品に出会ったのは、たまたまつけていたBSのチャンネルで放送されているのをなんとなく眺めていただけのことだったのだが、それまでは単なる娯楽のひとつとばかりに思っていた映画に対する見方を、この映画は一晩にして変えてしまったのである。そこから始まる映画に寄り添った人生、といっても20代に入ってからのことだからだいぶ大袈裟なのだけれど、トリュフォーもゴダールもリヴェットもルイ・マルも大好きな監督だが、一番好きなフランス映画をひとつ挙げろと言われたら、やはりジャック・タチの『ぼくの伯父さん』がわたしの原点のように思う。


ジャック・タチ(Jacques Tati)は本名をジャック・タチシェフと言い、もとはロシアの貴族の出身である。パリ郊外に裕福な額縁職人の家に生まれたが、若い頃から父親の見習いをするもひそかに額縁職人以外の道を探していたようだ。兵役についたことが人間観察のきっかけとなり、またラグビーの選手でもあったタチは(やたらと体格も良い)、手始めにスポーツのパントマイムを仲間内で披露したところ、受けが良かったので本格的に舞台役者としてのキャリアを開始した。タチの舞台は人気を博したが、家柄を重んじる父親には勘当される。20代半ばのことであった。父親との確執もあり、タチシェフという独裁的な響きのする名前をタチは自ら切り捨てた。上の画像はABCシアターという劇場で舞台の成功をおさめていた1936年頃のタチ。「伯父さん」姿ではない若き日の貴重な写真である。30歳手前といったところ。


タチは生涯に5本の長編映画を撮っている。そう、たった5本しか撮っていないのだが、タチの作品は現在までに続くコメディ映画の体系の要となっている。タチ自ら演じる「ムッシュー・ユロ」というおとぼけで粋で愛嬌のあるキャラクターをスクリーンに登場させ、そのどれもが軽快な楽しさと夏休みの終わりを思わせるいくばくかの寂しさが入り混じった思い出のように、いつまでも記憶に残る素晴らしい映画なのだ。


ぼく(ジェラール)のお父さんはゴムホース会社の社長。郊外の一等地に超豪華でモダンな屋敷に住んでいて、門の開閉から庭の噴水、キッチンにいたるまですべてがオートメーション化されている。けれど、ぼくはこの家を窮屈に感じている。そんなぼくは下町に住む無職のユロ伯父さんと遊ぶのが大好き。しかし自由気ままなユロ伯父さんに対して、ぼくのお母さんはお見合いの世話をしたり、お父さんは就職させようとするのだった...


この『ぼくの伯父さん』の主人公もタチが演じるユロ氏である。この映画には何も大胆な特撮や派手なアクションがあるわけでもない。格別面白いストーリーが展開があるとも言い難い。庶民が住むパリの下町と、対照的な上流階級のモダンなオートメーション化された屋敷を舞台にタチのパントマイムがひたすら繰り広げられる。しかしそれを何ともなくぼんやりと眺めていたら、画面を右往左往するユロ氏の世界にいつのまにか引きずり込まれていたのだった。わたしはチャップリンも大好きなのだけれど、チャップリンが喜劇に風刺を盛り込んだドタバタの定義だとしたら、もちろんタチもそこから派生しているわけだが、チャップリンほどドリフターズ的な笑いにはならない。フランス人に大爆笑はないとどこかで読んだか聞いたことがあったけれど、タチの映画を観てもお腹を抱えて笑うなんていうことはないのである。いつもクスクス、ニヤニヤといった感じなのだ。これを、エスプリ全開というのだろうか。


そして、タチの作品でもっとも重要なのは音響である。サイレント映画さながらの無口なユロ氏に変わって音響がとても重要な役割を担っているのだ。音が主役と言ってもよいのではないかと思われるほど、この映画はさまざまな音に彩られている。下町の舗道を走る馬車、市場の喧噪、女性のヒールの音や魚のオブジェから噴き出る水飛沫、絶妙なタイミングで流れるいかにも小粋なおフランスといった印象のメインテーマなど、独特の世界観と音響の見事な融合。チャップリンにも音楽の才能があったように、タチの音楽センスにも目を見張るものがあるように思う。


