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2012-04-09

ひとりの女をめぐる二人の男の物語、もしくは純愛の三角関係 フランソワ・トリュフォー『突然炎のごとく』(1961年・フランス)


『突然炎のごとく—ジュールとジム』という映画の構想は、長編デビュー作『大人は判ってくれない』を撮るかなり前の時期からトリュフォーの頭の中にあったという。トリュフォーは映画批評を書きはじめた21歳のときに映画の原作となるアンリ=ピエール・ロシェという老作家の小説に出会い、いつか映画を作れるようになったとしたらこの小説を映画化したいと考えたそうである。この夢が実現されるまでには十年近くの歳月が費やされることになったが、長編映画を撮る機会にめぐまれたトリュフォーは、ひとまず『大人は判ってくれない』と『ピアニストを撃て』の二作品を習作のつもりで撮ったあと、大ファンであったアンリ=ピエール・ロシェの小説を映画化したのである。トリュフォーは三作目にしてやっと自分らしい恋愛映画を撮ることができたのだ。

アンリ=ピエール・ロシェが生涯に発表した小説はわずか二作で、1953年に74歳で処女作『ジュールとジム』を発表し、続けて『二人の英国女性と大陸』という小説を発表している。このふたつの小説は作者であるロシェ自身の人生と女たちの物語で、登場人物はすべて実在し、20世紀初頭のミュンヘン、パリ、ベルリンが舞台になっている。どちらの小説もトリュフォーが映画化した。『二人の英国女性と大陸』という小説は1971年に『恋のエチュード』というタイトルで映画化された(この映画についても後日募る想いを書きたいと思っています。)若きトリュフォーは老作家と文通し、小説の感想や映画化のアイディアをやりとりしていたのだが『突然炎のごとく』の映画化が決まってすぐにロシェは亡くなっている。



ひとりの女性をめぐる二人の男の物語という設定から、二人の男の対比が自ずと浮かび上がってくるが、この映画のテーマはジュールとジムという二人の男の対比を描くことではないように思う。ジュールとジム、そしてカトリーヌを中心とした三人の物語であることに間違いないが、一にも二にもカトリーヌの物語という印象の映画ではある。しかし語り手はジュールということになっていて、ならばジュールの物語であるかといえば必ずしもそうとは言い切れない部分があるし、なんといっても驚かされるのが、私はこの映画をこれまでに5回ほど観ているのだけれど、そのつど自己投影する人物が変わるのである。初めて見た時は同じ女性ということも手伝って強烈な個性をもった感情的なカトリーヌに、あらためて冷静に観ることのできた二度目の鑑賞はジムに、三度目になってもっとも理性的なキャラクターのジュールに、という感じで知らず知らずのうちに気付けば三人それぞれの立場でこの物語を見渡していた、というとても不思議な映画である。

ヒロインのカトリーヌは感情的で衝動的、わかりやすい言葉を借りれば自由奔放な女性として描かれている。カトリーヌのモデルは原作ではナボコフの『ロリータ』をドイツ語に翻訳したとして知られるヘレン・ヘッセルという女性ということになっているが、映画のなかでジャンヌ・モローが演じるカトリーヌはロシェの小説や日記に登場するさまざまな女性を綜合して作り上げられたキャラクターであり、非常に魅力的だ。カトリーヌはジュールと結婚するが同時にジムも愛し、他の男とも関係を持つ。そんなカトリーヌをジュールは許し、彼女のそばにいられることが自分の幸せだと確信し、それを実現させるためであればどんな苦労も惜しまない。カトリーヌが誰と寝てもかまわないし、ジムと結婚すると言い出してもかまわないのだ。



ジュールは基本的には理性的な男である。無条件でカトリーヌを愛し、ジュールにも絶対的な信頼を寄せている。ジュールとジムの友情というのは文学への愛情によって結ばれている。二人とも文学青年であるから互いに情緒的ではあるのだろう。ジムはカトリーヌを愛しながらも昔の恋人とのあいだをふらふらと行ったり来たりして、ジュールに比べるとどちらかと言えば感情に流されやすい。そういう点でカトリーヌとジムは似ているのかもしれない。

