2012-01-31

ニコラ・フィリベールによるドキュメンタリー映画について

私はドキュメンタリー映画も好きでよく観るのだが、ドキュメンタリー映画というのは劇映画に比べると単調になりやすい傾向がある。大概のドキュメンタリー映画はそれを回避するために作品のテーマを明確にして映像に変化をつけたり、音響を利用して観客の興味を煽るような作りになっているのだが、あまりにも内容が一面的すぎて胡散臭い印象しか与えないような作品もなかにはある。映画を出発点としてなにかを考えたり、意識的に変化ある行動を起こしたりすることはもちろん良いことだとは思うのだが、その一方で、映画の内容がほんとうの真実であると丸呑みにしない厳しい視点と適度な距離感を持つこともドキュメンタリー映画を鑑賞するときには大切だとも感じている。




ニコラ・フィリベールはフランスを代表するドキュメンタリー映画の名匠というか、もはや現代ドキュメンタリー作家の最高峰ともいうべき存在で、彼の作品は単調に、退屈になることをおそれない強靭な視点を持っている。おそらく劇映画(特にハリウッドの)に見慣れた人間には彼の映画はひじょうに地味であり散漫で、冒頭の30分などはまさに退屈さの極みであるように感じられるかもしれないが、この退屈さこそまさに彼の作品がほかのドキュメンタリー映画とは一線を画す部分なのだ。フィリベールの作品は日常のどんな風景でも映画になるということを強く語るのである。

フィリベールはたとえ子どもに関する映画を撮っていても、トラクターががたがたと動いている農耕期の農村部の風景とか、天気だとか、木々の揺れだとか、なんてことはない道端の映像だとか、そういったありふれた風景をさりげなく挟み込んでくる。もちろんフィリベールが詩的な映像作家を装うために導入したようにも思えるそれらの映像がまるで作品のテーマとの関連性がないというわけでもなくて、時間の経過をあらわす役割を担っていたり、画面に変化をもたせるアクセントになっていたりするのだけれど、それらは演出効果を狙った大げさな感じのするものではなく、観客を映画という非日常的なものから日常に引き込むための一種の装置といった印象を受ける。

装置と言えば聞こえがいいが、結局は意図的に仕組まれた演出だろうと言われるとそれまでなのだが、観客の興味を集めるための演出というにはフィリベールの映像はあまりにも静かで淡々としすぎていて平凡な印象なのだ。私たちが一歩外に出れば見つかるような、もしくは誰もの記憶に焼きついているような、ごくありふれた時間と風景を切り取っているのである。

フィリベールの映画は日常の延長線上にある映画というものを考えさせる。映画とはなにも特別な芸術作品なのではなく、もちろんそのような価値を持つ映画もなかにはあるが、私たちの生きる日常こそが映画になり得るのである。そのことをフィリベールはどの作品のなかでも一番に伝えようとしているのだ。彼にとって日常こそが映画なのである。

2012-01-29

私の好きなソフト・ロックのアルバム(1)ミレニウム『ビギン』(1968)



私が初めて買った洋楽のCD(レコードと書けない悔しさったらない)はビートルズの赤盤である。続いて青盤にも手を出すのだが、洋楽のCDには国内盤と輸入盤があるということすら「ねんねちゃん」の私は知らなかったので、赤盤は輸入盤を、青盤は国内盤を購入していたことが後々になって判明した。そういえば青いほうには歌詞の日本語訳がついていたのに赤いほうはついていなかったじゃないか!とだいぶ遅れて理解したのであるが、なぜ購入する時点で双方の価格設定に疑問を抱かなかったのかいまだになぞである。

ところで私の両親はいわゆるビートルズ世代であるのに我が家にはビートルズの、というか洋楽のレコードが一枚もない。母親がまだ若い頃、大事にしていたのは舟木一夫の「高校三年生」のレコードだったし、テレサ・テンと美空ひばりを彼女はよく聴いていた。父親にいたっては出稼ぎのような状況だったのでまるで嗜好がわからない。そんなわけで、洋楽にかぶれた親しい友人もない私は、グランジ、ブリットポップ、オルタナ、我が日本においては渋谷系...そんな実り多き90年代を生きながら音楽に対してあまりにも無頓着で、というか、今思えば私という人間はすべてにおいて晩熟だったのである。いまだにそうであるように。

私が影響を受けるのはいつも誰かの書いた小説のなかであった。はじめにビートルズがやってきた。ほとんど同時にビーチボーイズもやってきた。そしてドアーズが真っ暗闇のなかから扉を叩いた。夜空ではデヴィッド・ボウイが妖艶な笑みを浮かべてこちらを見下ろしており、ルー・リードが数多の言葉をたずさえて私の部屋に居座った。そんなある日、トレンチコートのポケットに眠る切符の穴からゲンスブールが這い出て来た......

