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2013-06-26

Chantal Goya シャンタル・ゴヤ、ゴダール『男性・女性』のヒロイン


彼女は自分の世界を創る
いきいきとして優しく/デリケートで美しい顔
美しい歯 美しい肌/美しい骨格 美しい微笑
繊細な表情と/軽快で優雅な身ごなし
豊かな芸術的感受性に/恵まれた真実の美しさ
精神の怠惰ではなく/本能の誠実と明晰

— ジャン=リュック・ゴダール『男性・女性』



シャンタル・ゴヤ(Chantal Goya/1946年-)は60年代半ばに活躍したフランスのアイドル歌手。いわゆるイェイェ(アメリカやイギリスの新しい音の影響を受けた大衆音楽、フレンチ・ポップス)時代の全盛期にデビューした。ゴダールの『男性・女性』(1966年)のヒロインとして有名。

お母様がカンボジア人だそうで、ちょっぴりエキゾチックで日本人受けしそうな可愛らしい顔立ち。映画出演時は19歳で、まだあどけないほんわかした雰囲気の女の子だけれど、骨格がしっかりしたお顔なので、ふとした表情に高貴な強さ、厳しさも感じさせる。音程・リズム感が危うい舌足らずな子供っぽい歌声も愛くるしく、『男性・女性』以外の姿は拝見したことがないけれど、瞬く間に私は彼女の虜になってしまった。



『男性・女性』ではマドレーヌという名前の新人アイドル歌手を演じ、等身大の役柄のようだ。彼女のモットーは化粧をしないこと、ハイヒールをはかないこと、スカートもジュニア風。本当に薄化粧らしく、おでこの吹き出物もばっちり映っていてそのことがとても微笑ましく思えたり。癖のように幾度となく髪に手を触れる仕草に胸キュン。

いつもは小難しいゴダールだけれど、この映画は初冬のパリをはしゃぎ回る若者の姿を生き生きと捉えていて、カメオ出演で豪華アイドルも登場して可愛らしい青春映画といった感じ。とにかく声が可愛いシャンタル・ゴヤ。マドレーヌのモノローグと劇中のイェイェは、カタルシスにも似た作用を引き起こす。



キュートなゴヤちゃん(そう呼びたくなるのはなぜ?)に憧れて、無謀にも髪型を真似ていた時期があった。母親がアジア人で黒髪のおかっぱという馴染みのあるスタイルに親近感が沸いてしまったのだけれど、肝心な顔のパーツが全く別物だということを完全に忘れていた私は、どう見てもちびまる子ちゃんなのだった。鏡に向かって「髪型は可愛いけどなんか違くない?」と自問自答していた思い出がよみがえってくる...。



映画の挿入歌も収録されている彼女のベスト盤は現在も入手可能。
躍動感あふれる「tu m'as trop menti」は、60年代にトリップした雰囲気が味わえる大好きな曲!イェイェを代表する名曲だと私は思っている。




Complete Sixties
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CHANTAL GOYA
Magic Records (2008-06-03)

2013-06-18

ゴダールによる言葉をめぐる冒険と愛の物語、『アルファヴィル』(1965年)


おびただしいほどの言葉の氾濫。まずそのことに圧倒され、一度観ただけではこの映画の力のなんたるかを理解することは難しい。物語自体はそれほど複雑なものではないように思う。すべてをコンピュータで管理し、人々の感情を統制する銀河系の都市アルファヴィル。アルファヴィルの中心である巨大な電子指令機「α60」を操るフォン・ブラウン教授は悪であり、その娘ナターシャは「α60」の魔法にかけられたお姫様であり、ジョンソンは眠り姫を救うため悪と闘う王子様のようだ。

そんなありふれた童話を連想させる物語は言葉で埋め尽くされる。アルファヴィルの実態は言葉(音声)で説明され、くぐもるような不快な声で洪水のように流れていく。言葉(音声)はこの映画を構成するもっとも重要な要素であり、むしろ言葉が主役であると断言してもよいだろう。



しかしそれを嘲笑するかのように、この映画に描かれるアルファヴィルの人間には言葉の意味は知覚されない。アルファヴィルに暮らす人々は「α60」の命令のままに行動し、外部の国のことを考えるのは禁止されている。ホテルに到着したジョンソンは、そこで出会うすべての人間と会話が成り立たないことに唖然とするのだった。

アルファヴィルの人間が出会ってすぐに口にする「元気です、ありがとう、どうぞ」という言葉、これは「こんにちは、元気?」「ありがとう、元気だよ、あなたは?」という一連の挨拶を端折ったものだと考えることができるだろう。そしてこの台詞は「α60」による言葉の合理化の象徴とも言うべき重要なキーワードだ。

