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2013-07-20

サントラはお好き?(4)『セッソ・マット』音楽:アルマンド・トロヴァヨーリ


言わずもがな渋谷系界隈でだいぶ重宝されていたらしい、1973年のイタリア映画『セッソ・マット』のサントラは必聴。メインテーマの「sessomatto」はやはり名曲中の名曲!フリッパーズ・ギターの「Groove Tube」という楽曲でも使用されていました。

お姉さんの吐息のような色っぽいヴォーカルに笑い声と喘ぎ声がコラージュされていくという、なかなかぶっ飛んだ内容にもかかわらず上品でキャッチー。他の曲も渋谷系のイメージに代表される「小洒落た」という言葉に要約されてしまうにはどこか惜しいような、日本人の琴線に触れる郷愁を誘う情緒的なメロディが多く、サンプリングのネタに引っ張りだこの理由もなんとなく分かるような気がします。



音楽が評判になったことで、映画『セッソ・マット』は2005年に日本で初公開されました。「Sessomatto」とは「性」と「狂気」を合わせた造語らしく、日本では『色情狂』と、これがまたストレートに訳されていたのが素晴らしいです。ちなみにアメリカでのタイトルは『How Funny Can Sex Be?』で、全9話のオムニバス形式の馬鹿馬鹿しい能天気なお色気コメディです。

肝心な映画の内容はお洒落なサウンドのイメージをあっけなく裏切ってしまったようだけれど、よくよく考えるとサントラのジャケットはセクシーなナースの恰好。そして実は私、この映画は未見なのだった。映画を知らないのになんでサントラを買うんだ?と突っ込まれそうですが、これも90年代、渋谷系の大いなる遺産だと思っています。

音楽を担当したアルマンド・トロヴァヨーリは200本以上の映画を手掛けたイタリア映画界の至宝、もはや巨人とも言うべき存在。今年の2月に世界中の音楽ファンに惜しまれながら95歳で亡くなりました。『黄金の七人』『女性上位時代』『昨日・今日・明日』と、日本でもお馴染みのイタリアン・コメディを彩る楽曲を数多く残し、サントラも人気が高くマストアイテムです(廃盤になっているものが多いけれど)。

トロヴァヨーリはもともとジャズバンドでキャリアを積んだ人で、その後カンツォーネの歌手に楽曲を提供したこともあり、ジャズ畑で培った洗練された都会的なサウンドと、民謡や歌謡曲などの庶民的な音楽が彼のスコアには反映されています。特にキッチュなコメディ映画では後者の色合いが顕著。

トロヴァヨーリのユーモラスでキャッチーでお洒落なサウンドを生み出すセンスに触発された若者が、20年後の日本で一大ムーブメントを巻き起こしたことを考えると、本当に偉大な人だったのだなぁと感じます。今更ながら。



YouTubeを検索していたら、「Groove Tube」のPVを発見!初めて最後まで見ましたが、解散後の彼らしか知らない私はとっても感激。91年にこれ!やっぱりこの人たちすごい面白かったんですね。


セッソ・マット
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2012-03-20

カトリーヌ、『エデュカション・アングレーズ』(1994年)


カトリーヌは女性の名前をしたフランス人男性。グループ名でもない。実際のところ、フィリップ・カトリーヌという男性と女性の名前を持ち合わせた(中性的で?)不思議な名前のようだけれど、これももちろんアーティスト名で本名ではない。フィリップ、つまりカトリーヌは日本では90年代半ばにカヒミ・カリィのプロデューサーとして知られるようになりました。最近だと映画『ゲンスブールと女たち』(2010年)にボリス・ヴィアンの役で登場し、一曲披露している姿が記憶に新しい。音楽活動のほうは『8番目の天国』(2002年)以降は追いかけていないのでよく分からないのですが、ここ2、3年のアーティスト写真を見たらすっかり変な(というか変態?かなり怪しい色モノっぽい)おじさんと化していて軽いショックを受ける。こんなに可愛らしいアルバムを作っていたフィリップ...どこへいっちゃったの?

