2015-08-08
TEMPLES テンプルズ『Sun Structures』(2014)
スウィンギン・ロンドンの嵐が吹き荒れるカーナビー・ストリートをBIBAのワンピースを着て闊歩するのが夢だった。アントニオーニの『欲望』に描かれたあの時代の、曇り空のロンドンを生きるのが…… 仲間とLSDを嗜んで、お気に入りのレコードをかけて夜を踊り明かす。ビートルズの新譜を心待ちにしながら、不良ぶっているストーンズにもひそかにオネツで、部屋には案の定ドアーズのポスターが貼ってあったりして、ボーイフレンドはきっとクリームやバーズに夢中……
TEMPLES(テンプルズ)のデビューアルバム『Sun Structures』は、そのような幻想が2014年の今にでも現実のものになるのではないかという錯覚をもたらしました。2012年にロンドン郊外の田舎町で結成された20代半ばの彼らは、ギターサウンドを基調とした典型的な4ピースバンドではあるのですが、リバーブが深くかかった浮遊感溢れるサウンドにクラシックなサイケデリック・ロックの幻影を展開してみせます。甘い呪文のようなハープ、華やかに揺らぐ鈴の音、哀愁を帯びた魅惑的なオルガン、やけに反響するドラム、豊かに歪む12弦ギター。はたまたジョージ・ハリスンが用いたインドのへんてこな音、カート・ベッチャーの魔術的なハーモニー、不意に繰り出されるボラン・ブギー……
いかにも60年代的な、あるいは60年代の影響を直に引き継いだ70年代の音楽シーンを否応無しに浮かび上がらせる彼らの楽曲に、特出した真新しさを見出すことは難しいかもしれませんが、テンプルズの魅力はむしろレコーディング技術が進歩した現代に徹底して60年代の音そのものを作り出そうとする姿勢にあります。それを懐古主義と一笑することは簡単ですが、ここまで露骨に馬鹿正直に、60年代への愛を表出するバンドの出現を私たちはずっと待ち焦がれていたのではなかったでしょうか。音楽が力を持っていた時代を愛し、音楽の可能性を頑に信じている新たな世代が世界中に散らばり、世界が熱狂したひとつの時代に想いを寄せている……テンプルズの登場はまさにその現実を象徴する出来事であって、彼らは古きものへの憧憬が露呈されることを怖れずに、デビューアルバムをもって啓示しました。
ヒッピーは絶滅し、サマー・オブ・ラブはとうの昔に終焉を迎え、もはやどんなに切望しても曼荼羅にテクニカラーを塗りたくったあの時代を生きるという願いが叶うことはありません。ですが、作り出すことはできるのです。それは必ずしも時代の逆行を示すものとは限らないでしょう。テンプルズの屈託のないやさしいメロディーは未来を祈るように響きわたります。シド・バレット―マーク・ボラン―デヴィッド・ボウイ……UKロック史における偉大な道化師の系譜を見事に踏襲したかのような佇まいのフロントマンに、私たちはスターの面影を重ねながら、いま、壮大な夢を託そうとしているのかもしれません。
*****
2015年2月22日に開催された Hostess Club Weekender にて彼らのステージを真近に観ることができたのですが、意外や意外、なかなか骨太なロックを響かせてくれた驚きと、若い女性の黄色い声が耳に残っています。かく言う私もミーハー心丸出しで前方へ移動し、浮世離れした甘いルックスにうっとりしていたのは言うまでもありません。
2014-06-01
June 1, 1974 悪魔の申し子たち〜その歴史的集会より
1974年6月1日、ちょうど40年前の今日、イギリスはロンドンのレインボー・シアターでスペシャルなショーが行われた。イーノ、ジョン・ケイル、ニコ、ケヴィン・エアーズ。こうして改めて名前を書くと、泣く子も黙る「トンデモナイ」メンバーだが、後年の私たちが歴史的だの伝説だのといくら騒ぎ立てようが、はっきり言ってそんなことなど全く意に介さぬような人たちでもある。
どうやらこのショーはケヴィン・エアーズのレコード会社移籍後に初めて発表されたアルバム『夢博士の告白』を記念して開催されたようだ。まずはケヴィンが友人のニコを誘い、ニコがジョンに声をかけ、ジョンがイーノを引っ張って来たという。巨匠と称される現在の姿を思い浮かべると、メンバー中いちばん年下のイーノの存在がなんとも微笑ましい。イーノはこの時期アンビエント・ミュージックにまだ開眼しておらず、ロキシー・ミュージックを追放されてソロとなり、捻くれたヘンテコ・ポップ・ミュージックを展開しながら羽を伸ばしていた頃で、後に「ケヴィン・エアーズは絶対、僕の一番好きなミュージシャン!それほど多くの人に認められていないのが残念だ」(1975.2 Music Life)という発言をしていることからも、イーノにとって彼らとの交流はかなり刺激的な経験だったことがうかがえる。
アルバムの1,2曲目を飾るのはそのイーノだが、相変わらず美形なのにハゲでロン毛というなんとも奇抜な風貌で調子っぱずれの歌声を披露し、只者ではない不気味な雰囲気を醸し出している。続くジョン・ケイルはプレスリーの「Heartbreak Hotel」、ニコはドアーズの「THE END」のカバーだが原曲の面影は薄まり、かなり物々しいパフォーマンスだ。個人的にジョンのアレンジはプレスリーより断然好みだが、ニコに至っては惨憺たる儀式のようで狂気すら感じさせる。邦題を「悪魔の申し子たち」と名付けたのも納得だ。
元々この人たちは上手くやろうとか技術的な側面に重きを置くタイプのアーティストではなく、アヴァンギャルドの精神で実験的な音を作り上げることで知られるロックの異端児たちである。イーノの不気味な可愛さ、ジョンの屈折した男気、ニコのファムファタールで魔女的な?色気とが沸々と混ざり合ったこの前半部分だけでも「奇跡」のアルバムと呼ぶにふさわしいのかもしれない。
しかしこのアルバムの主役は間違いなく後半のケヴィン・エアーズである。彼の前では巨匠イーノもヴェルヴェッツの2人も霞んでしまう。
ケヴィン・エアーズという人は常識から考えるとちょっと不思議な人で、若い頃から仕事に飽きると田舎に引っ込んで隠遁生活を送ってみたり、シェフになってみたり、早い話が根っからの自由人で好きな時にしか働かない、というスタイルでずっと生きてきた人だ。だからというか必然的に寡作である。音楽的才能とカリスマ性を持ち合わせた人間が名声などにはまるで無関心で、巨大なマーケットに取り込まれることを拒み、金が必要な時だけひょっこり顔を出してちょっとだけ働く。それが音楽を愛するがゆえに彼が貫いた姿勢なのだと想像すれば、なんとも愛おしい男である。そんなものだから彼の作る音楽も最高で、この「肩の力が抜けたゆるい感じ」は他の追随を許さない。
残念ながらケヴィンは去年亡くなってしまったが、40年前のロンドンの空に放たれた花火を想いながら今日はこのアルバムを聴く。オリー・ハルソールのギターが風のようだ。
2013-11-17
日曜の朝、ルー・リードの死
ルー・リードの死から三週間が経った。生前最後のインタビューや写真が公開されたり、多くの雑誌でルーの特集が組まれたりしているけれど、それでもまだ信じられないというか、受け止められない気持ちのほうが大きい。ふとルーのことを考えると今も頭がぼーっとして、逝去のニュースからずっと微熱にうなされているような、浮ついた感じが続いている。2、3年前からその姿を写真で拝見するたびに、痩せたなあと感じることが多くなっていたから、いずれこんな日が来るとどこかで覚悟していた自分もいるのに、なぜだろう?この人はそう簡単には死ぬことはないだろうって、本当に勝手だけれど冗談ではなく真面目に思っていた。