ジョンソンが跡を追って来た仲間のアンリは「why」という単語の意味がわからない。彼は次第に言葉を忘れている。こうしてさまざまな単語と表現は「α60」によって新たな意味へとすり替えられ、人々はコントロールされていく。



この映画は言葉をめぐる哲学であると同時に、過去と未来の物語である。そのことは劇中でも説明される。《人々は未来よりも過去のことを考えすぎるが、その過去を振り返るという行為こそ「α60」に対して効力を持つ》というのである。

アルファヴィルの住人にとって過去を振り返るということは涙を流すことであり、愛情を取り戻すということだ。ナターシャが「愛しています」という言葉を発して解放されるというのはいかにも!という感じで若干しらけてしまうが、愛情で「α60」を破壊するという発想もゴダールらしいといえばゴダールらしいテーマである思う。

そこで私の興味をもっとも引いたのは、この映画が過去と未来の物語とされていることだ。過去とは、未来とは、いつの時代を指すのだろうか?この映画が製作された1965年を現在と考えれば、コンピュータに管理された世界というのはそう遠い未来の出来事ではないはずだ。人間がコンピュータ(機械)に支配されるという構図はすでに数十年も前からさまざまな芸術で取り上げられてきたテーマであり、特に珍しいものではない。にもかかわらずこの映画には真新しさ(それこそがゴダール映画の精髄とでもいうべきか?)のようなものが感じられるのだ。



面白いのはアルファヴィルの住人に関する部分である。もっともらしい説明はアルファヴィルでは芸術家が排除されるという点だ。「150光年前の社会には小説家や音楽家がいたはずだがアルファヴィルにはまったくいない」という台詞が出てくる。芸術家は変なものを書くからという理由でアルファヴィルでは消されてしまうのだという。

おそらくゴダールはこの映画を撮った時点で、自身ないし映画界を取り巻く環境に何か違和感や危機感のようなものを抱いていたのではないだろうか。ゴダール自身の抱える苛立ちや苦悩、映画人として生きることへのしがらみや葛藤、娯楽ではないなにかというスタイルの映画を撮り続けるゴダールに対する風当たりの強さというものを想像せずにはいられない。そのような居心地の悪さを感じつつ、ゴダールは近い将来、芸術、大胆にいえば映画そのものはもはや取るに足らないものと見なされ、見向きもされなくなるだろうと予見しているのではないか?



さらに興味深いのは音と光の祭典といわれるショーである。アルファヴィルでは非理論的な行動をとった人間は非適応者とみなされ公開処刑される。具体的に紹介されるのは奥さんが死んだ時に泣いたという理由で殺される男だ。そこで語られるのはアルファヴィルに暮らす男女の比率が1:50という事実である。

アルファヴィルでは女性は生き残り男性は適応できずに死んで行く。アルファヴィルという未来都市は、女性によって創造されるひとつの階級社会ととらえることができるのだ。1965年はウーマンリヴがさかんに叫ばれ始めた時期であるから、そのような背景から生まれた発想なのだろうという見方もあながち間違いではないかもしれない。



この映画のダイナミズムを体験することはある種の苦行のようでもあり、幸福でもあり、まさにゴダール的な映画といった感じだが、それゆえ実験的な映画と捉えることもできるだろう。銀河系という言葉から単純にSF映画を連想するが、はっきり言って科学とはあまり関係がない。ゴダールによる言葉をめぐる冒険と愛の物語。そう考えるとしっくりくるのではないだろうか。

それにしても、この映画のシックなワンピース姿のアンナ・カリーナはいつも以上に魅力的、です。




アルファヴィル
製作年:1965年 製作国:フランス=イタリア 時間:100分
原題:ALPHAVILLE, Une Etranfe Aventure De Lemmy Caution
監督:ジャン=リュック・ゴダール
撮影:ラウル・クタール
出演:エディ・コンスタンティーヌ,アンナ・カリーナ,エイキム・タミロフ,ハワード・ヴァーノン,ラズロ・サボ,クリスタ・ラング


アルファヴィル [DVD]
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アイ・ヴィ・シー (2005-08-26)

2013-01-20

『勝手にしやがれ』のファム・アンファンなパトリシア、縞模様ファッションのジーン・セバーグ


—ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン!