そんなカトリーヌが十年前にリリースした2ndアルバム『エデュカション・アングレーズ(英国式教育)』(1994年)はお気に入りで何度も聴いていたし、今でもよく聴いている。ジャケットもすごく好き。カヒミ・カリィが国内盤のライナーを書いているというそれだけの理由で思わず買ってしまったのですが、自宅録音のあたたかみのあるチープなサウンドに女の子のウィスパー・ヴォイスが重なって、これはとても良いどころじゃない、最高に大好きなアルバムになるぞと聴いた端から思ったものです。


国内盤はボーナストラックも含めて19曲収録されているのですが、その大半が2分足らずと短くて、しかもフィリップ本人はほとんど歌っていません。それならば誰が歌っているのかというと、フィリップの妹のブルーノとフィリップのパートナーであるアンヌという女性二人がヴォーカルをとっています。面白いのはこの二人はカトリーヌの正式なメンバーというわけではなくて、カトリーヌの作った音楽にちょっとばかり参加したという感じだそうで、このラフさ加減と彼らの密な関係がサウンドにもうまく反映されているように思います。

一曲一曲が短いのと、アンヌとブルーノの対照的なヴォーカルが交互に並んでいるところに、どこか対話のようなイメージを受けとることができます。アンヌはコケティッシュでガーリーなウィスパー・ヴォイス、ブルーノは低音で曇り空のようなどんよりとした気怠さを思わせる声、そこにフィリップの男性にしては高音な声でコーラスが入り、まるで三人が気ままにピンポンでも楽しんでいるような、そんな穏やかな日常風景が浮かんでくるみたい。いつもどこへでも、ポケットに入れて持ち歩きたいような可愛い曲ばかりで、本当にずっと大好きなアルバムです。



エデュカション・アングレーズ
カトリーヌ
ポリドール (1995-03-13)

2012-01-10

映画、春にして君を想う 小沢健二、春にして君を想う

小沢健二の楽曲に『春にして君を想う』という歌がある。この曲が収録されたシングルは1998年1月に発売されたが、その翌月のテレビ出演を最後に、小沢健二は十数年にわたり表舞台から姿を消す。もちろんファンのあいだでは最後のシングルとして重宝されていたが、大げさに解釈すれば死期を匂わせるような内容の歌詞であったために胸を痛めるファンも多く、2010年にライブ活動を再開するまで長年にわたり、様々な憶測を語るのに恰好の要因のひとつにもなっていた。




邦題『春にして君を想う』という1991年のアイスランド映画がある。おそらく小沢健二はこの映画を観ていたのだろう。原題は『Born natturunnar』で、ほとんどの国が「Children of Nature」と原題そのままのタイトルを使用しているのだが、日本では『春にして君を想う』という抒情的なタイトルがあてられた。これはオープニングに登場する農夫たちの合唱の歌詞から取ったもののようである。私は三、四年前にこの映画を観たが、その時点ではこの作品全体をうまいぐあいに覆っている不気味で陰鬱な雰囲気が、どこか青臭い感じのする邦題とどうもしっくり噛みあわないでいた。


しかしこの映画はとても不思議な映画で、後から後からじわじわと心地良い安堵感がやってくるのである。それは癒し、一種のカタルシスとでも言うべきなのだろうか。スピード感もなければ会話にすら躍動感はなく、派手さとは一切無縁であり、格別きれいな映像だともいいがたいのだが、まるで数日前に観たような気さえするほど、忘れられない映画のひとつとなっている。『春にして君を想う』という邦題は今では何にも代え難い美しいタイトルであると確信している。


この映画は年老いた男女のロード・ムービーである。妻に先立たれ、アイスランドの農村で一人暮らしをしていたゲイリという名の老人が長年守り抜いて来た農場を捨て、都会に住む娘夫婦のもとに身を寄せることを考えるのだが、突然の同居が快く受け入れられるはずもなく、仕方なく老人ホームに入所する。そこで偶然に再会した幼馴染みのステラが「死ぬ前に故郷に帰りたい」と言い出すのであった。