*
とても個人的なことを書くと、4月に父が病気で亡くなった。父の死後、何もなかったかのようにこのブログをせっせと更新していたけれど、どうしても父の死には触れることができなかった。私にとってはそれほどの出来事だったのだと、最近では少し冷静になって話しができる。父とルーは同い年。父と同じようにルーも糖尿病を煩っていたと聞く。私にはどうしても二人の死が重なってしまう。だからルーにはもっと生きて欲しかったし、死なない気がするなどと真剣に考えていたのだと思う。ルーの死を知った時、長い放心状態のあと、とても大きな悲しみがやって来た。そしてなにより父のことを思い出して辛かった。
ちょうど一年前にルー・リードという記事を書きました。私はルーが好きだった。ルックスも大好きだし、ぼそぼそと呟くお経を読んでいるような不安定な声にも完全に虜だったし、なによりも作家としてのルー・リードに憧れていた。十代の終わりに、いつか「Perfect Day」みたいな、なんてことはない日常を切り取った小説が書きたいと、漠然と壮大な夢を見させてくれたのもルーだった。韻を踏みに踏みまくった呪文みたいな歌詞を完璧に言えるようになるまで暗記してみたり、最初に覚えたのは「Femme Fatale」で、 You're written in her books / You're number 37, have a look という部分の響きがとても気に入って、綺麗に発音できるように練習してみたり。「Gift」や「The Murder Mystery」のようなルーの書いた物語を聴いているのも楽しかったから、ルーのアルバムは必ず訳のついた国内盤で揃えると決めた。
ルーが亡くなったのは10月27日、日曜の朝だったという。訃報が飛び込んで来た10月28日の早朝、私はベッドの中でipodから真っ先にこの曲を選んで聴いていた。これが、初めて耳にしたルーの歌声だったから。実はこの曲も当初はニコが歌う予定だったそうだ。ウォーホルの一声で突如として転がり込んで来たニコに楽曲を横取りされる形になったルーは、すでに3曲も歌っているニコに対して、「Sunday Morning」を歌うことだけは絶対に許さないと憤って、わざと女みたいな甘い声で歌ったのだと。
バナナのジャケットのアルバムを初めて聴いた時のことを私は鮮明に覚えている。1曲目と2曲目でルーの歌い方が全く違うものになっているし、さらにニコの声も男だと勘違いして、リード・ヴォーカルが3人いるバンドって一体?ビートルズみたいなバンドなのかなぁ?と、まだ洋楽を聴き始めて間もない頃の出来事だった。よくよく考えるととんでもない発想。
でも、1曲目が「日曜の朝」じゃなかったら、このアルバムを心底好きになれたかどうか分からない。私にとって、バナナは「ヘロイン」でも「毛皮のヴィーナス」でもなく、「日曜の朝」とニコがヴォーカルを取った3曲なのだ。そんなルーの優しい感じの曲が本当に大好き。今はまだ悲しみが消えないけれど、ルーの曲がこれからも私の人生に寄り添ってくれると思うだけで心強いし、笑顔の自分を取り戻せるような気がしてもいます。
ルー、どうか安らかに。ありがとう。2013-07-20
サントラはお好き?(4)『セッソ・マット』音楽:アルマンド・トロヴァヨーリ
言わずもがな渋谷系界隈でだいぶ重宝されていたらしい、1973年のイタリア映画『セッソ・マット』のサントラは必聴。メインテーマの「sessomatto」はやはり名曲中の名曲!フリッパーズ・ギターの「Groove Tube」という楽曲でも使用されていました。
お姉さんの吐息のような色っぽいヴォーカルに笑い声と喘ぎ声がコラージュされていくという、なかなかぶっ飛んだ内容にもかかわらず上品でキャッチー。他の曲も渋谷系のイメージに代表される「小洒落た」という言葉に要約されてしまうにはどこか惜しいような、日本人の琴線に触れる郷愁を誘う情緒的なメロディが多く、サンプリングのネタに引っ張りだこの理由もなんとなく分かるような気がします。
音楽が評判になったことで、映画『セッソ・マット』は2005年に日本で初公開されました。「Sessomatto」とは「性」と「狂気」を合わせた造語らしく、日本では『色情狂』と、これがまたストレートに訳されていたのが素晴らしいです。ちなみにアメリカでのタイトルは『How Funny Can Sex Be?』で、全9話のオムニバス形式の馬鹿馬鹿しい能天気なお色気コメディです。
肝心な映画の内容はお洒落なサウンドのイメージをあっけなく裏切ってしまったようだけれど、よくよく考えるとサントラのジャケットはセクシーなナースの恰好。そして実は私、この映画は未見なのだった。映画を知らないのになんでサントラを買うんだ?と突っ込まれそうですが、これも90年代、渋谷系の大いなる遺産だと思っています。
音楽を担当したアルマンド・トロヴァヨーリは200本以上の映画を手掛けたイタリア映画界の至宝、もはや巨人とも言うべき存在。今年の2月に世界中の音楽ファンに惜しまれながら95歳で亡くなりました。『黄金の七人』『女性上位時代』『昨日・今日・明日』と、日本でもお馴染みのイタリアン・コメディを彩る楽曲を数多く残し、サントラも人気が高くマストアイテムです(廃盤になっているものが多いけれど)。
トロヴァヨーリはもともとジャズバンドでキャリアを積んだ人で、その後カンツォーネの歌手に楽曲を提供したこともあり、ジャズ畑で培った洗練された都会的なサウンドと、民謡や歌謡曲などの庶民的な音楽が彼のスコアには反映されています。特にキッチュなコメディ映画では後者の色合いが顕著。
トロヴァヨーリのユーモラスでキャッチーでお洒落なサウンドを生み出すセンスに触発された若者が、20年後の日本で一大ムーブメントを巻き起こしたことを考えると、本当に偉大な人だったのだなぁと感じます。今更ながら。
YouTubeを検索していたら、「Groove Tube」のPVを発見!初めて最後まで見ましたが、解散後の彼らしか知らない私はとっても感激。91年にこれ!やっぱりこの人たちすごい面白かったんですね。
ポリスター (1993-09-01)
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2013-07-12
楚々としたウィスパー・ヴォイス『Swansong for You』The Gentle Waves(2000年)
The Gentle Wavesは日本でも絶大な人気を誇るスコットランドはグラスゴーの大所帯バンド、Belle and Sebastian(ベル&セバスチャン)でチェロとヴォーカルを担当していたイザベル・キャンベルのソロ・プロジェクト。残念ながら彼女は2002年にベルセバを脱退してしまったけれど、このアルバムをリリースした当時はまだバンドに在籍していた。
私が初めて聴いたベルセバのアルバムは彼女がバンドを去った後のものだけれど(ああ、ベルセバに出会ったときのトキメキは一生の宝物だろう!)、後追いで過去のアルバムを聴いていくうちに、スチュアート・マードックのぼそぼそと呟くような優しい声に呼応する、透き通ったウィスパーボイスが心地良く、女の子のウィスパーな歌声に弱い私としては、イザベルはとても気になる存在になった。