しかしカトリーヌとジムの恋愛感情が決定的に違うのは、カトリーヌと昔の恋人のあいだを右往左往するジムに対して、カトリーヌは目の前にいる相手だけを瞬間的に愛することができるという点である。カトリーヌの感情はジュールとジムのあいだで揺れ動くことはない。ジュールと一緒にいる時は彼を愛し、ジムが目の前に現れるとそこにいるジムだけを愛するからだ。それは『突然炎のごとく』というタイトルそのままに、突如として沸き上がる感情なのだ。

もしカトリーヌが同時に何人もの男性を愛するこができる女ならば、不倫という形で多くの男と関係を持ったとしてフローベールの『ボヴァリー夫人』のように描かれるだろう。そのように考えてみるとカトリーヌは実に律儀な女性なのである。解放的であるがゆえにジュールとジムという二人の男を裏切るような真似はしない。ジュールとジムの関係もカトリーヌが引き金となって壊れるようなことは決してない。この映画を面白くしているのはそのようなカトリーヌのキャラクターと、多くの恋愛映画とは一線を画した揺るぎない三角関係の描かれ方にあるのだろう。そんなことをあれこれ書いてみてもこの作品を前にしてみればすべて無駄である。この映画はもはや男と女の神話なのである。



突然炎のごとく
製作年:1961年 製作国:フランス 時間:107分
原題:Jule et Jim
原作:アンリ=ピエール・ロシェ
監督:フランソワ・トリュフォー
出演:ジャンヌ・モロー、オスカー・ウェルナー、アンリ・セール、マリー・デュボワ、ヴァナ・ユルビノ、サビーヌ・オードパン、ミシェル・シュポール



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2012-02-26

活字のない世界、フランソワ・トリュフォー『華氏451』(1966年・イギリス=フランス)



近未来。活字のない世界。そこでは読書が全面的に禁じられ、本を読む者は反社会分子とみなされていた。すべてが耐火住宅になり、本来ならば火を消すはずであった「消防士」の仕事は禁止されている本を探し、それらに火をつけて燃やすこと......


数年前に母親が「昼間、BSで面白い映画をやってたわ。本が燃やされるのよ!それでみんなぜーんぶ暗記しちゃうの!華氏なんとかっていう...それが紙が燃える温度なのよ!」と興奮した様子で喋っていたことがあった。あまり映画を観ることのない彼女にしては珍しいこともあるものだと思い、私は一緒にはしゃぎたい持ちを抑え、あえて冷静に「あぁ、それはトリュフォーじゃないか」と答えたのだった。それから半年もたたぬうちに「あの映画、またやってたわよ」と母が教えてくれたのだが、ヌーヴェル・ヴァーグかトリュフォーの特集かなにかをやっていたのだろうか。残念ながら私はまだトリュフォーの作品をテレビ放映で観たことがない。ゴダールは父と一緒に『軽蔑』を観たおぼえがあるのだが。


私がトリュフォーの映画に惹かれる大きな理由は、そのどれもが本好きの人間のための映画のように思えるからだ。トリュフォーの映画では、書物を読む、手紙を書く、文章をタイプする、といった活字をめぐる行為が非常に重要な役割を果たしている。どの作品も読書好きのトリュフォーらしいユーモアに彩られ、本好きの人間であればその粋な心配りに親しみを感じるだろう。


そんなトリュフォーの書物への愛がひしひしと伝わってくるのが、この『華氏451』である。トリュフォーの監督作品としては4作目にあたる。活字が全面的に禁止された社会を描いたレイ・ブラッドベリのSF小説が原作なのだが、実はトリュフォーは大のSF嫌いであることを公言していた。同志ゴダールの映画についても近未来の都市を舞台にした『アルファヴィル』だけは好きにはなれないと言っていたほどである。にもかかわらずこの小説の映画化を引き受けた背後には様々な理由があってのことだろうと推測するが、まず間違いなくトリュフォーはこの原作の小説を面白いと思ったのだろう。