シャンゼリゼのど真ん中で大声を上げながら新聞を立ち売りするアメリカ娘のパトリシア。『勝手にしやがれ』(ジャン=リュック・ゴダール、1959年)の、そしてヌーヴェル・ヴァーグの象徴としても有名なこのシーンで、ヒロインのパトリシアを演じたジーン・セバーグはなんともファム・アンファン(少年のような魅力を持った女性)な出立ちで登場している。新聞社のロゴの入ったぴったりとしたTシャツにサブリナパンツ、足元はぺったんこシューズ、小さな巾着のバッグを持ち、髪型は超ショートのセシルカットだ。

この作品は今観るとお洒落でファッショナブルな映画、ぐらいに捉えられるのが一般的だと思うのだが、ジーン・セバーグのファッションは、実は当時のパリの流行でもなんでもない。フランス人が抱いていた、性に対して解放的だというアメリカのヤンキー娘のイメージを反映させたファッションにすぎないのだというから驚きだ。Tシャツ姿のセバーグに向かって「ブラジャーつけてねぇのか?」と言うベルモンドの台詞からもそのような意味が汲み取れるかもしれないが、当時の日本人ももちろんパリの最先端のファッションと受け取っていたようだ。

オードリー・ヘプバーンの影響でサブリナパンツが爆発的な人気を誇ったのが1954年以降だから、この映画の公開が1960年ということを考えるとパンツスタイルはすでに定番のファッションであったのだろうと推測されるが、もの凄いラフな恰好のようにも感じられる。そしてセバーグの持つ中性性を際立たせているのは、なんといってもモンチッチばりのセシルカットであろう。



パリの(というかこの映画の)イメージが強すぎて、私自身いまだにセバーグがバリバリのハリウッド女優ということを忘れてしまうのだが、スウェーデン系アメリカ人の娘としてアイオワ州に生まれたジーン・セバーグは、もともとロングヘアの美少女であった。17歳のときに1万8千人の中からオットー・プレミンジャー監督の『聖女ジャンヌ・ダーク』の主役に抜擢されてデビューするが、このときジャンヌ・ダルクを演じる為にばっさりと髪を切っている。この作品は興行的にもふるわず、プレミンジャーはセバーグの演技に不満を爆発させまくっていたそうだ。

にもかかわらず、プレミンジャーはベストセラー小説『悲しみよこんにちは』を映画化するにあたり再びセバーグに主役を与えた。フランスの小説をハリウッド映画へと作り変え、主人公のセシルを文学好きな夢想家の少女から活発なブルジョワ娘へと大幅に変更、そしてセバーグをジャンヌ・ダルクと同じ少年のような短髪で出演させたのだった。セバーグの容姿が放つ溌剌とした健康的な明るさと、それとは対照的な思春期特有の不安定な脆さがうまく描かれた映画であるが、こちらも興行的には失敗している。しかし斬新なセバーグの髪型はセシルカットと名付けられ、世界中で大評判となったのだった。



『勝手にしやがれ』を撮影する際、ゴダールはセバーグに対し、「君は2年後のセシルということでいい」と伝えた。ゴダールの要望通りセシルカットで登場したセバーグは、終始ファム・アンファンな魅力を振りまいている。ゴダールは俳優の見せ方、とりわけ女優の魅力を引き出すことにかけてもかなりの名手である。アンナ・カリーナを筆頭に、この映画のベルモンドもそうだが、無名の俳優を一気にスターの座へと導いた。ジーン・セバーグも例外ではないだろう。プレミンジャーによって引き出されたセバーグのキャラクターを踏襲させたのは、おそらくゴダールにとってセバーグの子供っぽいユニセックスな雰囲気そのものが、インスピレーションの源になっていたからに違いない。ルノワールの少女像の横にセバーグを立たせた演出からもわかるように、この映画でゴダールはセバーグの美しさに対して溢れんばかりの賛辞を並べ上げている。

とはいえ、当時のフランス人が想い描いていたステレオタイプの開放的なアメリカ娘であるパトリシアは、子供っぽいようでいて本心は決して明かさず、狡賢いようなところもあり、なかなか掴みどころのない女性である。ベルモンドに「とびきりの美人というわけではないが、20点満点中15点といった感じの個性的な女」「ちょっと変わった女」と言わせていることからもパトリアがパリの女とはまるで違っていることがうかがえるのだが、パトリシアはパトリシアで一言目にはフランス人への不満を漏らし、「パリっ子のスカートってダサイ」と平然と言ってのける。パリがモードの中心であるという世界的な常識を考えれば、これはおそるべき台詞である。



パトリシアはどちらかというとファッションにはあまり興味がない女性のように描かれている。とりわけパリの流行にはまるで感心がない。パトリシアの目下の希望はアルバイト先の新聞社で記事を書かせてもらうことだ。パトリシアの部屋で繰り広げられる会話のシーンからパトリシアの興味の対象が明らかになる。絵画、クラシック、とりわけ文学への憧れが顕著なようだ。