インディー・ポップ、ネオアコ系と聞くと、90年代からの流れでどうしてもお洒落系アイテムに直結してしまいがちだし、日本でもベルセバというと大体がそのような認識だと思うけれど、ステージ以外で動く彼らのビデオを見ると、実に頼りなさそうな冴えない感じのお兄さんの集団で、お洒落どころかもしかしたらダサイのである。単なる田舎のお兄ちゃん、というレビューを昔の雑誌でも読んだことがある。まァそこがまた彼らを大好きな一因でもあるのですが。
最年少のイザベルはそんなバンドにおいてキュートなルックスでマスコット的な存在だった。カジ・ヒデキもメロメロで大絶賛していた!お顔はもちろんだけれど、スクールガール風のファッションも可愛いし、可憐で繊細な声を持ち、チェロを弾きこなし、ソングライティングの素質を備えた才女でもあるのだから。一時期ぽっちゃりしていたけれど、そんな彼女にも愛嬌があって親しみを感じてしまうもの。
*
『Swansong for You』はイザベルのソロ2枚目のアルバム。1stに引き続きベルセバのメンバーも参加している。イザベルをフィーチャーしたベルセバサウンドといったキャッチーな印象の1stに対し、本作は地味で聴く人を選ぶだろうけれど、イザベルの個性がしっかりと全面に出ている。無駄な装飾が剥ぎ落とされたシンプルなサウンドで、楚々とした彼女の声に満たされる。陰鬱でメランコリックなムードの曲が多いのだけれど、気が滅入るほどではないのはやはり砂糖菓子のようにふっと溶ける甘い声がバランスを保っているように思う。
しかしイザベルの場合はそんじょうそこらの雰囲気系ウィスパーヴォイスとはまた違っていて、自身で作曲もしてしまうのだから、内気な囁きヴォイスもどこか毅然としていて、一本貫いた強さ、可愛さの奥底に潜んだ魔力をも感じさせるのだ。ベルセバのイメージも手伝って、どこまでも神聖で不純なモノを寄せ付けない潔癖さが彼女の音楽にはあります。
スチュアート・マードックが撮影したという黒猫のジャケットも、レトロな60年代風のビデオクリップもイザベル(というかベルセバ)らしくて、ハートのど真ん中を貫く可愛さなのだ。
2013-07-06
Jane Birkin ジェーン・バーキン 「Lolita Go Home」
以前書いたカヒミ・カリィの記事(彼女のいじらしいハミングはいつだって魔法のようだから)でも触れていましたが、「Lolita Go Home」は私にとって少し特別な曲。初めて聴いたのは中学生。歌っていたのはジェーン・バーキンではなくカヒミ・カリィだった。CMで見た姿にひと目惚れし、近所にあった中古屋のカヒミ・カリィのコーナーから『Girly』というアルバムをジャケ買い。当時はジャケットの謂れも、2曲がカバーだということもまったく分からぬまま、同じ日本人とは思えぬ綺麗なお顔と、それまでの人生で一度も聴いたことことのない不思議な歌声にすーっと引き込まれてしまった。衝動的に手に入れたCDが日本語の歌ではなかったので少し戸惑ったけれど。洋楽のCDも一枚も持っていない頃。フランス語とスペイン語の区別もつかなくて読めないのだし、そもそもフランス語を耳にすること自体が初めての体験に近かった。 最初に気に入ったのが2曲目の「Lolita Go Home」だった。ファッション誌で目にする「ロリータ」という単語が入っているという他愛のない理由から。(私は「CUTIE」と「ZIPPER」を購読していた。懐かしい!)ナボコフの小説は読んだことがなく、元々の意味など把握しているわけもない。勿論キューブリックの映画を初めて観たときも相当勘違いしていたのだし。当時は完全にファッション用語だと思っていたから、訳詞を見ても娼婦だとか紳士がヨダレなんて出て来るし正直あまりピンとこなかったけれど、「ロリータ、ロリータ・ゴー・ホーム」と口ずさむのには時間はかからなかった。ちなみに『Girly』の歌詞カードにはロリタ、と記載されている。ロリータともロリィタともロリヰタとも書けば、また違ったニュアンスになる日本語の妙。
*
ジェーン・バーキンのアルバム『Lolita Go Home』がリリースされたのは1975年。ジェーンはすでにゲンスブールとの連名で数枚のアルバムを発表していたけれど、このアルバムはすべての楽曲をゲンスブールが手掛けているわけではない。作詞は映像作家のフィリップ・ラブロによるものが大半を占める。「Lolita Go Home」はゲンスブール作曲、アルバムのオープニングを飾る曲。歌詞にはゲンスブールをそのまま連想させる紳士が登場するけれど、作詞を担当したのはラブロのようだ。
ジェーンの声はなんと形容すれば良いのだろう?私はウィスパー・ヴォイスが大好き!年代を問わずウィスパー・ヴォイスにはガーリーなイメージとノスタルジーが交差する。可憐で儚げな少女を思わせる、弱々しくどこかぎこちない歌い方。もちろんウィスパー・ヴォイスと言っても、砂糖菓子のように甘い歌声もいれば、涼しげな声もあるし、時には毒を持ったアーティストもいる。
ジェーンの声は衝撃的だった。ウィスパー・ヴォイスと括ってしまうにはあまりにも個性的で大胆だとも。官能的な吐息。ジェーンの歌声はジェーン・バーキンの声としか説明がつかない。ジェーンの魅力のひとつに英国訛りのフランス語がある。歌手としてのジェーンを評価する時にも、英国訛りのフランス語が掻き立てる効果云々など書かれていることが多い。正直私は発音のことはよく分からないので(初めて聴いたウィスパー・ヴォイスの女性歌手がカヒミということもあって、フランス語の響きと囁き声に親密な関連性を見出してしまいたくなるのだけれど)、やはりジェーンの歌声の魅力を引き出したのはゲンスブールの歌唱指導によるところが大きいのだと思う。官能ともの憂げな少女が綯い交ぜになったロリータのイメージ。もちろん単純にオツムの弱い尻軽娘ではなかったから、ジェーンは歌手として開花していったのだけれど。
YouTubeより、素晴らしい動画!(どうやら貼付けコードが無効のようです。こちらよりYouTubeへアクセスするとご覧になれます)「Lolita Go Home」を歌うマーメイドのようなジェーン、29歳頃。TV番組のようです。一瞬ですが、ゲンスブールの姿も映ります。借りて来た猫のような歌い方が特徴的だったけれど、この時期は自我も芽生えた感じのファンキーな歌い方。私はファッションやメイク、スウィンギン・ロンドン時代のジェーンに惹かれている時期が長いけれど、年齢を重ねて成熟過程のロリータというオーラのジェーンも大好き!
下記の歌詞は『Girly』より
*
みんなお上品ぶって あたしを振り返るわ
とくに女たち... どうしてかしら?
私の靴やソックスやスカートを じろじろみるの
そしてみんなあたしを"娼婦よ" っていうのが耳に入るわ
ロリタ、ロリタはお家へ帰る......
みんなどこまでもあたしを追ってくるわ
フリッパーの玉みたい
鉄の機械の中で
バカみたいにぶつかりあっている
あたしはバックの中に 厚紙も紐も全部つめたの
みんなの皮肉に もう耐えられなかったの
ロリタ、ロリタはお家へ帰る......
雨戸は閉まっていたけど あたしは視線を感じていたの
だからあたしは背を曲げて 駅へ行ったわ
みんな、あたしのことを
恐ろしいやつだったっていうと思うわ
あたしは 女たちがギッシリ列をつめて
コーラスを 叫んでいるのをみたわ
ロリタ、ロリタはお家へ帰る......
食堂車で あたしは紅茶を頼んだ
別に何もしていなくて
足を開いて坐っただけ
それなのに あたしの前で
老いぼれの紳士が よだれを流しているわ
そしてあたしは 汽車の音を聞いたの......
ロリタ、ロリタはお家へ帰る......