という前置きはこのくらいにして、私はソフト・ロックというジャンルに属する音楽が好きである。ビートルズほどやかましくもなく、限りなくポップスに近い美しいメロディーで、時には美女によるウィスパー・ヴォイスに出会えたり、見事なコーラスワークを聴くことができる。それらはすべて輝かしき60年代の賜物である。あの時代に登場したグループは数知れず、うみおとされた名曲もまた浜辺の砂の数ほどであろう。

ミレニウムの『ビギン』(1968)はソフト・ロックの名盤中の名盤と言われるほど名高いアルバムだ。私が初めて買ったソフト・ロックのアルバムはこれである。まずこのジャケットが好きなのだ。内側から窓の外をながめているようにもとらえることができれば、ツバメかなにかの鳥が部屋のなかに迷い込んできたようにも見えるし、静寂という額縁のなかに解放的なイメージを流しこんだというようなジャケット。

ミレニウムというグループを率いたカート・ベッチャーという人はコーラスの魔術師と言われたほど、彼のコーラスアレンジは聴く人をうっとりさせるほど美しい。そしてこの『ビギン』というアルバムは、ミレニウムが唯一残したアルバムでもある。一曲目から目が回るようなサイケデリックなサウンド全開と思えば、動物の鳴き声がきこえてくる実験的な内容ぶり。しかし二曲目にしてすでにコラースの魔法にかかってしまう。ソフト・ロックに位置づけられているが、アルバム一枚をとおして聴くとわかるのだけれど、後半はプログレのような流れになり、ビートルズの『サージェント〜』やはたまたクリムゾンの『21st〜』にも引けを取らないアルバムだと、というか、それに匹敵するほど私は好きなアルバムなのである。

カート・ベッチャーという人は父親の仕事の関係で日本にも滞在していたことがあり、琴の音色をフィーチャーした、ザ・正月的サウンドがあったり、特に13曲目の「語りつくして」というナンバーは日本人の耳にとても馴染みやすいようなメロディーで、私の大好きな曲である。




このアルバムの製作にはコロンビア史上最高の金額が注ぎ込まれたのだが、前衛的すぎるという理由で宣伝にはほとんどお金をかけてもらえなかったので、結果的に売れなかった。しかしスポンサーである「コロンビア」を賛美歌のように歌い上げた面白いナンバーもあったりして、カート・ベッチャーという人はユーモアのセンスにも長け、リスナーを飽きさせることのない巧みな仕掛けを考え出す天才でもあっただろうと推測している。これを超えるソフト・ロックのアルバムに私はまだ出会っていない。


ビギン
ビギン
posted with amazlet at 12.01.30
ミレニウム
ソニーレコード (1997-04-21)

2012-01-28

Les Masques『brasilian sound』(1969)


今日は私が所有している数少ないCDのなかでもっともクールなナンバーと言ってもよい素晴らしいアルバムをご紹介。その名も、レ・マスクによる『ブラジリアン・サウンド』(69年発表)であります。レ・マスクというグループ名の通り、メンバーの名前を伏せて(マスク=覆面をかぶって)録音されたナンバーは、フランス語によるブラジル音楽でありました。

Alice HERALDのライナーによると、むかしむかし、ブラジル音楽に熱中する友人たちが一晩中大好きな音楽について語り明かしたところ、アメリカではブラジル音楽を英語で歌って広まっているのに、フランスではそんなことないよね、パリでブラジル音楽をやってもぜんぜんおかしくないよ、じゃあやっちゃおうか!

という彼らは実はプロのミュージシャンで、そのうちの一人がレコーディングスタジオを持っていたので、作曲家、シンガーである各人がそれぞれの持ち場を担当し、レ・マスクは誕生することになった。

彼らは運良くパリに来ていた3人の若きブラジル人、トリオ・カマラに遭うことができ、本場ブラジルの音を教わり、アルバムに生かすことができた。

マスクというグループ名は、カーニバルの雰囲気を感じることもできるけれども、彼らは謙遜して、覆面をかぶり名前を伏せたのかも?と書かれてあります。




かくして誕生したフレンチ・ボサノバでありますが、フランス語の響きはブラジル音楽との相性もばっちりで、全曲オリジナル、捨て曲ナシ!

私はフレンチ・ポップも好きですが、ソフト・ロックも大好きなので、美しいメロディーとコーラスワークにもうっとりしてしまいます。ブラジル音楽というよりは、お洒落なラウンジ系に近いような感じもします。

それにしても69年はロックシーンにとっても重要な年ではありましたが、友人同士が集まって軽いノリでこんなに素晴らしいアルバムを誕生させたという奇跡もまた、別の場所で起きていたのですから感慨深いものがあります。

私の無人島アルバム。これだけはなかなか揺るぎません。