というか、この原作は相当面白いはずである。本が禁止されるということ(活字とはなにも小説や専門書や辞書ばかりではなく、活字が含まれていれば漫画や美術書なども対象になっている。主人公のモンターグ青年はイラストの吹き出し部分に台詞のない新聞?のようなものを読んで、というか見ている)それを取り締まるのが消防士という発想がすごい。そして原作の世界を見事に再現したトリュフォーもまたすごいということなのである。60年代からみた未来という設定であるから、もしかしたら今の時代を想定したのかもしれない。「いとこ」たちが出演するスクリーン、モノレール、規格化された住宅。まあ、いま観ると失笑してしまう箇所もあるのだが、殺伐としたひとつのイメージを伝えるのは十分である。

そしてなにより、本が燃えるシーンの美しさ。本を読むシーンの素晴らしさ。これらのシーンに心が動かされるということは、感情移入ではないけれど、本に愛着を覚えるからではないだろうか。もちろん映画の主人公は消防士のモンターグなのだけれど、焦点が当てられるのは本である。本が燃えるシーンを見つめているときの自分の心理を見つめ返すことによって、この映画の素晴らしさが理解できるのだろう。そして本への愛着があれば、自ずとラストシーンが美しく感動的なものになるのだ。



この映画はトリュフォー自身も失敗作とみなしていたほど、いわく付きの作品である。モンターグを演じたオスカー・ウェルナーとの確執は有名な話だが、そもそもこの主人公の役には前々作の『ピアニストを撃て』に出演したシャルル・アズナブールの名前が最初にあがり、次にジャン=ポール・ベルモンドが、ベルモンドはかなり乗り気だったのだけれど、フランスでは製作資金のめどがつかず白紙になってしまった。アズナブールが演じていればピアノの弦の下に本を隠したり、ベルモンドだったらりジュリー・クリスティーとまるで兄妹みたいに映りそうだが、そんなネタも豊富にあったのだろうなと勝手に想像している。とにもかくにも、イギリスで行われた撮影で英語が話せないトリュフォーは苦戦し、遂には誰とも話さずに日記ばかり綴っていたそうである。そんな状況下で唯一彼の救いだったのはジュリー・クリスティーの存在だったらしく、当時のインタビューを読んでみると作品についてはあまり語らず、やたらと彼女を絶賛しているものばかりである。

しかし私はこの映画をそれほど悪い作品だとは思わない。むしろトリュフォーの映画のなかでは好きなほうに入るくらいである。もし失敗作と言われる原因があるとすれば、トリュフォーの書物への愛が強すぎるために、細部にこだわりすぎてしまったことにあるのではないだろうか。先にも書いたが、本が次々に燃えるシーンの紙のアップは美しくとても効果的で、逆に空からの襲撃シーンはやたらとチープで不思議な出来映えになってしまっているように思う。もしかしたらこのような部分がトリュフォーの言う、あまりにSF的な要素を排除した、というところの意味なのかもしれない。

そしてこの映画にもやはりトリュフォーらしい目配せというのが感じられるのである。例えば、ラスト近くの床に臥せったお爺さんが子どもに暗唱させるシーンに時間を割いているあたりに、もうひとつのドラマがみえてくるのである。物語の本筋とは別のところで印象深い意味を持たせるあたりはトリュフォーはならではといった感じである。そしてラストになるのだが、書物の内容を一字一句すべて暗記してしまったいわゆる「本人間」たちがそれぞれ暗唱しながらすれ違うシーンに日本語の台詞が聞こえるような気がしているのだが、もしそうであったのなら一体誰の何の本なのか、日本語で喋っているぐらいだから日本の書物だと思うのだが、それがずっと気になっている。そしてこの映画を観終えた私はいつも、ごまんとあるお気に入りの本の中からいったいどの本を暗唱しようかなどと、本気で考えてしまうのである。


華氏451
製作年:1966年 製作国:イギリス・フランス 時間:112分
原題:Fahrenheit 451
原作:レイ・ブラッドベリ
脚本:フランソワ・トリュフォー、ジャン=ルイ・リシャール
監督:フランソワ・トリュフォー
出演:オスカー・ウェルナー、ジュリー・クリスティー ほか