2013-06-30
Roxy Music ロキシー・ミュージック
初期のロキシー・ミュージックが好き!もし私が何らかの音楽活動をしている人間だったなら、初期のロキシー・ミュージックは理想的な超憧れのバンドになっていただろうと思う。プログレともグラムともつかない、毛色の変わったへんてこなバンド。私が惹き付けられるのは、デビューアルバムから3rdまでの混沌としたサウンドと不気味なヴィジュアル。しかしそれらはすべて計算し尽くされたもの。アイディアとセンスさえあればやっていけるというスタンス、音楽的な知識や技術は二の次(これは2ndまで在籍していたイーノさんの影響があってのことのように思う)、ほとんどのメンバーが美術学校出身のアート野郎集団でもあった。
ぱっと見た限りではどうも老け顔で化粧も誰一人として似合っておらず、コミックバンドな出立ちにぎょっとするけれど(これもハゲなのにロン毛なのか?ロン毛なのにハゲなのか?美形で可愛らしいお顔をしていながら超ケバい化粧を施したイーノさんの強烈なヴィジュアルが一要因)、フェリーさんをはじめ長身で、よく見りゃみんなハンサムなのだ。
初めて聴いたのは「More Than This」だった。洋楽を聴き始めた10代の頃。当然のことながらリアルタイムではないし、しかもレンタルで借りた80年代洋楽のコンピレーションアルバムか何かに収録されていたものだった。他にはオリビア・ニュートンジョンが入っていたような気がするけれど、繰り返し聴いた記憶はほとんどなく、当時は大人っぽい曲で親しめなかったのだと思う。
にもかかわらず鮮明に覚えているのがロキシーというバンド名だった。イギリスの映画館の名前だと後々知るが、私の世代はロキシーといえば90年代後半に女子中高生のあいだで流行したアパレルブランドのROXYがあった。おそらく両者に関連性はないのでどうでもいい与太話だけれど、そのおかげでロキシー・ミュージックという名前だけはずっと覚えていた。
真剣に聴き始めたのはそれから数年後のこと。イーノさんの歌モノのソロを聴いて仰天し、さらには優しそうな可愛らしいお顔で大好きになり(超単純!だけど、密かにロック界一の美形だと思っている!冒頭からイーノさんイーノさんと気持ち悪いですが、普段からずっとイーノさんと呼んでいるのでそのままでいきます)、そのイーノさんがロキシー・ミュージックのメンバーだったことを知る。でも、ロキシーってあの「More Than This」の?とあまりのサウンドの違いに驚いたけれど、完全にミーハー心からイーノさんが参加した1st、2ndを買った。
洗練された「More Than This」を出したバンドとは思えぬ歪なサウンド。比較的ポップな曲はすんなり入っていけたのだけれど、特有のループ構成はどこか退屈で、ロキシーはずっと取っ付き難いバンドだった。そんな私がRoxy Musicを心底好きになったのは彼らの動いている姿を見てからだ。嗚呼、これほどYouTubeに感謝したことはない!このクールなのかダサイのかよくわからないエキセントリックなコスチュームと、奇妙なパフォーマンス、テキトーに見える演奏(もちろん個々の演奏能力はそれほど低いわけではないと思うのだけど、本気で全員ヘタクソだったのか?)、捉えどころのないアヴァンギャルドなサウンド、作り込まれたダサさ、ちょっとスカした感じ。
「Re-Make/Re-Model」(1972年)のソロパートの部分が好き!メンバー全員が強烈な個性!初期のロキシーは個々の自由度が高いバンドだったのだ。上の動画のパフォーマンスではおそらくサックスから唾が逆流しているであろうコスチュームがどう見てもゴーヤなマッケイさん(超クール!)、髭もじゃで最年少とは思えぬ風貌のマンザネラさんのノイジーなギター、なぜか弾まない異様に硬いトンプソンさんのドラム、ピーッビャーッビュルルルルービーッ!なんだかよくわからない発信音みたいなシンセサイザー担当の孔雀羽根の男イーノさん、当時を知らない私にしてみればダンディズム云々と言われても怪しい笑顔のおっさんでしかないフェリーさん。この時点ではまだロキシーは完全にフェリーさんのバンドという感じではないし、イーノさんのバンドでもない。見方によってはマッケイさんのバンドなのかもしれない。
それにしてもロキシーって本当にハンサムなメンバーばかり。フェリーさんはもちろんだけれど、サポートメンバーだったベースのケントンさんの女性的なルックスと控え目な佇まいも好き。というかケントンさんが一番お洒落じゃない?
しかしイーノさん経由でたどりついたのに、ロキシーとなると途端にマッケイさんを贔屓にしてしまう私はただただミーハーな人間なのでした...。
EMIミュージック・ジャパン (2007-09-26)
2013-06-22
サントラはお好き?(2)『男と女』音楽:フランシス・レイ、ピエール・バルー
それまで無名であったクロード・ルルーシュが10人足らずのスタッフと、わずか三週間で作り上げた『男と女』(1966年・フランス)は数々の映画賞に輝き、フランシス・レイ作曲による「ダバダバダ〜」の主題歌でも有名。ダバダバ・スキャットとフランス語の響きが醸し出す物憂い雰囲気は、数多ある恋愛映画とは一線を画すように思う。
初めて観たのは二十代前半のとき。知的で情熱的なレーサー、ジャン=ルイ・トランティニャンとギリシャ彫刻のような絶世の美女、アヌーク・エーメのカップルが、ただただひたすらに眩しかった。降りしきる雨のなか、ワイパーが作動するガラス越しでの車内の会話シーンが目に焼き付いている。そして耐久レースの後、埃まみれになったボロボロの車で六千キロもの距離をぶっ飛ばしてアンヌのもとに駆けつけるジャン=ルイに惚れ惚れ。
そう、この映画は車が重要な脇役として物語を盛り上げるのだ。モンテカルロ・レースだとか(実際に登録して出場してしまう監督の心意気にも驚き!)フォードのプロト・タイプだとか言われても女の私にはまるでお手上げだけれど、なぜだかそのことがろくすっぽ理解できない男の世界を象徴しているようにも思えたのだった。
ある程度の歳を重ねてからでないと本当の意味でこの映画の惹き付ける魅力というものは分からないのかもしれない。しかしながらモノクロとセピアを織りまぜた小憎たらしい演出(ただ単に予算が足りなかっただけらしい)と、繰り返されるボサノヴァの甘いメロディーにのせて描かれる大人の男女の真理は、若い娘をも陶酔させるだけの説得力があった。そしてシンプルだけれど美しい、この映画のような男女の物語に憧れながらアンニュイな気分に浸りたいとき、背伸びして何度もこのサントラを聴いた。
思わず口ずさみたくなる「男と女のテーマ」を歌っているのは、共に監督の友人であるニコール・クロワジールとピエール・バルー。バルーは俳優としても出演していて、アンヌの亡き夫役(ブラジル音楽を愛するスタントマンという設定)で、ギターを弾きながら歌声を披露している。それもそのはず、彼は十代の頃に音楽活動をしながら各国を放浪し、ポルトガルで出会ったブラジル音楽に陶酔、のちに「Saravah」(サラヴァ)というレーベルを立ち上げ、数々の名盤をフランスから発信した人物だ。
バルーがフランス語で歌う「男と女のサンバ」もテーマ曲に劣らず素晴らしい!(原題は「samba saravah」)劇中ではアーティストのビデオクリップのような扱い方をされていて、当時はこれが画期的な手法だった。『男と女』は映像と音楽が総合芸術であることを再確認させてくれる映画であり、さらにブラジル音楽の素晴らしさも伝えてくれるのだ。
僕の幸せを求め 陽気に笑い 歌う/心ゆくまで味わう 人生の喜び/
哀愁のないサンバは 酔えない酒と同じ/そんなサンバは心に響かない/
哀愁のないサンバは まるで美しいだけの女/これはモライスの言葉/
詩人の外交官 この歌の作詞家/"黒い白人"と公言した男/
僕もブラジル風フランス人/恋のサンバを語る/
恋人に口も利けぬ男が 彼女を歌でたたえる/
こんなサンバに不快な人もいるだろう/困った流行だと嫌う者もいるだろう/
僕は世界中を巡り/放浪を重ねて捜し求める/
深い歓びを/サンバを踊り続けよう/
ジョアン・ジルベルト、カルロス・リラ、ドリバル、アントニオ・カルロス・ジョビン、モライス、バーデン・パウエル
この歌を始め 名曲の生みの親たち/敬意を表して 大いに飲もう/
いざ乾杯 偉大な作曲家たちよ/サンバの申し子 サラヴァ!
ピシンギーニャ、ローザ、D・デュラン、シルビオ・モンテロ
そしてエドゥ・ロボと/ここにいる友人に乾杯/
バーデン、イコ、オズワルド、ルイジ、オスカル、ニコリノ、ミルトン
サラヴァ!