老いるということは子供に還るということなのだろうか。子供に還るということは原初の状態、つまり自然に還ることを意味するのだろう。この映画の要は原題にもある通り、アイスランドの自然美だ。可憐な草花、澄みきった水面、透き通るような月といった神秘的な自然描写。もちろんただ単に美しいというわけではなく、鬱蒼とした植物やごつごつとした岩場だとか、人間の手が入らない作り込まれた感じのなさが現地の厳しさを物語る。


そしてこの土地の晴れることのない深い霧はどこか不気味で陰鬱な雰囲気を持っている。それはこの作品が子供時代を過ごした故郷へ戻る物語であると同時に死に向かう物語であるということの象徴なのかもしれず、美しい風景を見たときに感じる物悲しさが全編をとおしてひしと伝わってくる。


老人には何かが起こりそうな気配というのがあまり感じられない。強いて言えば真っ先に思い浮かぶのは「死」という象徴的な出来事だが、老人だろうが若者だろうが死期というのは誰にもわからない。しかしもっとも「死」に近い存在という意味で「死」は老いにつきまとう。この映画は何かが起こりそうだけれども、 主人公が老人であるために劇中で起こりそうな「何か」というのはつねに死の気配を孕んでいる。逆に言うと「死」以外には何も起こりそうにないということもできる 。


老人ホームを抜け出した男女が新しいスニーカーを買い、車を盗難し、故郷の土を踏みたいという気持ちに突き動かされて行動する姿というのは見ていてとても滑稽で不思議な感じがする。老人ホームを抜け出して逃亡するというのは非常にドラマチックではあるのだが、ゲイリが孫の没頭する世界が理解できずに困惑していたように、ゲイリとステラの逃亡劇もまた我々とは別の世界で起きた出来事のように思えるからだ。そのように感じるのは我々が老人を社会から隔絶された存在だと位置づけてしまっているからなのかもしれないし、逃亡中のゲイリとステラが捜索願が出されたという報道をラジオで聞いても、そんなの私たちにはおかまい無しよ、というふうに世間を遠く離れたもののように切り離してしまうのも、普段の老人に対する無関心というものが社会にはあるからだろう。


そういった社会に不安や絶望を抱えながらも、強い意志を持って「死」に向かう老人の姿を、この映画はアイスランドの厳しい自然を脇に据えながら力強く描いている。終盤になるにつれてファンタジックなシーンも導入されていくのだが、はじめのほうにも書いたようにこれは還るべき確固たる場所を求める旅、子供に、自然に還る旅ということを考えると、現実を超越したものが出て来てもおかしくないのではないかという気になってくる。


ラストに登場するブルーノ・ガンツの天使はヴィム・ヴェンダースの『ベルリン・天使の詩』を知らない人間が見るとなんだかよくわけのわからない終わり方になってしまっているのだが、ヴェンダースの映画が果たして後世まで残るかそのあたりは謎ですが、自分が老いを感じたときふと思い出すかもしれない、そんな印象深い映画であります。


というわけで、映画の内容を反映させて小沢健二の『春にして君を想う』を聴くといつもとはまた違った響きがするようで、「老いることをおそれないのだ、だってそれはこどものように無邪気なことだもの」と彼は歌っているようでもありました。





凍える頬も寒くはない
お酒をちょっと飲んだからなあ
子供のように喋りたいのだ
静かなタンゴのように

君とゆくよ 齢をとって
お腹もちょっと出たりしてね?
そんなことは怖れないのだ
静かなタンゴのように

薄紅色に晴れた町色
涙がこぼれるのは何故と
子供のように甘えたいのだ
静かなタンゴのように

君は少し化粧をして
僕のために泣くのだろうな
そんなことがたまらないのだ
静かなタンゴのように

薄緑にはなやぐ町色
涙がこぼれるのは何故と
子供のように甘えたいのだ
静かなタンゴのように

子供のように甘えたいのだ
静かなタンゴのように


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ブロードウェイ (2004-03-05)