それでも、パトリシアのファッションの趣味がおもしろいほど一貫していることには誰もが気付かずにはいられないだろう。パトリシアはいつも縞模様の洋服ばかり着ているのである。シャツもワンピースもタンクトップも、パトリシアの部屋で待ち伏せているベルモンドが着ているバスローブにいたるまで、なにもかもが縞模様なのだ。おまけにパトリシアがパジャマ代わりに着ているベルモンドのYシャツも縞模様ときている。



『勝手にしやがれ』が公開された当時のショックはいかなる手を使ってももはや体感することができない。どんなに強く望んでも、繰り返しビデオを観ながら想像することしか、誰かの記憶を掘り起こしてまとめられた書物から知り得ることしかできない。それがいまさら何になろう?と否定的に考えることもあるけれど、私はいつものように再生ボタンを押してしまう。

ヌーヴェル・ヴァーグの神話に生きるジーン・セバーグ。鏡のなかの、しかめっ面の彼女は今日も私をほんのすこし切なくさせるのだ。



勝手にしやがれ
製作年:1959年 製作国:フランス 時間:90分
原題:À bout de souffle
監督:ジャン=リュック・ゴダール
撮影:ラウル・クタール
脚本:フランソワ・トリュフォー
出演:ジャン=ポール・ベルモンド,ジーン・セバーグ,ジャン=ピエール・メルヴィル



ジーン・セバーグ
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ギャリー マッギー
水声社

勝手にしやがれ [DVD]
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ジェネオン・ユニバーサル (2012-04-13)



2012-04-10

ひとりの女と大金をめぐる二人の男の物語、またの名を「はなれ一味」 ジャン=リュック・ゴダール『はなればなれに』(1964年・フランス)

トリュフォーの『突然炎のごとく』のもっとも印象的なシーンに、ヒロインのカトリーヌが「つむじ風」という仲間内で作ったシャンソンを披露する場面がある。このシーンに感動したゴダールはトリュフォーの『突然炎のごとく』に対する答えとして『気狂いピエロ』を撮った。ヒロインのアンナ・カリーナが湖を臨む林の中でジャン=ポール・ベルモンドと「私の運命線」を歌うシーンがそれである。

トリュフォーとゴダール、どちらの作品もとても美しいシーンなのでそれについてはまた後日紹介するとして、ゴダールもまた、ひとりの女と二人の男という組み合わせで『はなればなれに』(1964年・フランス)という映画を撮っている。トリュフォーのように複雑な恋愛模様を展開させた男女の物語ではないが、若い男女の青春の一コマに大金が絡んだ痛快コメディといった感じの、ゴダール作品のなかではもっともお茶目でノーテンキな映画と言えるかもしれない。

原作は女流作家ドロレス・ヒッチェンズが1958年に発表した『愚か者の黄金』という推理小説で、ゴダールはこの小説をトリュフォーに薦められて読んだそうである。小説の舞台はロサンジェルスとその郊外だが、映画の舞台はパリとパリ郊外に、小説では数ヶ月の物語も映画では三日に集約されている。どこかロマンチックな香りのする第三者によるナレーションはゴダール本人によるもので、音楽は『女は女である』『女と男のいる舗道』に引き続き、ミシェル・ルグランが担当している。映画の冒頭で「ミシェル・ルグラン最後の?映画音楽」というクレジットがなされ、ギャグなのか予告なのかその狙いは定かではないが、ゴダールとルグランのコンビによる仕事は長編映画ではこれが最後となった。





『Bande à Part』という原題は「はぐれ軍団」とか「はぐれ一味」といった意味で、日本ではおなじみのズッコケ三人組、おとぼけ三人組といった呼び名がしっくりくるように思う。ひとりの女をめぐる二人の男という側面からこの映画を説明してみると、二人の男、フランツとアルチュールはともに犯罪小説マニアで、時間はたっぷりあるけれど金はない。二人はフランツが英語学校で知り合ったオディールという娘の叔母の屋敷にある大金を強奪する計画を立てる。フランツは美男子だがどこか向こう見ずな性格でいつも冷静だ。オディールからは「暗い」と言われている。一方アルチュールは短気で乱暴でフランツとは真逆の性格のように見える。しかし二人が唐突にはじめるビリー・ザ・キッドごっこや闘牛士ごっこの息はぴったりだ。フランツとアルチュールはまるでコインの表と裏のようである。