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2012-01-17

亡きアンドレ・バザンの思い出に、トリュフォー、大人は判ってくれない

ついこのあいだ、二十歳の恋について書いた記事のなかでトリュフォーの少年時代について少し触れたと思うのですが、今日はその続きと映画『大人は判ってくれない』について、以前Amazonに投稿したレビューに加筆していきます。 トリュフォーの人柄と、映画にまつわる様々なエピソードを知っていくうちに想い入れの深い映画となってしまい、YouTubeで「タララララン」というオープニング曲を聴いただけでも涙腺が緩んでしまう。永遠の少年像を世界に焼きつけた、トリュフォーによる最初のもっとも美しい映画です。




亡きアンドレ・バザンの思い出に—


トリュフォーの長編第一作目であるこの映画は、「亡きアンドレ・バザンの思い出に」という献辞ではじまる。アンドレ・バザンは映画評論家であり、問題児であったトリュフォーを映画の場所に導いた人生の師であり、トリュフォーはのちに彼を「精神的父親」とよんだ。

二人の出会いはこうであった。トリュフォーは「セルクル・シネマーヌ(映画中毒者集会)」という名のシネクラブをつくったばかり、バザンは「ラ・シャンブ ル・ノワール(暗闇の部屋)」というシネクラブを主宰していた。ある日、バザンの前に一人の生意気そうな少年があらわれ、映画の上映後、えんえんとやりあった。バザンは若い連中が生半可な知識でつっかかってくることに慣れていたが、少年の映画へののめりこみようが尋常ではないことがすぐにわかった。特にアメリカ映画に対する知識と熱意には圧倒されてしまったという。一方トリュフォーは、最初はライバル気取りで、同じ界隈で別のシネクラブがやられては困るというので、上映会の日程を変更して欲しいと文句をつけにいったのだが、映画の話をしているうちに意気投合してしまったのである。トリュフォーは16歳になったばかり、バザンは30歳であった。

知り合って間もなく、実の両親によって少年鑑別所に入れられたトリュフォーを心配し、周囲にかけあって救い出したのがバザンであった。さらに三年後、トリュフォーが失恋の痛手に耐えきれず突発的に入隊を決意し、脱走を繰り返したときも、四方八方に手を尽くして軍刑務所から救い出してやったのもバザンであった。

バザンは軍刑務所から釈放された二十歳のトリュフォーを自宅に住まわせ、情緒不安定を改善させ社会復帰させるために、すべての神経、精神を映画に向けさせるよう導いていった。バザンの指導で大量の小説や映画の本を読み漁ったトリュフォーは多くの言葉を書き留め、やがて「フランス映画の墓堀人」といわれるまでに辛辣な批評を書くようになるのである。

大人に見放されて育ったトリュフォー少年が出会った、人生ではじめて心から信頼して尊敬できる大人、それがアンドレ・バザンなのだった。しかしこの『大人は 判ってくれない』がクランクインをむかえた当日、悲運にもバザンは亡くなってしまったのである。40歳という若さだった。バザンがいなければ、間違いなく映画監督トリュフォーはこの世にいなかっただろう。




この映画を初めて観たとき(当時はこれが自伝的映画だということも、トリュフォーの複雑なバックグラウンドも全く知らなかった)確かに色々と感じたことはあったのだけれど、主人公のアントワーヌがかわいそうだとか、ひどい両親だとか、そんな単純で陳腐な言葉ではとうてい表現できない感情に、私はずいぶんと考え込んでしまったのであった。

これはいつの時代に誰が観ても「そりゃないよ」という物語だからだ。親の愛情に疑問を持った少年が、居心地の悪さから家出を繰り返した挙げ句、素行が悪くて手に負えないことを理由に両親の手で少年鑑別所に入れられる。鑑別所に母親が迎えにきたかと思ったら、家に戻ってもお前の居場所はないから勝手にしなと言って突き放される。さらに不思議なのは、このアントワーヌという少年は、今の感覚からすれば不良とは到底言えそうもない、世間から不良のレッテルを貼られた孤独な少年にすぎないではないか。