2012-01-07

彼女のいじらしいハミングはいつだって魔法のようだから

昨夜の予告どおり、今日は私の十年来のミューズとして心の核に君臨し続けておられる歌姫について付随する想いを綴りたいと思う。なにやら宗教めいた香りの漂う表現になってしまったが、今もなお聡明で可愛らしい方なので、今日は私の文体もいつもより柔らかな口調になりそうな気がしてもいる。

2000年代に入り、歌姫という言葉が幅広い意味であらゆる分野の女性歌手にあてがわれたが、今ではだいぶ使い古され、記号化された無機質な言葉のようでさえあるわけだが、さらに時代を遡ると、90年代前半にどこからともなくふらりとあらわれた歌姫がひとり、いたのであった。世間は彼女のことを「渋谷系の歌姫」とさかんに紹介したがっていたが、私自身(当時11-12歳)が渋谷系と呼ばれるものを渋谷の文化として体験しておらず、彼女の歌も渋谷系という名のつくモノのひとつとして聴いていたわけではなかった。そもそも渋谷系という言葉を知っていたかどうかすらあやしいところである。そしてそのころ渋谷系の王子と呼ばれていた小沢健二は「オザケン」として、襟の大きなシャツを着て、ブラウン管の向こうからいささかの胡散臭さをふりまいていた。(小沢健二のこのイメージは十年後に私のなかで激変する。もちろん素晴らしく良いものにである)

カヒミ・カリィを知ったのはアニメ「ちびまる子ちゃん」である。『ハミングがきこえる』(さくらももこ作詞、小山田圭吾作曲による)が「まる子」のオープニングを飾っていたのだ。同世代の人間と好きな音楽の話をしてカヒミ・カリィの名前を挙げると、たいていの相手は「ちびまる子ちゃん」のオープニングを連想するらしい。しかも、まる子の歴代のオープニングでは「ピーヒャラピーヒャラ」の次にこれを記憶している人も多いらしく、歌詞も覚えていてモノマネで歌えるという器用な方もなかにはいる。けれどカヒミが好きという友人はまわりにいなかったので(案の定、声がちょっと苦手という子もいた)学校ではカヒミ好きを公言することを封印していた。



そして私が動いている彼女を見たのは、「まる子」の放送の合間に流れていた森永ハイチュウのCMである。真っ赤なパッケージのハイチュウの山に寝転がって短い台詞を喋るのだが、彼女のウィスパーヴォイスは不思議なトーンを放ち、片言の日本語のように聞こえ、画面下に出現する「カヒミ・カリィ」というテロップも手伝い、国籍不明な佇まいであった。そして私は名前と歌声しか知らない彼女に淡い憧れを抱くようになる。

カヒミ・カリィ。魔術的な響きを持つミステリアースな名前、溜め息のような欠伸のような猫の鳴き声のような蚊の羽ばたきのような歌声、可憐で聡明な容姿、すべてにおいて完璧な一目惚れであった。こんなふうに書いてしまうとちょっと狂信的な気もするけれど、彼女はもうずっと私の憧れの女性のひとりである。アクサン、セディーユ、慣れない綴り字記号にうっとりした十代の頃は、歌詞カードの中から意味もわからぬままフランス語を書き写していた。彼女の活動に影響されて第二外国語には迷わず仏語を取った。(ここまでしておきながら仏語の上達とは無縁のまま現在に至る)