ヒロインのオディールを演じるのはやはりアンナ・カリーナだ。オディールのキャラクターを一言でいいあらわすとしたら、可憐な不思議ちゃんということになるのだろうか。アルチュールの言葉を借りれば、可愛いが頭が弱いということになる。自転車で曲がるときには誰もいない小道ですら必ず馬鹿丁寧に手で方向指示を出し、不安げな表情で「なぜ?」と「わからない」ばかり言い、ゴダール映画のアンナ・カリーナにしては珍しくひたすら受け身なヒロインである。オディールはアルチュールに一目惚れするが、粗野なアルチュールに対して怯えているようにも見える。うっかり名前を忘れちゃったとも言っているし、そもそも本気でアルチュールに一目惚れしたのかも怪しいところである。しかしオディールは最終的に二人の計画に加担する。粗暴なアルチュールと優しいフランツのあいだで揺れながらオディールははてのない夢を見ているようだ。





そんなことを書いてみたものの、この映画の面白さは物語そのものにあるのではなく細部にあるのだ。さきほども書いたオディールの自転車の件もそうだし、フランツとアルチュールの西部劇のヒーローの真似事や、アメリカ人観光客のギネス記録に挑もうと三人でルーヴル美術館を激走するシーンも傑作だ。実際には館内を走ることは禁止されていて、このシーンは一発撮りで警備員が止めに入る姿もしっかりと映っている。カンヌで公開される直前の『シェルブールの雨傘』のテーマが流れたり、トリュフォーの『柔らかい肌』への目配せなど、ヌーヴェル・ヴァーグらしい遊び心に満ちているのがなんとも微笑ましい。

そしてこの映画の一番の見せ場は三人がカフェですごす一連のシーン。「一分間黙っていよう」という沈黙から始まって、三人でダンスを踊るシーンまでの語りと音楽とサウンドの使い方だけでもゴダールが並大抵の監督でないことがわかるでしょう。うまいねえとしか言いようがないわけですよ。一分間の沈黙のシーンというのはアントニオーニの『太陽はひとりぼっち』にも似たようなシーンがあるのだけれど、アントニオーニは静と動の対比という形で沈黙シーンを織り込んだ。しかしゴダールの沈黙は一分と経たないうちに「飽きたからやめようぜ」と言う。このただの遊びにしか見えないシーンをさらっとやってのけるのがゴダールで、結局のところやはりゴダールはすごいということになるのですが、この踊りのシーンはどの映画でも観たことがない。カフェのシーンだけでも観るに値する素晴らしい作品だと私は思います。ゴダールだけれど小難しいことは一切なし、気楽に観れるというのも良いですね。



はなればなれに
製作年:1964年 製作国:フランス 時間:96分
原題:Bande à Part
監督:ジャン=リュック・ゴダール
原作:ドロレス・ヒッチェンズ「愚か者の黄金」
撮影:ラウル・クタール
音楽:ミシェル・ルグラン
出演:アンナ・カリーナ、サミー・フレイ、クロード・ブラッスール



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紀伊國屋書店 (2001-12-22)

2012-01-21

アンナはアンナである、ヌーヴェル・ヴァーグの花嫁 アンナ・カリーナ


ゴダールの映画が好き。というより、アンナ・カリーナが出演しているゴダールの映画が好きである。

カリーナのいないゴダール映画というのは、暖炉のない応接間、光の射さない窓辺のようである。ゴダール映画におけるアンナ・カリーナとは暖炉であり光なのである。アンナ・カリーナというひとりの女優をとおして彼の映画は息づき、感情という温度をまとい、美しくも哀しい言葉たちが、ときには溢れんばかりの愛に満ち満ちて、スクリーンをはしゃぎ回っているようでもあった。

ゴダールは、映画とは男が女を撮る歴史であると語ったが、ゴダールにとって女とは、少なくとも60年代の彼にとってのそれは間違いなくアンナ・カリーナであった。その証拠に、61年にゴダールはアンナ・カリーナを主役に『女は女である』というミュージカル・コメディのような稀に見る可愛らしい作品を撮ったが、それは映画をとおして『女は女である』ことの証明をおこなったのではなく、『アンナはアンナである』ことを一本のフィルムに収めたにすぎなかったからだ。

60年から67年のあいだに、アンナ・カリーナをヒロインにして、ゴダールは長編7本と短編を1本を撮っている。『小さな兵隊』『女は女である』『女と男のいる舗道』『はなればなれに』『アルファヴィル』『気狂いピエロ』『メイド・イン・USA』『未来展望』である。この7年のあいだに、二人は結婚し、離婚したが、カリーナは離婚後もパートナーとして彼の作品に出演し続けた。


「一人の女優と一緒に仕事をし、その女優を映画に出演させ、しかもその女優と一緒に暮らしていた」「アンナとぼくのこと」、「そしてある日、一人が涙を流している」としたら「その涙をそのあとの映画のなかで見てとることができた」(ゴダール全評論・全発言1)