おそらくアントワーヌにしたところで、自分に無関心な両親に対して「そりゃないよ」と思っていたはずなのだ。けれど「そりゃないよ」と思っていても、アントワーヌには成す術がない。「お母さんが死んだ」と縁起でもない嘘をついて両親を怒らせるわけだが、それはよく子供が親の気を引くためにするようないたずらではなく、両親とのあいだに波風を立てないようにするための最小限の自己防衛でしかない。この思わず笑ってしまうような嘘をつくシーンは、実はトリュフォー自身が映画を観に行って学校をさぼった翌日、担任の教師になぜ休んだのかと追求されて、思わず「父親がナチに捕まった」という嘘をついたという記憶に基づいている。そのあと大騒ぎになり、結局トリュフォーは家出し続けるはめになった。


この映画は『大人は判ってくれない』という邦題があてられているが、子供の気持ちを判って欲しいというような主張は、私にはほとんど感じられないのである。もちろんこの映画はトリュフォー自身の不遇の少年時代をモデルにしたものであるから、作家の意図を汲み取るのは比較的簡単なことだろう。しかし、この作品から大人に対する怒りや憎悪という感情が果たして読み取れるだろうか。トリュフォーはおそらく個人的な感情だけで映画を撮ることを嫌っただろう。アントワーヌ役のジャン=ピエール・レオーに幼い日の自身を重ねたかもしれないが、なによりも映画を撮る喜びを一番に見出していたはずである。トリュフォーが子供に向ける眼差しというのは、親に愛されたことのない幼少時代の記憶を呼び起こすものではなく、映画を撮る喜びに結びつくものだと私は思うのだ。

この映画が大人に対する怒りを作り手が一方的にぶつけたものでなく、思春期の少年の揺れる気持ちをそのまま描くだけに留まっているのは、アンドレ・バザンというはじめて心から信頼し尊敬できる大人に出会ったトリュフォー少年が「人を愛することのやさしさ」を見出すことができからではないか。だからこの映画は、大人を非難するようなお説教じみた雰囲気もなければ、親に見捨てられたかわいそうな子供がいたら救いの手を差し伸べてあげてくださいというような、観客の同情を煽るための物語ではないのである。あるのは自分を脅かす存在の大人や世間に対して叫ぶ声も持たない弱い立場にある子供の等身大の姿、どうしようもできない感情だ。ラストシーンの、鑑別所から逃走して海辺にたどりついたアントワーヌの表情がまさにそれを物語っているのではないだろうか。

その後、アントワーヌはどこへ向かうのか。トリュフォーはこのあと、当時世界的にも例を見ないシリーズものを撮ることになる。俗に「ドワネルもの」と呼ばれるこのシリーズは、20年の歳月にわたりアントワーヌの人生を追いかけ、アントワーヌを演じたジャン=ピエール・レオーの成長とともに描かれることになる。

アントワーヌ・ドワネルはトリュフォー亡き今も、この映画を愛する多くの人間の人生の一部に生き続けていることでしょう。トリュフォーとアンドレ・バザンの思い出とともに。



私はこれを見たくなった時にいつもレンタルで借りて観ていたのですが 、去年の春ごろにこの『大人は判ってくれない』とジャック・リヴェット傑作選の3本がレンタル屋のわずかなスペースでの扱いとなっているアート系の、フランス映画のタイトルがまとまって置かれた棚からごろっと消えてしまいました。場所移動でもなく、もうずっと見かけないので他店に貸し出しているわけでもなさそうだし、単品で購入するにも高値で、次に発売になるとしたらブルーレイ(日本盤で欲しい)だと思うのですが、その発売を待ち望んでいる次第でございます。そろそろ出ても良さそうだけどなあ。それにしても『大人は判ってくれない』が置かれていないレンタル屋ってのもなんかねェ...リクエストを出すと他店から取り寄せてくれたり場合によっては購入までしてくれたりするので良心的な店ではあるのですが。でもリヴェットまで消えてしまったのもショックですし、それではなぜゴダールだけは同じタイトルのものが旧盤と高画質廉価版と両方置いてあるんだろう。


大人は判ってくれない
製作年:1959年 製作国:フランス 時間:97分
原題:Les Quatre Cents Coups
監督:フランソワ・トリュフォー
出演:ジャン=ピエール・レオー ほか


フランソワ・トリュフォーDVD-BOX「14の恋の物語」[I]
角川エンタテインメント (2009-03-27)

2012-01-16

ヌーヴェル・ヴァーグはどこからやってきたのか

そもそもヌーヴェル・ヴァーグについて私が知っていることいったら監督名とその映画、出演している俳優ぐらいしかわからないので偉そうな口は叩けないのであるが、ヌーヴェル・ヴァーグはどこからやってきたのか。ヌーヴェル・ヴァーグって人の名前?それとも美味しいパンの名前?偉い人?なにかの機械みたいなもの?そもそもヌーヴェル・ヴァーグって何だ?