初めて買ったCDはまだ小山田圭吾がプロデュースしていた頃の『Girly』である。まずはキュートなタイトルにロック・オン!(余談ですが私の携帯のメールアドレスは変更するときには決まってこのカヒミ界隈をうろついています)彼女の容姿が好きだったので、ジャケットに顔が大きく出ているものを選んだ。このジャケットはゲンスブールの『メロディー・ネルソン』のジャケットのパスティーシュ。ぬいぐるみを抱いたキュートな姿のジェーン・バーキンで有名。もちろんそんな背景を知るよしもなく、さらには収録されている『LOLITA GO HOME』がゲンスブールの楽曲のカバーであることにもまったく気付かずに、そのまま十年近い歳月をすごした。のちにゲンスブールに興味を持って色々と調べていくうちに、実は自分が気付いていなかっただけで彼の曲を何度も何度も聴いていたという事実を知って驚き、そしてとても嬉しくなんとも言えぬ誇らしい(!)気持ちになる。
当時13歳?か14歳の私。カヒミ・カリィについてはほとんど何も知らないのに、小山田圭吾の名前は知っていて、彼がソロデビューした際にミュージックステーションでタモリに「一人なのにコーネリアスなの?小山田圭吾でいいんじゃない?」と突っ込まれていたのをなぜだかずっと覚えていた。しかし肝心な(?)、二人が恋人同士であるという事実はずっと知らずにいた。彼女のCDは近所の今はなき中古屋さんですべて揃えていった。運良くそこの中古屋さんには当時発売されていた彼女のCDがすべて置いてあったので、好きなジャケットから選んで買い揃えていった。CDは幾度となく聴いたけれど、彼女に興味はありながらも音楽雑誌まで手に取るようなことはなかったので、あのとき必死になって読み漁ってたらもっと早くゲンスブールやフレンチ・ポップ、ソフトロック、もちろん音楽だけではなく60年代〜70年代の素敵な映画の世界についても深く知ることができたのに、そう思うととても残念でならない。だから私はその時間を取り戻す為に、30代を目前にしてまさに十代の頃のような必死さで未だなまぬるい時に浸りながらこのようなブログをせっせと書いてしまっているのだろう。


カヒミは小柄で、歌声だけでなく普通に喋っているときの声もか細くて聞き取り難いくらいだけれど、声のイメージから儚げな女性をイメージすると、それは彼女にはあまり似つかわしくないような気がする。彼女は強く気高くて美しい人だ。凛々しさをたたえた大きな瞳は彼女の意思の強さをあらわしていそう である。ライフワークからは知的でクールな印象を受けることもあるけれど、彼女のインタビューや文章からは特別なバリアを張ることのないチャーミングな人柄が垣間見えたりする。そして、結婚されてからは言葉の節々にやさしさや柔らかさをまとった「色」が感じられるようになった気がしている。以前はカヒミ・カリィといえ ば白か黒、どちらか一色の人というイメージがあった。


カヒミ・カリィは正体不明だがなんだかとても趣味の良い人、という勝手なイメージが良くも悪くも90年代から現在もそのまま徹底して一人歩きしているような人かもしれない。しかし最近では定期的に更新されるブログを見ると、昔の彼女からは想像もつかなかったようなライフスタイルを提示していて、ほっとしたような寂しいような、複雑な気持ちでながめてしまうこともある。それでもカヒミはこれからも私の一部を負ってくれるのだろうと思う。だって、彼女のいじらしいハミングはいつだって魔法のようだから。その声で私は少女の気持ちを取り戻す。私はまだまだ甘い砂糖菓子の溶ける世界でくたびれたぬいぐるみを抱いていたいのかもしれない。



最後に『Girly』の可愛らしい歌詞カードを。これを見た瞬間(渋谷系のCDの作りってほとんどがそうなのだが)やっぱりカヒミはお洒落な人!というイメージが決定的になる。映画『カラスの飼育』に登場する「Porque Te Vas」のカバーも大好きで、今も時々当時を想い出しては聴いている。



Girly
Girly
posted with amazlet at 12.01.08
Kahimi Karie
CRUE-L RECORDS (1994-06-25)


さて、明日は語ることもためらってしまうほど美しい、世界一見目麗しきロック・スターでトリック・スターでスーパー・スターのお誕生日です。