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2012-01-14

ジュリアン・シュナーベル『ルー・リード / ベルリン』

昨日の投稿でジュリアン・シュナーベルの映画について少し触れたのだが、読み返してみるとただの素っ気ない作品紹介になってしまっているようで申し訳ないと思いつつも、今日の主題である『ルー・リード / ベルリン』についてもどのように書くべきか迷っているところである。


というのは、この映画はシュナーベルの作品のなかでもっとも素晴らしいものであると私は考えているが、それはシュナーベルが手がけた芸術作品であると同時に、この映画の素晴らしさはルー・リードが1973年に発表した『ベルリン』という音楽性よりも物語性を重要視した異質なアルバムの存在に負うところが大きいからであり、さらに私のもっとも好きな音楽家はゲンスブールとならんでルー・リードその人だからである。なのでどうしても個人的な感情が絡んでしまうわけだが、そもそもこの映画をルー・リードという特異な音楽家を知らない人間がすすんで観るかどうかすらあやしいところではある。しかしライブ映像を堪能するにはあまり良心的な環境とは言えない自宅での鑑賞ですらその壮大なラストにはむせび泣いてしまうほどの内容であるのだから、やはり何か書くべきなのだろう。


ルー・リードはウォーホールのプロデュースによってデビューしたヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコに在籍していたが、現在伝説とまで語られるほどになったバンドの姿とは程遠い、その音楽性はほとんど評価されることのなかった特異な人物である。彼のヴェルヴェッツでの活動は3年あまりだが、ジョン・ケイルが脱退したあとのバンド自体がすでにルーのソロ同然の場と化しており、ヴェルヴェッツでは4枚のアルバム(脱退直後に発売されたものも含めて)を発表するがどれも商業的に成功することはなかった。


晴れてソロとなったルーは『ロックの幻想』(1972年)を発表するも、売上げはふるわず、批評家からも見放されつつあり、この時期、ルーは傷心のまま家業を手伝うなどしていたという。そんな彼をプロデュースしたいと申し出たのが、ヴェルヴェッツの、特にルー・リードの熱狂的なファンでもあったデヴィッド・ボウイ(とジギー・スターダスト期に活動をともにしていたギタリストのミック・ロンソン)であることはロック・ファンであれば誰もが知るところであろう。(私はボウイの、スターでありながらも同志にさりげなく手を差し伸べる、あくまでも相手の尊厳を守りとおす形でさらっと創作に加わる、彼のこういった一面が大好き!なのである!)そして発表された『トランスフォーマー』(1972年)はロック史の記念碑的なアルバムとなる。シングルカットされた「ワイルドサイドを歩け」でルーは初めて米英チャート入りをはたし、商業的な成功も得る。当時のルーを写真でみるとボウイの影響もあったのかグラムっぽいメイクも施していたようだが、次に発表された『ベルリン』(1973年)は、きらびやかな『トランスフォーマー』のイメージとはまったく異なるものだった。




ルーのソロ三作目となる『ベルリン』は『トランスフォーマー』のヒットのさなかに発売されたが、アメリカでの売上げはほとんどふるわなかった。さらにイギリスではトップ10入りを果たして一時は人気が出たように思われたが、『トランスフォーマー』のようなサウンドを期待したファンには受け入れられず、多くのレコードが中古屋に売り払われることとなった。その結果、ルーは『ベルリン』をライヴで演奏することをあまり好まなかったようである。


シュナーベルの映画では冒頭にテロップでこのような説明がなされる。


1973年 ルー・リードは
アルバム“ベルリン”を発表
商業的にふるわず
33年間 ライヴ演奏を封印
2006年12月–この暗い側面を歌った
この名作を初演した


アルバム『ベルリン』はまだ東西に分裂されていたベルリンを舞台に、キャロラインという娼婦とジムという名の男、そして語り手である俺(もしかしたらルー自身なのかもしれない)によって繰り広げられる背徳の愛の物語で、ロックのアルバムでありながら小説のような明確なストーリーを持つ、ルー・リードによる一大叙事詩とも呼べるような美しいアルバムである。ルーのストーリーテラーとしての側面が見事にあらわれたまでであるが、そこに描かれる世界はドラッグや暴力、バイセクシャル、死、といった暗く退廃的なイメージであり、『トランスフォーマー』の世界をさらにつきつめたようなショッキングな内容が作品の難解さを際立たせていたため、リスナーを寄せつけることをしなかったのである。