その名を聞くだけで 僕は身が震える/感動を呼ぶ数々の名/
サンバをたたえよう
バヒアの港から生まれた このリズムと詩/
サンバを踊り 苦しみを忘れた日々/
万感の思いを込めた歌
その言葉は白人のものでも
これは黒人の魂を/万感の思いを込めた歌
その言葉は白人のものでも
これは黒人の魂を/万感の思いを込めた歌
—『男と女』より
*
「サラヴァ」とはポルトガル語で、"神の祝福があるように"という意味。この曲には元々、「イパネマの娘」で知られる詩人ヴィニシウス・ヂ・モライスによるポルトガル語の歌詞があり、バルーはフランス語版を作詞した。バルーの歌詞にはボサノヴァの生みの親である音楽家たちの名前が列挙されていて、次から次と歌われる名前を聴いているだけでも楽しい!フレンチ・ボッサの先駆けともいうべき名曲であろう。
オーマガトキ (2004-12-01)
2013-06-21
サントラはお好き?(1)『ロシュフォールの恋人たち』音楽:ミシェル・ルグラン
フランス映画のサントラといえば、このお洒落なピンクのジャケットが真っ先に思い浮かぶ。おそらくフランス、60年代のポップ・カルチャーが大好きな人間にとって、このサントラはもはやマストアイテムというか、これ知らんならモォ出直して来い!って息巻いて突っ込まれることは確実であろう(かく言う私もあまり偉そうなことを書ける資格は毛頭ないのだが)
*
フレンチ・ミュージカルの至宝、ジャック・ドゥミ監督の『ロシュフォールの恋人たち』(1967年)はどうしても要所要所で突っ込みたくなるけれど、それゆえに大好きな映画。ミシェル・ルグランのスコアも本当に素晴らしい!映画の中身よりもルグランの音楽、特に「キャラバンの到着」はよく知られている。もうだいぶ前になると思うけれど、車のCMにも使われていた。私はそちらを聴いてからの鑑賞だったので、映画が始まって間もなく思いもよらず流れてきた「キャラバンの到着」に驚いて、食い入るようにダンスシーンを見つめたのを覚えている。
ドヌーヴとドルレアックの美しい姉妹が現われると、ファッション、小物、画面を彩るパステルカラーのポップな色使い、すべて可愛いらしくて夢のような気分だった。そして、この映画のハイライトシーンとも言える姉妹のデュエット「双子姉妹の歌」を聴いてさらに胸が躍るような想いになった。どこで耳にしたのかははっきりと記憶にないのだけれど、私は「双子姉妹の歌」も知っていたようなのだ。「ミファソラ〜ミレ」と音階をそのまま歌ってしまう箇所にあまりにも自然に同調してしまい、涙が出そうになった。そして迷わず、サントラ買う〜!となったのだった。
現在は二枚組の完全版もCDで出ているのだけれど、ジャケットはオリジナルのアナログ盤と同じピンクのデザインのほうが断然!可愛い。実は中高生の頃ポストカードを集めていて、このジャケットとまったく同じポストカードを持っていた。とてもお気に入りで部屋の壁に貼っていて、当時はそれが『ロシュフォールの恋人たち』という映画のものだとは知らなかったし、数年後にスクリーンでポストカードの中の二人の女性に出会うとは思ってもみなかった。このジャケットにはそんな不思議な思い出がある。
ユニバーサル インターナショナル (2002-05-02)
2013-06-17
北欧の風を求めて、Club 8『the friend I once had』(1998年)
スウェディッシュ・ポップの代表格といえば、カーディガンズとか同時期に活動していたクラウド・ベリー・ジャムを未だに思い浮かべてしまうけれど、彼らのあとに知ったのが、このclub 8という男女のデュオだった。ストックホルムを拠点として活動を続けるヴォーカルのカロリーナとギターのヨハン(作曲とほとんどの楽器を演奏している)は互いに別のバンドにも所属していて、にもかかわらず、結成以来もう15年以上もコンスタントにアルバムを発表しているベテランだ。
この『the friend I once had』は彼らが98年に発表した2ndアルバムで、本国スウェーデンとアメリカ、日本でもリリースされて評判もよろしく、インディ・ポップ、ギター・ポップファンのあいだでは名盤と呼ぶにふさわしいアルバムなのだろう。いつものことながら私は後追いで、アーティストについてもあまりよく知らず恐縮なのだけれど、夏が近づくと無性に聴きたくなるお気に入りの一枚。一度は廃盤になっていて、いま手元にあるのは2005年に再発された18曲入りのリイシュー盤。なんてことはない手作り感たっぷりのClub8のロゴの小さなシールが同封されている。
以前は、北欧らしい清涼感あふれる爽やかで真っ直ぐで、切ないギター・ポップの王道!といったサウンドに魅力を感じていたし、彼らの音楽は実際にそのように紹介されることが多いけれど、久しぶりに聴くと印象が少し変わっていた。薄荷飴のようなカロリーナの心地良いヴォーカルはあまり癖がなく聴きやすいのでいつも戸惑うことなくすうっと入って来るけれど、どこか憂愁の色を帯び寂寥感が漂っていることに気付いたのだ。かつて青春ギター・ポップなどと言われたサウンドに耳を傾けて、北欧の短い夏と過ぎた日々を想う。そうして、私も歳をとったのかなぁとそんなことを嘆いてみたり。
2012-12-20
california snow story『close to the ocean』(2007年)
California Snow Storyはグラスゴー出身のインディーポップバンド。Camera Obscuraの初期メンバーであったDavid Skirvingが中心となり、2002年結成されました。私はご本家より断然こちらのバンドのほうが好きなのですが、如何せん寡作なのです。Camera Obscuraの突き抜けるような清々しさはこのバンドからはあまり感じられなくて、Davidの囁くようなヴォーカルは優しくて温かみのある親しみやすい声だけれど、どこかもったりとしていて陰鬱さも感じられるところが私は気に入っています。ベルセバのスチュアートほどセンチメンタルになることはないけれど、どこかノスタルジーな想いが込み上げるのは、やはりインディーポップの魅力としか言いようがない気がする。ああ、スコットランドって本当に素敵なバンドばかり!私は女性のウィスパーな歌声が大好きといつも書いているのですが、男性の声も囁き声、というかぼそぼそとした面倒臭そうな歌い方、呟き声が好きなようです。
『Close to the Ocean』は彼らの1stアルバムなのですが、実質的にはこのバンドはDavidとヴォーカルを担当しているSandraという女性のデュオのようで、二人のヴォーカルの掛け合いがメイン。Madoka Fukushimaという女性がキーボードで数曲参加しています。派手さはまるでないアルバムだけれど、こんな小品ばかり集めて傍らに置いて生きていけたら幸せだろうなあ。ちなみにどの季節に聴いてもしっくりくると思うのですが、私のイメージだと今の季節がぴったり合う。氷点下の日にストーブをがんがん炊いて、暖かい部屋で濃いミルクティーを飲みながら聴いたらきっと素敵。