私がアンナ・カリーナという女優を知ったのは、スクリーンの中ではなく、ある小説のなかにおいてであった。私が敬愛する作家のひとりである阿部和重の処女作『アメリカの夜』に、おそらくゴダールに関する諸説を引用するようなかたちでアンナ・カリーナの名前が登場したのだった。阿部和重は映画学校出身で、タイトルからしてトリュフォーなのであるが、彼の小説が好きでいろいろな作品を読んでいくうちに、私自身も映画を観るようになってしまった。

アンナ・カリーナという名前の響きがトルストイの『アンナ・カレーニナ』を彷彿させるので、実際に彼女の姿を拝見するまでは、ずっとトルストイの小説のカレーニン夫人のような内に情熱を秘めた凛とした貴婦人を頭の中に想い描いていたのだが、初めて観たゴダールの『気狂いピエロ』でそのイメージは跡形もなく崩れ去ってゆく。そして、アンナ・カリーナはこれまでに観たどの映画のなかにもいない、誰にも似ていない、素晴らしく可愛らしい女性であったのである!


アイメイクをバッチリと施した瞳、猫のような鋭い視線、しなやかな肢体、おもちゃをねだる子どものように甘えてみたかと思えば、あっけなく男を裏切る(もちろん映画の話だけれど)自由奔放なという言葉が彼女には嫌味なく似合うのである。そして、カリーナといえばそのファッションもゴダール映画における重要なポイントになっている。しかも、どれもほんとうに可愛いのである!『気狂いピエロ』ではピンクのフリルのついたワンピースに水色のカーディガンをはおり、右手にはマシンガンを持って、あるときは赤いワンピースに小さな犬の形のバッグを合わせている。港のシーンでのキュートなまぶしいマリンルックには、ターコイズ・ブルーのパンツにバレエシューズを難無く着こなしていた。

彼女のファッションを参考にするのは個人的にはかなり敷居が高いとも思っております。ゴダールは大胆に赤を使うことが多く、カリーナにも赤いセーターを着せたり、赤いストッキングを履かせたりしている。モノクロの作品だと、何の装飾もないシンプルなセーターに膝丈のスカートを合わせているだけであったり、それでもカリーナはとびっきり可愛いく着こなしているのである。もともと着こなしが上手い人なのだろう。誰にも真似できない、誰にも似ていない、稀有な女優、それがアンナ・カリーナである。どんな役名を与えられようと、アンナはアンナなのである。


アンナ・カリーナは1940年、デンマークのコペンハーゲンに生まれた。父は軍人、母は洋裁学校を営んでいた。母親は何度も再婚しており、決まった姓がなかったため、姓は捨ててHanne-Karin(ハンネ・カリン)という名だけ残して、アン・カリンと名乗っていた。

17歳のとき家出同然でパリに向かう。小汚い恰好でカフェにいるところを、モデルとしてスカウトされ、細々と活動をはじめた。未成年でお金もなく、ジュニア向けの洋服の写真をやっていたとき、カメラマンに「何か仕事がもらえるかもしれないから写真を持ってエレーヌ・ラザレフに会いに行きなさい」と言われ、彼女に会いに行った。彼女とは当時の『ELLE』の編集長である。

アンナ・カリーナという名前はココ・シャネルが名付けたというのは有名な話であるが、シャネル女史に出会ったのもこのときで、エレーヌ・ラザレフに会いに行くと、シックな婦人がもうひとりいて名前を聞くので、「アン・カリンです」と答えると、語呂が悪いからアンナ・カリーナにしなさいと即座に決められたのであった。たまたまそこで偶然出会っただけであり、カリーナはシャネルの店で仕事をしたことは一度もない。


身寄りもなく、知り合いもなく、小さなホテルに住み朝食だけで生活をしていた17歳のアンナ・カリーナは、まもなくピエール・カルダンのマヌカンとして活躍し始める。その頃、長編第一作目となる『勝手にしやがれ』を撮ろうとしていたゴダールは、カリーナが石鹸のコマーシャル・フィルムに出ているのを見て、この娘なら裸になるのは平気だろうと思い、ヌードになる脇役にカリーナを起用しようと電報で呼び出していた。カリーナは「脱ぎません」と断るが、4ヶ月後に再度ゴダールから呼び出され、今度はヒロインの役だと言われる。これが『小さな兵隊』(1960年)である。

しかしその直後に「ジャン=リュック・ゴダール主演女優兼恋人を発見す」という新聞記事が出て大騒ぎになってしまう。騒ぎのもとはそれより前に「ジャン=リュック・ゴダールは次回作『小さな兵隊』を準備中で、その出演者および恋人として18歳から22歳の娘を求む」というゴダール直筆の広告を見ていた女性ゴシップライターが勝手に想像を膨らませて書いた記事であったのだが、このことにカリーナは心を痛め、絶対に映画には出ないとゴダールに電話で涙の抗議をしたのである。すると電報がきて、


「ハンス・クリスチャン・アンデルセンのおとぎの国の少女が涙なんか流してはいけない」


というクサい文句とともに、ドアをノックするのであけてみると、ゴダールが赤いバラを50本も持ってあやまりに来ていた......