シュナーベルは2006年に行われた、ルーにとってベルリンの呪縛からの解放とも言ってさしつかえのない、極めて異質なライヴの舞台セットを担当し、ライヴの模様を自らの手でキャメラにおさめた。彼は『ベルリン』というアルバムの持つ特異性をよく見抜いている。『ベルリン』をひとつのコンセプトに基づいた物語性を孕んだ芸術作品、オペラや戯曲などの類いであるかのように扱って、見事に再現させてみせたのである。そもそもこのアルバムは元来そのように扱われるべき作品であったのだ。


というわけで、この映画にはアルバム『ベルリン』の楽曲を「Berlin」から「Sad Song」まで収録順にぶっ通しで演奏するルー・リードの姿が収められている。セットにはオリエンタルっぽい絵が使われているが気付くか気付かないかのとてもシンプルなもので、ときどきバックスクリーンにシュナーベルの手掛けた各楽曲のイメージを具現化した映像が映し出される。退廃した通りを歩くキャロラインやジムの姿がそこには見える。全体的にやや緑がかった映像になっているのは、「Lady Day」の歌詞のなかでキャロラインの部屋の壁が緑であるとされ、緑のなかに赤が効果的に使われているのはキャロラインが流した血の色である。


シュナーベルによる演出はステージ全体の雰囲気を幻想的なものに仕上げているが、緑と赤のイメージはもともとアリス・クーパーやケニー・ランキンなどのジャケットを手掛けていたPacific Eye & Earが作り出したヴィジュアル構成があった。彼らが作り出したブックレットは2006年に発売された紙ジャケの初回盤に同封されているので見ることができる。





シュナーベルの映画といえども、やはり主役はルー・リード、『ベルリン』という作品そのものである。このアルバムは生身の人間がいて、管弦楽やコーラスが加わってはじめて息づく作品であったことが33年の時を経てようやく証明されたような感じである。おそらくこのライヴ映像が世に出た今、手元にある『ベルリン』のCDはこの映画のパンフレット代わりにもならないのではないかと思わせるほど、素晴らしい内容のライヴ映像をシュナーベルは記録したのである。これは深夜に部屋の灯りを消して観るべき映画だ。そして薄緑色の世界と一体化してほしい。できれば寒い季節が良いだろう。ラストには「悲しみの歌」があなたの胸を満たし、まばゆいばかりの光が濡れた頬を照らしてくれるに違いない。


ルー・リード/ベルリン
製作年:2007年 製作国:アメリカ 時間:85分
原題:LOU REED'S BERLIN
監督:ジュリアン・シュナーベル
出演:ルー・リード(ドキュメンタリー)

ルー・リード/ベルリン [DVD]
VAP,INC(VAP)(D) (2009-01-21)

2012-01-12

ジュリアン・シュナーベルの映画について

私はジュリアン・シュナーベルのことを映画監督、脚本家として認識している。というか、映画監督としてのキャリアしか存じ上げないのだが、彼はもともと80年代の新表現主義を代表する画家であって、かつてウォーホールがそうであったように、すぐれた画家は映画も撮るという方程式にあてはまってしまった人なのだろう。多才なアーティストである。

私は彼が映画監督として手がけたこれまでの作品(最新作『ミラル』をのぞく)を気がついたらすべて観ていたわけだが、彼の作品とは相性が良いようだ。なぜかと聞かれるとこれがまた返答に困ってしまうのだが、トリュフォーやチャップリンやリヴェットのように人物像も含めてどの作品も物凄く好きだという感覚とはまた違って、そよ風が頬を撫でるような感じとでもいえばよいのか、なんとなくひっかかるもの、興味を惹くものがどの作品にもひとつやふたつは必ずあって、色彩だったり、音楽だったり、散文詩のようなイメージだったり、物語そのものが面白かったりとさまざまなのだが、どれも私のアンテナにひっかる感じなのである。