ヌーヴェル・ヴァーグの「文化的基盤」をつくったのは「唯一にして真の映画評論家」アンドレ・バザンを中核とする「カイエ・デュ・シネマ」誌にほかならない。—ゴダール

(オーソン・ウェルズの『市民ケーン』に対して)これから映画をつくろうと考えていた人間にこれほどやる気を起こさせた映画はなかった...あの無謀な若さで...映画の規則を踏みにじり、その視覚的限界を踏み越え、目を見はらせる衝撃的なあの手この手...映画的奇跡」–トリュフォー








「カイエ・デュ・シネマ」の創刊は1951年であった。パリのシャンゼリゼ大通り146番地に編集部を置き、未来の「新しい映画」を担う若者たちが自由に出入りして映画を論じ合う溜まり場になったのは1953年の冬ごろ、グループはまだ若く貧しく、そこには二十歳のトリュフォーやゴダール、リヴェット、シャブロル、さらにはエリック・ロメールなどがいて批評を武器に、フランス映画界に殴り込みをかけようとしていた。のちにヌーヴェル・ヴァーグと名付けられる若者たちの姿である。


「カイエ・デュ・シネマ」=ヌーヴェル・ヴァーグの精神は「作家主義」である。これはオーソン・ウェルズの擁護と賛美にはじまった。1941年、オーソン・ウェルズは『市民ケーン』という映画を世に送り出す。(この映画は今観ると技術的な真新しさはまるでわからない。なぜならこのときオーソン・ウェルズがみせた真新しい撮影技法というのはもはや映画の撮影技法としては主流になっているからである)若干25歳でハリウッドにのりこんで新人監督としては異例の条件で、撮影から編集に至るすべての権限を自由に保証されて作った伝説的な映画である。ハリウッドという巨大な撮影所システムと企業形態のなかで助監督の経験もなく、しかも25歳の若さで『市民ケーン』を撮ることに成功したオーソン・ウェルズは、まさにヌーヴェル・ヴァーグの理想であり、極端にいえばヌーヴェル・ヴァーグとはオーソン・ウェルズに憧れた若者の集まりでもあった。


アメリカ映画を擁護することは一種のアヴァンギャルドだったのだとエリック・ロメールは語る。十代のトリュフォーも、パリ解放後にアメリカ映画を観れるようになったときの興奮をこのように表現している。「くたばれ!ピエール・フレネー、ジャン・マレー、エドヴィージュ・フイエール、レーミュ、アルレッティ。素晴らしき哉!ケーリー・グラント、ハンフリー・ボガード、ジェームズ・スチュアート、ゲーリー・クーパー、スペンサー・トレイシー、ローレン・バコール、ジーン・ティアニー、イングリット・バーグマン、ジョーン・ベネット......」


当時の映画雑誌(特に「レクラン・フランセ」)の反米主義は露骨であったため、映画狂の若者たちをイライラさせていたのだった。そして周囲への反抗心と、フランス映画には見出せなかったすばらしいエネルギーに対する心からの称賛と愛をこめて、とにかくハリウッド映画でさえすれば何でも好きになってやろうと彼らは決心するのだった。1948年ごろから、エリック・ロメールは「シネクラブ・デュ・カルチエ・ラタン」というシネクラブを主宰し、アメリカ映画なら何でも上映していた。さらに反米主義の「レクラン・フランセ」に対抗して「ラ・ガゼット・デュ・シネマ」誌を作ったが、失敗に終わる。そしてロメールは「カイエ・デュ・シネマ」に合流した。やがて左岸派のジャック・ドゥミやアニエス・ヴェルダもヌーヴェル・ヴァーグに加わっていく。