かくして彼女は映画狂のインテリ男から赤いバラ50本以上の愛を贈られ、男は彼女を、自身の映画に出演させるひとりの女優を手に入れたのである。ヌーヴェル・ヴァーグの花嫁の誕生であった。


我がミューズ、アンナ・カリーナ。そろそろ写真集のひとつでも出て欲しいと願っております。


:関連書籍:

Anna Karina: La Princesa de la Nouvelle Vague / The Princess of French New Wave
Albert Galera,Editorial Alreves S.L.(著)

(洋書/スペイン語)『ヌーヴェル・ヴァーグの花嫁』と題された、映画評論家によるカリーナの伝記。白黒のスクリーンショット、スナップ写真、カラー写真が掲載されており、用語辞典とフィロモグラフィーが完備されたアンナ・カリーナの研究書です。
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FRENCH CHIC―perfect style of Parisienne
マーブルブックス(編集)

マーブルブックスのPerfect Styleシリーズから出た「パリジェンヌ」特集。ファッションやメイクの解説が載っています。このシリーズはデザインが可愛いのでペラペラめくって眺めるぶんには良いかも。
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美人学入門―私はパリのモデルを育てた (1973年)
カトリーヌ・アルレ(著)

田舎の家出娘であったカリーナを発掘し、育てたフランスのファッション界の重鎮、カトリーヌ・アルレの著書。特別カリーナに関する記述があるわけではないのですが、60-70時代のファッション、モデル業界に興味がある方や美意識を高めたい方にお勧めです。
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ゴダール、わがアンナ・カリーナ時代
山田 宏一(著)

フランス映画評といえばこの方、トリュフォーの友人でもお馴染みの山田宏一氏によるカリーナのインタビューを収録。カリーナ本人が語る生い立ちは読み応え十分です。また、山田氏が60年代にカリーナのアパルトマンで撮影した貴重な写真も数点載っています。
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ゴダールと女たち (講談社現代新書)
四方田 犬彦(著) 講談社

ゴダール映画のヒロインにスポットを当てた、ゴダールに関する軽い読み物。アンナ・カリーナ、ジーン・セバーグ、アンヌ・ヴィアゼムスキー、ジェーン・フォンダなど、ゴダール女優に興味があれば面白く読み進めることができます。
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2012-01-16

ヌーヴェル・ヴァーグはどこからやってきたのか

そもそもヌーヴェル・ヴァーグについて私が知っていることいったら監督名とその映画、出演している俳優ぐらいしかわからないので偉そうな口は叩けないのであるが、ヌーヴェル・ヴァーグはどこからやってきたのか。ヌーヴェル・ヴァーグって人の名前?それとも美味しいパンの名前?偉い人?なにかの機械みたいなもの?そもそもヌーヴェル・ヴァーグって何だ?


ヌーヴェル・ヴァーグの「文化的基盤」をつくったのは「唯一にして真の映画評論家」アンドレ・バザンを中核とする「カイエ・デュ・シネマ」誌にほかならない。—ゴダール

(オーソン・ウェルズの『市民ケーン』に対して)これから映画をつくろうと考えていた人間にこれほどやる気を起こさせた映画はなかった...あの無謀な若さで...映画の規則を踏みにじり、その視覚的限界を踏み越え、目を見はらせる衝撃的なあの手この手...映画的奇跡」–トリュフォー








「カイエ・デュ・シネマ」の創刊は1951年であった。パリのシャンゼリゼ大通り146番地に編集部を置き、未来の「新しい映画」を担う若者たちが自由に出入りして映画を論じ合う溜まり場になったのは1953年の冬ごろ、グループはまだ若く貧しく、そこには二十歳のトリュフォーやゴダール、リヴェット、シャブロル、さらにはエリック・ロメールなどがいて批評を武器に、フランス映画界に殴り込みをかけようとしていた。のちにヌーヴェル・ヴァーグと名付けられる若者たちの姿である。


