1932年、パリ九区に生まれ、家庭の事情により孤独な幼少期を過したひとりの少年は、10歳をむかえる頃には家出を繰り返し、映画館に入り浸るようになっていた。少年には実父母がそろっていたが、自分は両親(特に母親)に望まれて生まれてきた子ではないのだというコンプレックスを抱えていた。国語の成績以外は落第生であった彼は14歳で学業を放棄することを誓う。そして盗みや放浪を繰り返しながら映画館に通いつめ、やがて大人(時には専門家)も負かす映画狂の少年になっていた。しかし16歳のときにシネクラブを設立するも、「放浪癖のある不良少年である」として実の両親によって少年鑑別所に送られてしまう。自分は捨て子であるというコンプレックスにさいなまれ続けていた少年は、このとき完全に親に見捨てらてしまったのである。しかし、少年はたとえ両親に見捨てられても、映画に見捨てられたのではないのだと信じていた。1949年の冬のことであった。
少年とは言うまでもなくフランソワ・トリュフォーのことである。この、現代フランス映画界の父とも呼べる彼のすべての作品を私はほかのどんな映画よりも愛しているのである。そしてフランソワ・トリュフォーというチャップリンにも似たひとりの「はみ出し者」は、その映画において、時には走り書きした手紙のなかで疾風のように、また時には書き尽くせぬ日記のようにやさしく語りかけるのである。まるでわたしたち観客をあたかも親密な友人でもあるかのように、彼の秘密をまたひとつ打ち明けてくれるのだ。
昨日のボウイの記事でたまたまジャン=ピエール・レオーのことを最後のほうに書いていたようなので、今日は『二十歳の恋』というオムニバス映画のなかから「アントワーヌとコレット」という作品を紹介する。よく考えてみると今日は成人式でもある。
少年鑑別所、脱走兵として軍刑務所への収容、批評家を経て、1959年、『大人は判ってくれない』という自伝的な映画で監督デビューをはたしたトリュフォーは、1962年に『二十歳の恋』というイタリア、フランスをはじめとするオムニバス映画の一遍として「アントワーヌとコレット」という短編を出品した。実はこの企画、日本からは石原慎太郎の名前がクレジットされており、気になって数年前に調べてみたのだが日本のフィルムだけ行方不明だそうだ。そんなに簡単に一本の映画がなくなるものなのだろうか?と疑問に思うのだが、石原だけに太陽族っぽい?青春モノなのかと想像している。
トリュフォーが出品した「アントワーヌとコレット」は、『大人は判ってくれない』から三年後という設定になっており、前作と同様に主人公のアントワーヌを演じたジャン=ピエール・レオーが再び登場している。14歳であったジャン=ピエール・レオーが17歳になったという、演じた年齢とともに成長していた彼の姿をカメラに収めているうちに、トリュフォーの頭にはさまざまなアイディアが浮かび、ジャン=ピエール・レオーを起用したアントワーヌの物語の続編がその後20年にわたって作られることになる。これについてはまた別の機会に書きたいと思う。
「アントワーヌとコレット」の物語はトリュフォーの実体験がもとになっている。この作品に限らず、トリュフォーの映画というのは、すべての作品がなんらかの形でトリュフォー自身の告白になっている。少年鑑別所をアンドレ・バザンという映画評論家の助けで出所したあと、バザンのはからいで映画批評まで書くようになったトリュフォーは、ゴダールやジャック・リヴェットら、のちにヌーヴェル・ヴァーグとよばれる革新的な風を映画界にふかせる仲間たちとシネマテークやシネクラブで行動をともにしていた。そこで知り合ったリリアーヌというスウェーデン人の女子学生に恋をするのである。
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「そのころ、わたしは美しい女子大生に恋をし、ただもう、なるべく彼女の近くにいたい一心で、彼女のアパルトマンの真正面にあった小さなホテルの一室を借りて住んでいたのです......わたしは彼女の両親とすぐ親しくなったけれども、かんじんの彼女のほうはといえば、いつまでたっても、わたしを仲良しだがちょっとうるさいいとこぐらいにしかあつかってくれなかった」フランソワ・トリュフォー
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レコード店で働く17歳のアントワーヌはクラシックのコンサートで知り合ったコレット(マリー=フランス・ピジェ、残念ながら昨年お亡くなりになられましたが、上品な美しさに魅了されました。ジャック・リヴェットの映画でも拝見することができ、身近に感じていた女優さんでもありました。)という名の美少女と知り合い、恋に落ちるが、コレットのほうはあまり気があるようには見えない。しかしコレットの気持ちに全く気付かないアントワーヌは、彼女の両親と仲良くなり気に入られ食事にお呼ばれされたりする。しかしコレットをデートに誘っても大学の勉強が忙しいだのと色々理由をつけられ断られるのだが、コレットのアパートの前の部屋に引っ越しまでしてしまう。(かなりストーカー体質なアントワーヌ)
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トリュフォーは郊外のアセチレン工場の近くの土曜クラブにもリリアーヌを連れて行ったようだ。彼女はよく付き合ってくれたようだが、トリュフォーの口説きにはついに心を動かされなかった。トリュフォーは剃刀で手首を切って自殺しようとさえした。血まみれのベッドに倒れているトリュフォーを発見したのはリリアーヌだった。傷は深くなかった。リリアーヌは「きわめて冷静に」沈着にトリュフォーの傷の手当てをした。それから数日後、彼女はトリュフォーに何も言わずにバカンスに出かけてしまった。『トリュフォー ある映画的人生』より
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そんな悲しい恋の顛末が描かれた「アントワーヌとコレット」だが、アントワーヌの言動が独りよがりでおかしく、終始かわいらしい初恋といった感じである。一方、自殺未遂を起こしたトリュフォーは初めての失恋の痛手にたえられず、突如入隊を決意していた.......。トリュフォーの人生のほうがドラマティックで映画のような話である。トリュフォー関連の話は一度書き出すときりがないので、またの機会にしようと思う。
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