1953年、トリュフォーは「フランス映画のある種の傾向」という批評を「カイエ・デュ・シネマ」で発表する。当時売れっ子だった商業監督や彼らの作品の脚本家を叩きのめすものであったが、賛否両論の反響を巻き起こしトリュフォーの名を一躍高からしめたが、「くたばれ!トリュフォー」という抗議と怒りの手紙が「カイエ・デュ・シネマ」誌の編集部に殺到した。しかしこれこそがヌーヴェル・ヴァーグの到来を予告する明確なマニフェストにほかならなかったのである。


フランス映画の進歩は、本質的に脚本家および脚本そのものの革新、つまり文学の名作を映画化するための大胆な脚色、そしてふつう難解とみなされる主題にはきわめて敏感に反応し、寛大な観客がそれをうけいれてくれることへの絶対の信頼、にもとづくものではあるまいか。それゆえにここで問題になるのは脚本であり脚本家なのである。


名作文学にかこつけて–そしてもちろん「良質」の名のもとに–大衆に提供され、うけいれられているわがフランス映画の主流の実体は、相も変わらぬ暗いペシミズムのムードと社会の掟に立ち向かって挫折する純粋な人間たちの疎外と孤独を描き、大胆にみえて安易なマンネリズムが適量に調合された伝統的な映画なのである。


また、1982年に来日したときにもこのように語っている。


たとえば、メロドラマでは善玉と悪玉がはっきり区別される...純粋な心を持った主役のせりふは美しく感動的で、傍役の言うことは悪意に満ち、愚劣で滑稽というなんとも鼻持ちならない図式です。そうしなければ感動的にならないというような映画のつくりかたそのものが、いかにもいやらしくてやりきれないと...

「商業主義的要請」と時流にしたがって何でもこなすというだけの「凡庸のきわみに達した」フランス映画の「ソツ」のないたくみさが腹立たしく我慢がならなかった...




辛辣な批評でフランス映画界に君臨していた多くの名監督(と呼ばれていた人物)らを敵に回すことになったトリュフォー青年も、やがて自らの手で映画を撮ることになる。
明日はトリュフォーの長編デビュー作である『大人は判ってくれない』について書く。

2012-01-09

フランソワ・トリュフォー、二十歳の恋 アントワーヌとコレット


1932年、パリ九区に生まれ、家庭の事情により孤独な幼少期を過したひとりの少年は、10歳をむかえる頃には家出を繰り返し、映画館に入り浸るようになっていた。少年には実父母がそろっていたが、自分は両親(特に母親)に望まれて生まれてきた子ではないのだというコンプレックスを抱えていた。国語の成績以外は落第生であった彼は14歳で学業を放棄することを誓う。そして盗みや放浪を繰り返しながら映画館に通いつめ、やがて大人(時には専門家)も負かす映画狂の少年になっていた。しかし16歳のときにシネクラブを設立するも、「放浪癖のある不良少年である」として実の両親によって少年鑑別所に送られてしまう。自分は捨て子であるというコンプレックスにさいなまれ続けていた少年は、このとき完全に親に見捨てらてしまったのである。しかし、少年はたとえ両親に見捨てられても、映画に見捨てられたのではないのだと信じていた。1949年の冬のことであった。


少年とは言うまでもなくフランソワ・トリュフォーのことである。この、現代フランス映画界の父とも呼べる彼のすべての作品を私はほかのどんな映画よりも愛しているのである。そしてフランソワ・トリュフォーというチャップリンにも似たひとりの「はみ出し者」は、その映画において、時には走り書きした手紙のなかで疾風のように、また時には書き尽くせぬ日記のようにやさしく語りかけるのである。まるでわたしたち観客をあたかも親密な友人でもあるかのように、彼の秘密をまたひとつ打ち明けてくれるのだ。


昨日のボウイの記事でたまたまジャン=ピエール・レオーのことを最後のほうに書いていたようなので、今日は『二十歳の恋』というオムニバス映画のなかから「アントワーヌとコレット」という作品を紹介する。よく考えてみると今日は成人式でもある。