Letterbox (2007-06-11)
2012-12-16
スペイン産ウィスパー・ヴォイス、NIZA『ニーサ』(2003年)
NIZA(ニーサ)は1998年に結成された、スペインはマドリッド出身のRobertとSilviaによるインディーポップ・デュオ。スペインといわれるとどうしても情熱的なラテン風の音をまず連想してしまうのですが、この人たちはネオアコ。基本は透明感のある軽いギターポップだけれど、打ち込みやダンス・チューンもあって、上品なサウンドの中にもおもちゃ箱をひっくり返したようなキラメキが詰め込まれています。そんな可愛らしい音を支えるのはSilviaのヴォーカル。爽やかな優しいメロディーに彼女の舌足らずなウィスパー・ヴォイスがのっかると、なんだか60年代にタイムスリップしたみたいな、懐古的な気分になれるのです。ダンス・ミュージックからソフト・ロック、フレンチ・ポップ、ボサノヴァの要素まで感じられるのがミソかな。そして意外なのですが、ヴェルヴェッツのカヴァーもやってたりします。
彼らのアルバムは2003年に日本盤『NIZA』が発売されていて、どうやら来日したこともあるみたいです。私がこのアルバムに出会ったのは数年前。近くのツタヤをぶらぶらしていたところワールドミュージックの棚にこのCDを見つけて、なんとなく試聴してみたらガーリーな声がカヒミっぽくて(カヒミよりだいぶ甘いけれど)レトロチックな可愛らしいサウンドもトミーフェブラリーみたいで大好きな音だった。聴いた瞬間に恋に落ちる音楽ってそう多くはないけれど、根っこのところは結局同じなんだなあといつも感じます。やっぱり私はウィスパー・ヴォイスが好きです。
2012-11-18
ルー・リード
ルー・リードの唇が好き!などと書いてしまうと、どこかヘンタイめいた趣の内容になってしまいそうだけれど、ヴェルヴェッツ時代のルーはセクシーでチャーミングだったにもかかわらず、その素敵な容姿について語られることはまずない。まあ殊更に語る必要もないわけだが、私はルーの顔が好き。ガラガラヘビみたいな口元が特に好き。くっきりとした輪郭に口角がきゅっと上がっていて本当にセクシーなんだもの。“ひどくオネツ”っていう言葉も誇張されたものではないと思う。この、冒頭に引用した証言は音楽誌の編集者だったダニー・フィールズによるものだ。この人、ポールの嫁リンダの親友だったり、ドアーズのジムにニコを紹介したりイギーやラモーンズのマネージャーもやったりして、すごい経歴の持ち主である。
上の動画、ルーの唇マニアが思わず狂喜乱舞するであろう映像!(コーラの瓶になりたい...というコメントに共感する気持ちも分からなくはないけれど...)これはウォーホルによるスクリーンテストと呼ばれている作品で、1964年から66年のあいだにファクトリーに出入りしていた人物を肖像画のようにカメラに収めたもの。これがものすごい人数にも及ぶらしい。DVDも発売されたけれど今は廃盤になっていて入手し難くなっている。デニス・ホッパー、ボブ・ディラン、ニコ、イーディ、ギンズバーグといったお馴染みのメンバーや、ウォーホルの映画に出演していた連中の顔はYoutubeでも見ることができる。
スクリーンテストにも顔を出しているディランがファクトリーとウォーホルの取り巻き連中を嫌悪していたというのは有名な話だけれど、ルーもまたファクトリーから距離を置いている人間のひとりだった。ルーは表面的にはファクトリーにうまく溶け込んでいるように見せかけながら最後まで完全には染まることはなかったのだ。ウォーホルはあらゆる人物にファクトリーを解放していたが、そこに集まる連中のやることなすことをすべて黙認するというのが彼のやりかたであり、面白い人物がいればひそかに観察することを好んだ。ルーはそんな覗き趣味のウォーホルをさらに観察し、ファクトリーで起こった出来事をネタに物語を引き出していった。ルーはつねに傍観者であり続けた。
スピードを打ちまくって三日に一度しか眠らず、あらゆるドラッグから引き起こされる症状をソングライティングに反映するという実験を試みていたルー。誰もが彼にオネツだったけれど、一方では偉大な才能、小柄な悪魔とも畏れられる。
しかし、ニコ曰く「ルーはとても優しくて、素敵な人だった。ぜんぜん攻撃的じゃないの。初めてかれに会った時、愛しくて抱きしめちゃいそうだった」そうである。ニコは本当にルーのことが可愛くて仕方がなかったらしく、あまりの可愛さにしょっちゅうホットケーキを焼いてあげていたそうだ。初対面の相手を「愛しくて抱きしめちゃいそうだった」というのはニコにしかできない発言であろう。ニコ姉さんレベルのオンナになると言うことが違う!のだ......。
それでもニコの「とても優しくて」という言葉に偽りはないのだろうという気がする。私がルー・リードの音楽でまず思い浮かべるのは『pale blue eyes』や『perfect days』や『〜says』といった優しい曲だ。ヴェルヴェッツのアルバムも3rdと4thを聴くことが多い。俺様至上主義的な発言が目立つルーは大胆で攻撃的で、観客の前でヘロインをぶっ射すという伝説、歌詞の内容から退廃的、破滅的なイメージを持たれることが多いけれど、本当に無茶苦茶な人のではなく、ルーが明知の人だからだ。(いや、当時は無茶苦茶だったのかもしれないけれど)それに、己を知っている人間、自分自身を客観視できる人間というのはたいがい自分のこと以上に他人に対する優しさを持ち合わせているように私は思うから。だからこそヴェルヴェッツの、ルーの、攻撃的で暴力的なサウンドの裏側にはいつも優しさがつきまとうように感じられるのかもしれないな。
Polydor / Umgd (1996-05-07)
2012-11-13
『La noyée』(ラノワイエ・溺れるひと)
あなたは流れて行ってしまう/思い出の川の上を
僕は岸の上を走りながら/戻って来るようにと叫ぶ
それでもゆっくりとあなたは遠ざかる
僕は必死に走って/少しずつあなたに追いつく
ときどきあなたは沈む/揺れ動く液体の中に
いくつかの茨をかすめ/ためらいながら僕を待つ
まくれあがったドレスで顔をかくしながら
恥と後悔が/醜くすることをおそれて
あなたはもはや/哀れな漂流物
水に流れる死んだ雌犬にすぎない
けれど僕は今でもあなたの奴隷だから
流れの中に飛び込もう
記憶が停止したとき
忘却の大海が
僕らの心臓や脳を破壊しながら
永遠に二人をひとつにする
ゲンスブールが残した美しい曲のひとつに『La noyée(ラノワイエ)』という溺れ死んで行く女を歌ったものがある。この曲はまだ若造だった頃のゲンスブールがシャンソン界の大スター、イヴ・モンタンにわざわざ彼の家まで足を運んで自ら売り込んだ楽曲であったのだけれど、結局モンタンがこの曲を歌うことはなかった。そしてこの名曲をどういうわけなのか、ゲンスブール自身も録音しなかったので、長い間お蔵入りとなったままだった。しかし2004年にカーラ・ブルーニのカヴァーで世に知られてしまう(!)