さて、チャップリンのパスティーシュともいえるタチの作品群のなかでも、この映画は『モダン・タイムス』を意識して製作されたのは明白である。チャップリンほど風刺的ではないが、ユロ氏の住むアナログアパートのささやかな暮らしぶりに見る人情深さ、郊外の一等地にある妹夫婦のオートメーション屋敷で繰り返される不可解な言動、どちらが人間らしく本当に充実しているのかということを「笑い」というオブラートに包みながら上品かつ辛辣に描き出しているのではないか。しかしそんな難しいことなどは考えずに、タチの映画はいつも夏休みの気分で、のんびりと寝転びながら観るのが一番似合うような気がする。


この映画のなかでもっともわたしが好きなエピソードはユロ氏のアパートの下階に住む年頃の少女とのやりとりである。最後のほうのシーンではすっかり洒落て大人びた雰囲気になった彼女に、一抹の寂しさを感じずにはいられないのである。


ぼくの伯父さん
製作年:1958年 製作国:フランス=イタリア 時間:120分
原題:Mon Oncle
監督:ジャック・タチ
脚本:ジャック・タチ
出演:ジャック・タチ


ぼくの伯父さん [DVD]
ぼくの伯父さん [DVD]
posted with amazlet at 12.03.05
角川書店 (2004-02-27)

2012-03-03

戦時下、ずれたコミュニケーションが笑いを誘うヒューマンドラマ『ククーシュカ ラップランドの妖精』(2002年・ロシア)


第二次世界大戦末期のフィンランド。その最北端にあるラップランドではロシア軍とフィンランド軍が戦闘中であった。そんななか、フィンランド軍の狙撃兵ヴェイッコは非戦闘的な態度をとったために罰としてドイツの軍服を着せられたまま岩に鎖でつながれ、戦友らに置き去りにされる。一方、ロシア軍大尉イワンは軍法会議にかけられる護送中に味方の戦闘機に誤爆され、重傷を負ってしまう。敵対する二人の男は原住民のアンニという未亡人に保護され、そこで奇妙な同居生活がはじまる......

この作品は第二次大戦という背景がありながら、戦争の残虐さや痛ましさを全面的に描き出すというよりは、コミカルなヒューマンドラマに仕上がっているので戦争という悲劇を一瞬忘れてしまうほど面白く眺めてしまう。もちろん戦闘機が頭上を飛び交い、銃を構える狙撃兵の姿というのも物語のはじめに映し出されるわけだけれど、戦場から一歩離れたアンニの家でヴェイッコとイワン、アンニの三人が繰り広げるドラマは完全に喜劇と呼んでもおかしくないかもしれない。戦争を舞台にした映画でこんなことを書くのはどこか不謹慎な感じもするが、そのような印象の映画であるから仕方がない。

この映画の面白さは戦争という悲劇に翻弄されて出会ったヴェイッコとイワン、アンニの互いの言葉が全く通じないということ。ヴェイッコはフィンランド語、イワンはロシア語、アンニはサミー語しか理解できず、さらにドイツ軍服を着ているヴェイッコをドイツ人だと思い違えたイワンは「クソくらえ」と罵り、ロシア語を理解できないヴェイッコはその言葉を聞き間違えてイワンの名前だと勘違いし、「クソクラ」とイワンのことを呼ぶようになる。終始このようなぐあいに、全く言葉の通じない三人のずれたコミュニケーションが笑いを誘うのだ。

また、戦争に行った夫の帰りを待つアンニは久しぶりに目にした男の姿に興奮しており、丸太を運ぶアンニを手伝おうとするヴィエッコが彼女の手に触れると、「触らないで!濡れちゃうから」とヴェイッコを叱りつける。手を振り払われたヴェイッコはアンニの冷たい態度に苦しむ。やがてアンニがヴェイッコに惚れていることに気がついたイワンは、相手が自分でないことに腹を立て、拗ねてしまう。元気のないイワンをアンニはキノコを食べて体を壊したのだと勘違いし、すごくまずそうな特効薬を呑ませて励ます。