「カイエ・デュ・シネマ」=ヌーヴェル・ヴァーグの精神は「作家主義」である。これはオーソン・ウェルズの擁護と賛美にはじまった。1941年、オーソン・ウェルズは『市民ケーン』という映画を世に送り出す。(この映画は今観ると技術的な真新しさはまるでわからない。なぜならこのときオーソン・ウェルズがみせた真新しい撮影技法というのはもはや映画の撮影技法としては主流になっているからである)若干25歳でハリウッドにのりこんで新人監督としては異例の条件で、撮影から編集に至るすべての権限を自由に保証されて作った伝説的な映画である。ハリウッドという巨大な撮影所システムと企業形態のなかで助監督の経験もなく、しかも25歳の若さで『市民ケーン』を撮ることに成功したオーソン・ウェルズは、まさにヌーヴェル・ヴァーグの理想であり、極端にいえばヌーヴェル・ヴァーグとはオーソン・ウェルズに憧れた若者の集まりでもあった。


アメリカ映画を擁護することは一種のアヴァンギャルドだったのだとエリック・ロメールは語る。十代のトリュフォーも、パリ解放後にアメリカ映画を観れるようになったときの興奮をこのように表現している。「くたばれ!ピエール・フレネー、ジャン・マレー、エドヴィージュ・フイエール、レーミュ、アルレッティ。素晴らしき哉!ケーリー・グラント、ハンフリー・ボガード、ジェームズ・スチュアート、ゲーリー・クーパー、スペンサー・トレイシー、ローレン・バコール、ジーン・ティアニー、イングリット・バーグマン、ジョーン・ベネット......」


当時の映画雑誌(特に「レクラン・フランセ」)の反米主義は露骨であったため、映画狂の若者たちをイライラさせていたのだった。そして周囲への反抗心と、フランス映画には見出せなかったすばらしいエネルギーに対する心からの称賛と愛をこめて、とにかくハリウッド映画でさえすれば何でも好きになってやろうと彼らは決心するのだった。1948年ごろから、エリック・ロメールは「シネクラブ・デュ・カルチエ・ラタン」というシネクラブを主宰し、アメリカ映画なら何でも上映していた。さらに反米主義の「レクラン・フランセ」に対抗して「ラ・ガゼット・デュ・シネマ」誌を作ったが、失敗に終わる。そしてロメールは「カイエ・デュ・シネマ」に合流した。やがて左岸派のジャック・ドゥミやアニエス・ヴェルダもヌーヴェル・ヴァーグに加わっていく。


1953年、トリュフォーは「フランス映画のある種の傾向」という批評を「カイエ・デュ・シネマ」で発表する。当時売れっ子だった商業監督や彼らの作品の脚本家を叩きのめすものであったが、賛否両論の反響を巻き起こしトリュフォーの名を一躍高からしめたが、「くたばれ!トリュフォー」という抗議と怒りの手紙が「カイエ・デュ・シネマ」誌の編集部に殺到した。しかしこれこそがヌーヴェル・ヴァーグの到来を予告する明確なマニフェストにほかならなかったのである。


フランス映画の進歩は、本質的に脚本家および脚本そのものの革新、つまり文学の名作を映画化するための大胆な脚色、そしてふつう難解とみなされる主題にはきわめて敏感に反応し、寛大な観客がそれをうけいれてくれることへの絶対の信頼、にもとづくものではあるまいか。それゆえにここで問題になるのは脚本であり脚本家なのである。


名作文学にかこつけて–そしてもちろん「良質」の名のもとに–大衆に提供され、うけいれられているわがフランス映画の主流の実体は、相も変わらぬ暗いペシミズムのムードと社会の掟に立ち向かって挫折する純粋な人間たちの疎外と孤独を描き、大胆にみえて安易なマンネリズムが適量に調合された伝統的な映画なのである。


また、1982年に来日したときにもこのように語っている。


たとえば、メロドラマでは善玉と悪玉がはっきり区別される...純粋な心を持った主役のせりふは美しく感動的で、傍役の言うことは悪意に満ち、愚劣で滑稽というなんとも鼻持ちならない図式です。そうしなければ感動的にならないというような映画のつくりかたそのものが、いかにもいやらしくてやりきれないと...

「商業主義的要請」と時流にしたがって何でもこなすというだけの「凡庸のきわみに達した」フランス映画の「ソツ」のないたくみさが腹立たしく我慢がならなかった...




辛辣な批評でフランス映画界に君臨していた多くの名監督(と呼ばれていた人物)らを敵に回すことになったトリュフォー青年も、やがて自らの手で映画を撮ることになる。
明日はトリュフォーの長編デビュー作である『大人は判ってくれない』について書く。