ゲンスブールはこの曲を一度だけテレビで歌っている。1972年11月4日、Samedi Loisirという番組のようである。このときの映像は現在DVDにもなっていて、『Gainsbourg et caetera』という写真集に付属したCDに短いインタビューとともに音源が収録されている。幸運にも私はこのCDを持っていて、歌が終わると司会者が「セクシー」と言って、「ムハハ...」というゲンスブールのはにかんだ笑いが聞こえてくるのだった。
ゲンスブールが実際に番組で歌っている映像がYoutubeにあったのだけれど、コードが無効になっていて貼付けられなかったので、こちらからどうぞ。美しきセルジュ!こんなにも美しい詞を小汚いオヤジ(若い頃の作品だけれど)が書いた思うと、それだけでいつも泣きそうになる。私は本当にこの曲が好きで、秋になると無性に聴きたくなる。そしてこの曲を聴くと死にたくなる。
2012-04-01
ブコウスキーとゲンスブール(4)
二人に共通するもっとも面白い逸話は、それぞれが自らを投じた分野を端から否定していたということである。ゲンスブールであれば、アンチ・シャンソン、ブコウスキーはアンチ文学の精神である。画家になることを志し、貴族的な教育を受けたゲンスブールにとって一流と呼べる芸術は、音楽であればクラシック、絵画、純文学なのであって、クラブやバーで演奏するシャンソンやスタンダード曲などは二流芸術にすぎず、60年代の華やかなポップスの世界で彼は一時代を築くことに成功したように見えるが、本人にしてみれば、ポップスなんていうものは所詮二流なのである。ゲンスブールにとって純粋芸術である絵画を捨てて二流である歌謡界に身を投じることは、たとえそれが自ら選んだ道だとしても、純粋芸術に対する未練と二流芸術への劣等感は生涯彼につきまとい、成功しながらにして不幸という、決して癒されることのない強迫観念にとらわれることになったのだった。
ブコウスキーの場合はもっと過激だ。ブコウスキーに言わせると、もはや文学にとどまらずすべての芸術は嘘まみれである。肉体労働者であった彼は、貧しさが、飢えが傑作を生み出すということはまずあり得ないということを身をもって経験しているからだ。『勝手に生きろ!』という小説のなかで、ブコウスキーの分身である主人公のチナスキーは金がなくてキャンディーバーだけを舐めながら小説を書いているのだが、そこで彼はこんなことを言っている。「空腹が俺の芸術を高めることはなかった。かえって邪魔になっただけだ」と。ブコウスキーのこの言葉は、貧しさのなか逆境に耐えながら書き続けた作家、または描き続けた芸術家といわれる、彼らの気高く美しい文章、崇高な作品、そんなものはすべてわれわれの幻想が作り上げたきれいごとにすぎないという事実を痛いほど突いている。そして文学とは、芸術とはいったい何であるのかと、ふと考えさせられる。このようなブコウスキーの嘘の否定の文学は、五年生のときに書いた作文で「人は真実よりもきれいな嘘を求めている」と気付いたときにすでに芽生えていたのかもしれない。そもそもブコウスキーの生きたアメリカ社会の常識もまた、嘘だらけなのだ。大多数の人間がアメリカン・ドリームなどと無縁であるにもかかわらず、その大きな嘘はいつの時代もアメリカ社会を覆い隠している。ブコウスキーは労働者の立場からそのような社会の嘘を暴き出す。アメリカを駄目にした張本人であるとしてミッキーマウスを嫌っている。
ブコウスキーの小説は基本的に自身が経験したこと、実際に起きた出来事しか書かれていない。人生にはそうそうドラマティックな展開があるわでけもないし、作られたきれいごとなど通用せず、醜く汚いことのほうが圧倒的に多い。ブコウスキーの小説に書かれていることは、働いて酒を飲んでセックスをして便通の心配する、という日々の繰り返しだ。たまに競馬に打ち込む姿が描かれるが、競馬場などもっとも劇的なドラマとは無縁な場所であるということを強い説得力を持って伝えているにすぎない。それゆえブコウスキーの小説は一見退屈で何も書かれていないというような印象を与える。しかしそのように感じるのはブコウスキーの作品を文学の立場から捉えようとするからである。そもそも文学的価値などとは無縁のところで書いているのがブコウスキーなのだ。
そしてブコウスキーはやはりというか、当然とも言うべきか文壇という世界をもっとも嫌っている。ブコウスキーの作品がアカデミックな文芸界から評価されているのかも怪しいところなのだが、文壇人や文学談話を嫌悪する場面がブコウスキーの小説には何度も出てくる。ブコウスキーは同時代のケルアックやバロウズやギンズバーグなどのビート詩人と一緒にされて論じられることもあまり好ましく思っていないらしく、どちらかといえばパンク詩人と言われるほうが自分に合うように感じると生前に語っていた。
ゲンスブールもまた、フランスの芸能界ではトップクラスの有名人でありながら、芸能界を嫌っていた。偉ぶって嫉妬深い意地の悪い奴らばかりが出入りしていると。同じようにマスコミも嫌っていたが、ゲンスブールはそのマスコミを挑発の場としてうまく利用することを考えたのだった。自らのスキャンダルを売り物にしたのは言うまでもないが、テレビに出る人間たちが皆ネクタイ姿だった時代に、ノーネクタイにジーンズ姿、不精ひげを生やして出演していた。ニュース番組のなかで「税金を払って残るのはこれだけさ」と言いながら500フラン紙幣を燃やして抗議殺到、フランス国歌をレゲエバージョンで歌って右翼に狙われ、生放送中に「あなたとセックスしたい」と大胆な発言で歌手を口説いた。
ブコウスキーとゲンスブール、二人の男について語り継がれる武勇伝(ともいうべき?)はここでは書ききれないし、私の知らない驚くようなエピソードもおそらくまだたくさんあるだろう。私は女だけれど、このとんでもない二人のオヤジの生き方に惹かれるのだ。なぜこんなにも二人が残した作品に心を動かされるのか、なぜ好きなのかと聞かれるとうまく説明ができない。男性としての魅力を感じることがないわけでもないが、そのような憧れとも少し違う。ひとつだけ言えるのは、彼らの作品に漂う、ブコウスキーの精神、ゲンスブールの精神がもっとも私を魅了するということだ。
私はときどき、この二人が出会って酔っぱらいながらジョークを飛ばして互いを罵り合ったり女の趣味をけなしたりするところを想像する。ブコウスキーにしてみれば、ゲンスブールもそのへんのスノッブと何ら変わりはないと思うかもしれない。けれどきっと彼らは意気投合してしまう違いない。もうかなわない、どこか切なく、夢のような話だけれど。
*
画像上はブコウスキーと晩年をともにすごした妻のリンダ・リー。
画像下はテレビ番組出演時のゲンスブールとバーキン、1969年。
2012-03-29
ブコウスキーとゲンスブール(3)
セルジュ・ゲンスブール(本名:ルシアン・ギンスブルグ)は1928年4月2日、パリのブランシュ街に生まれる。父はオデッサ出身のユダヤ系ロシア人、母もクリミア半島出身のユダヤ系ロシア人で、夫婦はロシア革命の混乱のなか1927年にパリに亡命した。クラシックの作曲家であった父親は、バーでピアノを弾いて慣れない異国での暮らしを支えていた。二人は最初に生まれた長男を悪性肺炎のために一歳4ヶ月で亡くしており、まだ二歳と幼い長女を抱えての貧しい生活であった。母は三人目を身籠ったときに堕胎をする決意をしたが、当時のフランスでは堕胎は犯罪であり、闇医者に頼るしかなかった。しかし下町の闇医者をたずねた彼女はあまりの不潔さに逃げ帰っている。このとき生まれたのがルシアン、セルジュ・ゲンスブールである。しかも驚くべきことに双子であった。ゲンスブールにはジャクリーヌという名の姉と、リリアンヌという双子の姉がいる。
ゲンスブールの父親はロシアの知識階級の出身で、幅広い教養を身に着けたディレッタント、芸術至上主義者であったために、ゲンスブールは貧しくとも貴族的な教育を受けている。学校から帰ると毎日父親からピアノのレッスンを受け、バッハやショパンを弾かされていたが、そのことがとても嫌だったという。幼い頃から絵の才能に秀でていたルシアンは、誰に打ち明けることもなく画家になることを夢見ていた。臆病で内向的な感受性の強い少年で、家庭での恵まれた愛情に反して学校ではいつも孤独であった。