こうした誤解だらけの共同生活が適度なバランスを保ち成立していたのはアンニの存在がなければ不可能なわけだが、ヴェイッコとイワン、特にイワンはヴェイッコのことをドイツ人だと完全に決めつけており、戦争なんてしたくないと説明するヴェイッコを終始罵倒し続け、アンニのいないところで常に二人は口論をしている。それでもアンニが「ご飯よ」と言うと(もちろん言葉は理解できないので、なんとなく食事なのかという感じが伝わるわけだが)「ああ、飯か」みたいなほっとした雰囲気がヴェイッコとイワンのあいだに流れる。こういったシーンからは陳腐な言い方になってしまうけれど、国は違えど人類はひとつなのだということをあらためて感じてしまう。

そして見終えた感想は、どこか惜しい作品だなということだ。もう少しですごく良い映画になりそうなのに、どこか手放しで面白かったと言えない部分がある。それは物語のはじまる前に字幕が入り、この映画はこういう物語です(敵対する二人の男が原住民の女性の家で出会い、三人は言葉が通じません)ということが明らかにされてしまうからだろう。もちろん説明されなければフィンランド語もロシア語もサミー語さえも同じ言葉に聞こえてしまうのだろうが、これらの言葉が聞き分けられるようであったのならもっと作品に深みが出るのだろうと思う。もしくは字幕を工夫するなどしてそれらしい雰囲気を出してもらえれば、だいぶ印象は変わっただろう。それでも不思議な魅力を持った映画であることに違いないのだけれど。

それにしても『ラップランドの妖精』という邦題はやや的外れというか、ポスターの雰囲気もちょっとやりすぎである。アンニが妖精ということになるのであればこれはちょっと閉口してしまう。ロシア語の「Kukushka(ククーシュカ)とは英語でいうところの「Cuckoo(カッコー)」、自分の巣を持たずに他の鳥の巣に卵を産み落とすカッコー鳥のこと。この意味深なタイトルも最後の最後に明らかになる。もしかしたらこの映画の下敷きになったのは、ジャン・ルノワールの『大いなる幻影』(1937年)ではないかと勝手に想像しています。


ククーシュカ ラップランドの妖精
製作年:2002年 製作国:ロシア 時間:104分
原題:KUKUSHKA
監督:アレクサンドル・ロゴシュキン
出演:アンニ=クリスティーナ・ユーソ、ヴィッレ・ハーパサロ、ヴィクトル・プィチコフ


ククーシュカ ラップランドの妖精 [DVD]
video maker(VC/DAS)(D) (2006-11-03)

2012-03-02

モニカ・ヴィッティ、アントニオーニ『太陽はひとりぼっち』(1962年・イタリア=フランス)


モニカ・ヴィッティ(Monica Vitti 1931年-)というイタリアの女優を知ったのはアントニオーニの『夜』(1961年・イタリア=フランス)という映画でした。これは私が初めて観たアントニオーニの作品でもあったのですが、マルチェロ・マストロヤンニとジャンヌ・モローが演じる倦怠期の夫婦の行動をひたすらドキュメントし続けるこの映画は極端に台詞も少なく、登場人物の内面を観客に伝えるような説明もなされず、まだそれほど多くの映画を観たことのなかった私には理解しがたく少々退屈に感じられるものでした。

しかし後半になって大富豪のパーティーのシーンに若い娘が登場し、彼女の姿が映し出されると映画の雰囲気が一転してこちらの視界もぱっと明るくひらけたような感じになったのを覚えています。それがモニカ・ヴィッティでした。当時、モニカ・ヴィッティとアントニオーニは恋愛関係にあり、アントニオーニ中期の作品に立て続けに出演しています。そして、アントニオーニのミューズとして、彼の作品を語るうえで欠かせない存在となります。