彼が最初に監督したのは『バスキア』(1996年)である。スプレーのペイントで一躍有名になりヘロインの過剰摂取により27歳で亡くなったジャン=ミシェル・バスキアの伝記映画で、同志であったシュナーベルも身を置いていた、ウォーホールが君臨していた80年代のニューヨークにおけるアートシーンを切り取ってみせた。まず音楽がとても良くて、P.I.Lやイギー・ポップやトム・ウェイツなんかをチョイスしている。そしてキャストがすごい。デニス・ホッパー、デヴィッド・ボウイ、ゲイリー・オールドマン、ヴィンセント・ギャロ(!)ボウイのウォーホールが想像以上の出来映えである。冒頭と最後にバスキアの夢?という形で、お伽噺とでもいうような象徴的な物語が描かれるが、これもアーティストならではの発想なのかもしれない。


そして次に芸術家、同性愛者であることを理由に激しい迫害の対象とされたキューバで、生き続け、書き続けた作家レイナルド・アレナスが死の直前に綴った伝記『夜になるまえに』を映画化(2000年)する。レイナルド自身の言葉を意識してつくられた映像がまず目にとまる。私はこのレイナルド・アレナスという作家の『めくるめく世界』という小説を読んだことがあるのだが、ストーリーが突如と枝分かれし、こうである場合とこうだった場合と、さらにこうであれば〜というような現実と過去と未来と空想を行き来するような不思議な小説で、とにかく言葉のエネルギーに溢れた、稀代な小説家という印象を受けた。この映画は一人の男が生まれてから死ぬまでを淡々と描いたもので、とても平坦な印象を受けるのだが、それはこの映画が全体としては自伝であるのに主人公自身の言葉によって語られる出来事があまりに少なく、あったとしてもそれらの言葉はどれも長く、歌のような響きを持ち、韻を踏んで詩のようにも聞こえ、言葉自体の意味がよく分からないからだ。実際にそれらはレイナルド自身による散文詩のようなものなのだろうと思うのだが、ひとつの小説を言葉ではなく映像で語ろうとすれば、海やさとうきび畑、兵士の乗ったトラックなどの意味がイメージとして語られるので、なんだか単調な印象になる。そこで、ショーン・ペーンは完全に客を集めるためのカメオ出演といったふうになり、ジョニー・デップが二役、しかも女装して登場するもほんの数分だったりするのだが、原作を読んでみたいと感じさせるような作りになっている。少なくとも私は是非とも原作を読んでみたいと思いました。そして読んだのである。


おそらくシュナーベルの映画でもっとも知られているのが『潜水服は蝶の夢を見る』(2007年)であろう。ELLEの元編集長であったジャン=ドミニク・ボビーが突然の脳出血により身体の自由をうばわれ、病床で唯一動かすことのできる左目の瞬きだけで綴った自伝の映画化である。この作品は物語自体もとてもいいのだが、映像作家としてのシュナーベルの腕前をもっともよくみることができる。非常にいらだたしい冒頭のぼやけた映像、これは主人公のジャン=ドミニク・ボビーの視線である。私たちが感じるいらだちこそまさに主人公のいらだちでもあり、スクリーンの向こう側の人物と観客との共有部分だといえる。主人公はこの焦点の定まらないぼんやりとした視界の左目で本を書くのであるから、冒頭の映像はとても重要な役割を担っている。そこで、カメラが主人公の視線を離れ、外側から主人公の姿をうつすとき、観客は一瞬にしていらだちから解放される。この解放感こそが我々をこの物語に引き込むために用意された巧みな仕掛けである。こうした映像のうまさがこの作品を最後まで安心して観ることができる大きな理由のひとつなのであり、ジュリアン・シュナーベルという人がすぐれた映像作家であることを証明しているのである。



さて、今日はこのあとシュナーベルが手がけた『ルー・リード / ベルリン』(2008年)を中心に書くつもりでいたのだが、時間がないので明日ということにする。


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