1940年、ドイツ軍による占領がはじまると、一家はフランス中を転々としながらナチスによるユダヤ人狩りから逃げ回った。12歳のルシアン少年もユダヤ人であることを示す黄色い星を胸につけられ、森林伐採などの強制労働をさせられたという。堕胎未遂の末に生まれたゲンスブールは「生まれる前から死に損なった」とのちに語っているが、ナチスによるユダヤ人排斥もまた、望まれざる命であることへの絶望感を強めることになった。そしてユダヤ人で醜男というコンプレックスはゲンスブールに生涯つきまとう。
戦後、美術学校の建築科に入学し、フェルナン・レジェら画家のアトリエにも通って絵を学ぶ。47年から兵役も経験しているが (脱走を企てたことで3ヶ月投獄されてもいる)、あまりにも退屈で13ヶ月の任期を終える頃には立派なアル中になっていたと語っている。しかしアル中はそのときに始まったことではなく、13歳頃からアルコールの味を覚えると、過度の飲酒により意識喪失も経験していた。さらに13歳から吸い始めた煙草はジタンを一日に七箱ともいわれる。
22歳のとき教育センターで美術教師の職を得る。ユダヤ人の子どもたちや収容所から生還した人たちをサポートする施設での仕事であった。生活は厳しく、自宅でピアノを教えて収入を補い、近所の生涯学習センターでワークショップを催したりしている。23歳で一度目の結婚をする。昼は教育センターで美術を教え、生活のために夜はバーやキャバレーでピアノを弾いて稼いでいた。しかし昼夜の二重生活はそう長くは続けられず、夜の仕事のほうが収入が良かったため、思い切って教育センターの仕事を辞めるが、昼間にバーやクラブが開いているわけがなく、家具の塗装やフィルムの色塗りなどのさまざまな副業で食いつないでいた。
ゲンスブールは才能に限界を感じていた画家になるという夢を断念し、音楽の道を選ぶ。26歳のときにはミュージシャン組合に加入し、そのための試験まで受けるという堅実ぶりであった。後のゲンスブールの姿からはまるで想像がつかないが、ソングライターへの予感があったからだった。しかし内気なゲンスブールは歌手にデモテープを売り込むことができず、あまり成果が得られずに終わっている。
ミロール・ラルスイユというキャバレーで、ミシェル・アルノーの専属伴奏者となった。そこで精神的兄弟ともいえるボリス・ヴィアンに出会う。そしてヴィアン自作の歌を聴いたゲンスブールは、この分野なら自分にも何かできるかもしれないと思った。ヴィアンの歌はこれまでの愛を嘆く甘いシャンソンとは違って、常識社会を嘲笑し皮肉った挑発的なものであった。56年、28歳のゲンスブールは『リラの門の切符切り』で歌手デビューする。
2012-03-27
ブコウスキーとゲンスブール(1)
...私は目を閉じて波の音に耳を傾けた。海の中には無数の魚たちがいて、お互いを食べ合っている。飲み込んでは排泄する果てしない数の口と尻の穴。この世はすべて穴に尽きる。食べて排泄して性交するだけだ。—チャールズ・ブコウスキー『Ham on Rye』(1982年)
*
俺はリラの門の切符切り/人がすれ違っても目にもとめない男/地下に太陽はない/妙なクルージングさ/......穴をあける、小さい穴、ほらまた小さい穴/小さい穴、小さい穴、いつもいつも小さい穴/これじゃあ気も狂うさ/銃も手にしたくなる/その銃で穴をあけるのさ、小さい穴、最後の小さい穴/それで俺は大きい穴に入れられる/そこだともう穴の話は聞かずにすむ、穴のおとはいっさいなし/小さい穴の、小さい穴の、小さい穴の...—セルジュ・ゲンスブール『Le poinçonner des Lilas』(1958年)
セルジュ・ゲンスブールのデビュー曲『リラの門の切符切り』は、ぼそぼそとつぶやく男の暗いシャンソンのようなポーズをとりながらも革新的な内容で、作家・詩人・トランペット奏者・画家・劇作家・俳優・歌手と、20以上の顔を持つボリス・ヴィアンから「アンチ・シャンソンの誕生、シャンソンはゲンスブールとともに新世紀に入る」と激賞された。
ゲンスブールはこの曲で、ひたすら切符を切り続ける地下鉄の改札員のことを歌っているのだが、地下の暗い世界で切符を切り続ける孤独な男が外の世界へ逃げ出したいと願うも、来る日も来る日も小さな穴をあけているうちについには気が変になって死の願望にとりつかれるようになり、自らの頭にピストルで穴をあけて棺桶の待つ穴に急ぐという、まるで帝政ロシア時代の小説を思わせるような内容で(ゴーゴリのようなユーモアを持っていると私は思うのだが)、さらには繰り返される穴という単語がダブル・ミーニングで性的なメタファーを孕んでいるという、一筋縄ではいかないような歌詞である。
ゲンスブールはデビュー以来このような言葉遊びを好み、プロデューサーとしてアイドルや女優たちに楽曲を提供する時も彼のスタイルは徹底していた。主に性的な内容を扱ったものが多いのだが、それはロリコン趣味のエロオヤジといったイメージを安易に連想させるものではあるが、ユーモアのなかにありったけの皮肉を込めて、ある時には過激なほど自虐的な詞も書いた。
チャールズ・ブコウスキーの小説もまた、過激で自虐的だ。おそらくブコウスキー本人は自虐的な小説を書いているという意識はまるでないと思うのだが(彼が意識的に自虐的な内容を語るときは故意に誇張してユーモアたっぷりに、そしていつでも作家としての冷静な眼差しを欠くことはない)、私にはそのように感じられる。前回の記事でも書いたのだけれど、ブコウスキーの小説は自伝的というか、ほとんど自伝だ。だからブコウスキーの小説を過激で自虐的だと感じるのだとすれば、それはブコウスキーの人生、ブコウスキーそのものが過激に満ちた存在なのであり、自虐的に振る舞うざるを得ない決定的な何かが彼の人生にはあったのだ。
ゲンスブールにも同じようなことが言えるだろう。ゲンスブールに関する書物を読んでいると(どれも永瀧達治氏の本なのだが)、ゲンスブールにもっとも近い「危ないオヤジ」としてブコウスキーの名前が挙げられている。私は偶然にもブコウスキーとゲンスブールをほとんど大差ないタイミングで知ることになったので、ゲンスブールを聴きながらブコウスキーを読むという、方や伊達男の飲んだくれ、方や無頼派の飲んだくれという危険なオヤジとの三角関係に身をまかせながら、なぜこんなにも滅茶苦茶なオヤジに惹かれるのか、もはや狂気の沙汰ともいえるの彼らの生活、彼らの人生について想い、なぜ彼の歌は、なぜ彼の小説はこんなにも美しいのだろうと、もはや時代遅れとなって久しい彼らのこと、彼らの残した作品のこと、それらに恭しくキスをして行き着くことのない想いをめぐらせることにせっせと時間を費やしてきた。そのような私もだいぶ気違いじみているかもしれない。しかしこの二人の男は無茶苦茶でいながら、脆く、繊細で内気な男たちなのだ。まるで思春期の少年の心をそのまま残して、歳だけとってしまったような男たち。要は、とんでもない男たちなのだが。そんな二人の男について思うことを、明日にでも、もう少し。
2012-03-22
鬱々とした曇り空、または灰色をした映画音楽、ゴンザレス『ソロ・ピアノ』(2004年)
この『ソロ・ピアノ』というアルバムはタイトルのとおり、ピアノ一本で表現された16の小品を収めたもので、暗いフランス映画のような陰鬱さとジャズっぽい躍動感(といってもかなり抑えてあります)を兼ね合わせた、夜または雨、グレーな曇り空にふさわしい、繊細で静かなアルバムです。ピアノの音が小さくとても柔らかいのですが、弦を布に包むなどの独特なスタイルで演奏しているようで、ペダルを踏んだ際の摩擦音や鍵盤を叩く音も微かですがそのまま録音されています。暗い夜などイヤフォンを使用しながら耳をそばだてて聴いていると、いつの間にか世間からぽつんと離れてしまったかのような、自分とそこにはピアノしか存在していないのではないかというような、心地良い浮遊感に浸ることができます。クラシックともジャズとも違う、本当に静かで色の感じられないアルバムなのですが、決して無味乾燥というわけではなく、むしろ静寂の中に響く雨音や微かな風の音のように自然音としてピアノの音が存在するように感じられるのです。
「ピアノはどんな楽器よりも多くの色を表現できると人は言う。確かにそこには白と黒がある。古い無声映画のようにね。僕はこれらピアノの曲たちを壁に映された影絵のように思う」ゴンザレス
そして私は今日も、一曲目の「GOGOL」のイントロで心を掴まれ、そのままゴンザレスの影絵劇場に引き込まれていくのでしょう。






















