モニカ・ヴィッティ(Monica Vitti 1931年-)というイタリアの女優を知ったのはアントニオーニの『夜』(1961年・イタリア=フランス)という映画でした。これは私が初めて観たアントニオーニの作品でもあったのですが、マルチェロ・マストロヤンニとジャンヌ・モローが演じる倦怠期の夫婦の行動をひたすらドキュメントし続けるこの映画は極端に台詞も少なく、登場人物の内面を観客に伝えるような説明もなされず、まだそれほど多くの映画を観たことのなかった私には理解しがたく少々退屈に感じられるものでした。
しかし後半になって大富豪のパーティーのシーンに若い娘が登場し、彼女の姿が映し出されると映画の雰囲気が一転してこちらの視界もぱっと明るくひらけたような感じになったのを覚えています。それがモニカ・ヴィッティでした。当時、モニカ・ヴィッティとアントニオーニは恋愛関係にあり、アントニオーニ中期の作品に立て続けに出演しています。そして、アントニオーニのミューズとして、彼の作品を語るうえで欠かせない存在となります。
私が彼女の魅力の虜になったのは『夜』の次に撮られた『太陽はひとりぼっち』(1962年・イタリア=フランス)で決定的になりました。彼女の洗練された美貌は都会的な冷たさを感じさせるのですが、なんとなくどこかふにゃんと抜けているような不思議な印象を受けるのです。彼女のことを「けだるい」と表現されているのをよく見かけますが、まったくその通りで、けだるいのだけれど彼女の場合、それがそのままセクシーさに結びつくというわけでもないので、なかなか素顔がつかめない不思議な女優さんで、それもまた彼女の魅力でもあるのですが、やはりアントニオーニの映画に生きる、虚無感に苛まれた女というキャラクターがもっとも強烈であったがゆえだと思います。笑ったかと思えば作り笑いですぐ無表情になり、いつも不安げな表情を浮かべていて、アントニオーニの映画では笑顔の印象がほとんどありません。それでもやはりモニカ・ヴィッティは魅力的で、たったいま寝て起きたような無造作なヘアスタイルがたまらなく自然で大好きで、ふんわりした猫毛のような美しい髪にいつもうっとりしてしまいます。
この『太陽はひとりぼっち』という映画は決して取っつきやすいとは言い難い内容なのですが、疑問やテーゼに満ちた暗示的なシーンが多く、何度も繰り返して観たくなるような面白い映画です。実は作品への理解を一番ややこしくしているのが『太陽はひとりぼっち』という、いかにもアラン・ドロンにのっかった邦題なのではないかと思っています。原題の「Eclipse(エクリップス)」を辞書で引くと、天文用語の「食」とあり、ラスト数分の風景のシークエンスを観ていると日蝕のことだとわかります。邦題は意訳してあるというよりは、やはり前年の『太陽がいっぱい』にかけたものでしょう。この時代の邦題は『勝手にしやがれ』なんてのは最高にクールで、もはや何にも代え難いほど素晴らしいものもあれば、タイトルだけが一人歩きしているものも多いように感じます。流行の歌謡曲のタイトルをもじってつけたりとか、当時はそれがキャッチーでヒットしたのでしょうから、それはそれで良いのだけれど、時を経て私のような世代から見るとなぜこのタイトル?と疑問に思うこともしばしばあります。おそらく数十年後には昨今の映画の邦題も不思議に感じるのでしょうね。
この映画でもっとも目にとまるのは静と動のコントラストで、無機質で殺伐としたローマ郊外のニュータウン、怒号が渦巻く証券取引所で一喜一憂し、暴落で狂乱する人々の描写がだらだらと続いたあとの一分間の黙祷シーン。(ゴダールの『はなればなれに』で、一分間なにもしないでみよう、という沈黙の場面はここからきたのかなと思っているのですが)さらに静と動を一番端的にあらわしているのが、何を訊ねても「わからない...」という台詞が印象的な虚無感に苛まれるヒロインと、常に飛び跳ねているような軽薄で冷淡なブランド好きの底の浅い、アラン・ドロン演じる株式ブローカー。そして忘れてはいけないのが、モニカ・ヴィッティが黒人の真似をして突然はしゃぎまくるという滑稽なシーンです。
アントニオーニという人は本当に強烈な個性、視点を持った監督だと思います。本来ならば表立ってスクリーンに登場するはずのない監督自身の存在がそこにいる俳優以上に押し出されているように感じるからなのですが、この作品もいつもながら殺風景な舞台装置には現実味がなく、すべてがアントニオーニによる作り物だということを意識せずに眺めることは不可能です。前に書いた『欲望』ではそのあたりが意図的に抑えられていたように思いますが、それでも60年代のファッションを身にまとった痩せたモデルを横一列に並べたシーンには「俳優は壁」と言っていたアントニオーニの存在を十分に感じさせるものになっていました。
この『太陽はひとりぼっち』で私が驚愕したのはあまりに空虚なラスト数分間の風景のシークエンスでした。この映画を観た人間だけが感じられる「終わり」、それは物語の終わりなのかドロンとヴィッティの恋の終わりなのか、はたまたわたしたち人間の、世界の終わりなのかどうかわからないが、観た人間の数だけ解釈があるというのがアントニオーニの映画で、こうしてあらためて書いてみるとやはり偉大な監督だと感じます。
太陽はひとりぼっち
製作年:1962年 製作国:イタリア・フランス 時間:124分
原題:L'Eclipse
監督:ミケランジェロ・アントニオーニ
出演:モニカ・ヴィッティ、アラン・ドロン ほか
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