私が彼女の魅力の虜になったのは『夜』の次に撮られた『太陽はひとりぼっち』(1962年・イタリア=フランス)で決定的になりました。彼女の洗練された美貌は都会的な冷たさを感じさせるのですが、なんとなくどこかふにゃんと抜けているような不思議な印象を受けるのです。彼女のことを「けだるい」と表現されているのをよく見かけますが、まったくその通りで、けだるいのだけれど彼女の場合、それがそのままセクシーさに結びつくというわけでもないので、なかなか素顔がつかめない不思議な女優さんで、それもまた彼女の魅力でもあるのですが、やはりアントニオーニの映画に生きる、虚無感に苛まれた女というキャラクターがもっとも強烈であったがゆえだと思います。笑ったかと思えば作り笑いですぐ無表情になり、いつも不安げな表情を浮かべていて、アントニオーニの映画では笑顔の印象がほとんどありません。それでもやはりモニカ・ヴィッティは魅力的で、たったいま寝て起きたような無造作なヘアスタイルがたまらなく自然で大好きで、ふんわりした猫毛のような美しい髪にいつもうっとりしてしまいます。



この『太陽はひとりぼっち』という映画は決して取っつきやすいとは言い難い内容なのですが、疑問やテーゼに満ちた暗示的なシーンが多く、何度も繰り返して観たくなるような面白い映画です。実は作品への理解を一番ややこしくしているのが『太陽はひとりぼっち』という、いかにもアラン・ドロンにのっかった邦題なのではないかと思っています。原題の「Eclipse(エクリップス)」を辞書で引くと、天文用語の「食」とあり、ラスト数分の風景のシークエンスを観ていると日蝕のことだとわかります。邦題は意訳してあるというよりは、やはり前年の『太陽がいっぱい』にかけたものでしょう。この時代の邦題は『勝手にしやがれ』なんてのは最高にクールで、もはや何にも代え難いほど素晴らしいものもあれば、タイトルだけが一人歩きしているものも多いように感じます。流行の歌謡曲のタイトルをもじってつけたりとか、当時はそれがキャッチーでヒットしたのでしょうから、それはそれで良いのだけれど、時を経て私のような世代から見るとなぜこのタイトル?と疑問に思うこともしばしばあります。おそらく数十年後には昨今の映画の邦題も不思議に感じるのでしょうね。



この映画でもっとも目にとまるのは静と動のコントラストで、無機質で殺伐としたローマ郊外のニュータウン、怒号が渦巻く証券取引所で一喜一憂し、暴落で狂乱する人々の描写がだらだらと続いたあとの一分間の黙祷シーン。(ゴダールの『はなればなれに』で、一分間なにもしないでみよう、という沈黙の場面はここからきたのかなと思っているのですが)さらに静と動を一番端的にあらわしているのが、何を訊ねても「わからない...」という台詞が印象的な虚無感に苛まれるヒロインと、常に飛び跳ねているような軽薄で冷淡なブランド好きの底の浅い、アラン・ドロン演じる株式ブローカー。そして忘れてはいけないのが、モニカ・ヴィッティが黒人の真似をして突然はしゃぎまくるという滑稽なシーンです。


アントニオーニという人は本当に強烈な個性、視点を持った監督だと思います。本来ならば表立ってスクリーンに登場するはずのない監督自身の存在がそこにいる俳優以上に押し出されているように感じるからなのですが、この作品もいつもながら殺風景な舞台装置には現実味がなく、すべてがアントニオーニによる作り物だということを意識せずに眺めることは不可能です。前に書いた『欲望』ではそのあたりが意図的に抑えられていたように思いますが、それでも60年代のファッションを身にまとった痩せたモデルを横一列に並べたシーンには「俳優は壁」と言っていたアントニオーニの存在を十分に感じさせるものになっていました。

この『太陽はひとりぼっち』で私が驚愕したのはあまりに空虚なラスト数分間の風景のシークエンスでした。この映画を観た人間だけが感じられる「終わり」、それは物語の終わりなのかドロンとヴィッティの恋の終わりなのか、はたまたわたしたち人間の、世界の終わりなのかどうかわからないが、観た人間の数だけ解釈があるというのがアントニオーニの映画で、こうしてあらためて書いてみるとやはり偉大な監督だと感じます。




太陽はひとりぼっち
製作年:1962年 製作国:イタリア・フランス 時間:124分
原題:L'Eclipse
監督:ミケランジェロ・アントニオーニ
出演:モニカ・ヴィッティ、アラン・ドロン ほか




太陽はひとりぼっち [DVD]
太陽はひとりぼっち [DVD]
posted with amazlet at 12.03.03
紀伊國屋書店 (2011-12-22)