少年鑑別所、脱走兵として軍刑務所への収容、批評家を経て、1959年、『大人は判ってくれない』という自伝的な映画で監督デビューをはたしたトリュフォーは、1962年に『二十歳の恋』というイタリア、フランスをはじめとするオムニバス映画の一遍として「アントワーヌとコレット」という短編を出品した。実はこの企画、日本からは石原慎太郎の名前がクレジットされており、気になって数年前に調べてみたのだが日本のフィルムだけ行方不明だそうだ。そんなに簡単に一本の映画がなくなるものなのだろうか?と疑問に思うのだが、石原だけに太陽族っぽい?青春モノなのかと想像している。


トリュフォーが出品した「アントワーヌとコレット」は、『大人は判ってくれない』から三年後という設定になっており、前作と同様に主人公のアントワーヌを演じたジャン=ピエール・レオーが再び登場している。14歳であったジャン=ピエール・レオーが17歳になったという、演じた年齢とともに成長していた彼の姿をカメラに収めているうちに、トリュフォーの頭にはさまざまなアイディアが浮かび、ジャン=ピエール・レオーを起用したアントワーヌの物語の続編がその後20年にわたって作られることになる。これについてはまた別の機会に書きたいと思う。


「アントワーヌとコレット」の物語はトリュフォーの実体験がもとになっている。この作品に限らず、トリュフォーの映画というのは、すべての作品がなんらかの形でトリュフォー自身の告白になっている。少年鑑別所をアンドレ・バザンという映画評論家の助けで出所したあと、バザンのはからいで映画批評まで書くようになったトリュフォーは、ゴダールやジャック・リヴェットら、のちにヌーヴェル・ヴァーグとよばれる革新的な風を映画界にふかせる仲間たちとシネマテークやシネクラブで行動をともにしていた。そこで知り合ったリリアーヌというスウェーデン人の女子学生に恋をするのである。



「そのころ、わたしは美しい女子大生に恋をし、ただもう、なるべく彼女の近くにいたい一心で、彼女のアパルトマンの真正面にあった小さなホテルの一室を借りて住んでいたのです......わたしは彼女の両親とすぐ親しくなったけれども、かんじんの彼女のほうはといえば、いつまでたっても、わたしを仲良しだがちょっとうるさいいとこぐらいにしかあつかってくれなかった」フランソワ・トリュフォー





レコード店で働く17歳のアントワーヌはクラシックのコンサートで知り合ったコレット(マリー=フランス・ピジェ、残念ながら昨年お亡くなりになられましたが、上品な美しさに魅了されました。ジャック・リヴェットの映画でも拝見することができ、身近に感じていた女優さんでもありました。)という名の美少女と知り合い、恋に落ちるが、コレットのほうはあまり気があるようには見えない。しかしコレットの気持ちに全く気付かないアントワーヌは、彼女の両親と仲良くなり気に入られ食事にお呼ばれされたりする。しかしコレットをデートに誘っても大学の勉強が忙しいだのと色々理由をつけられ断られるのだが、コレットのアパートの前の部屋に引っ越しまでしてしまう。(かなりストーカー体質なアントワーヌ)



トリュフォーは郊外のアセチレン工場の近くの土曜クラブにもリリアーヌを連れて行ったようだ。彼女はよく付き合ってくれたようだが、トリュフォーの口説きにはついに心を動かされなかった。トリュフォーは剃刀で手首を切って自殺しようとさえした。血まみれのベッドに倒れているトリュフォーを発見したのはリリアーヌだった。傷は深くなかった。リリアーヌは「きわめて冷静に」沈着にトリュフォーの傷の手当てをした。それから数日後、彼女はトリュフォーに何も言わずにバカンスに出かけてしまった。『トリュフォー ある映画的人生』より



そんな悲しい恋の顛末が描かれた「アントワーヌとコレット」だが、アントワーヌの言動が独りよがりでおかしく、終始かわいらしい初恋といった感じである。一方、自殺未遂を起こしたトリュフォーは初めての失恋の痛手にたえられず、突如入隊を決意していた.......。トリュフォーの人生のほうがドラマティックで映画のような話である。トリュフォー関連の話は一度書き出すときりがないので、またの機会にしようと思う。



フランソワ・トリュフォー DVD-BOX 「14の恋の物語」[I]
ポニーキャニオン (2003-11-06)