2012-01-15

ヌーヴェル・ヴァーグ、クロード・シャブロルの処女作『美しきセルジュ』(1957年・フランス)

もはやお気づきの方もおられるかもしれないが、昨日の記事は実のところ一昨日書き上げなければならなかったものである。元日の夜に、毎日更新するという小さな誓いを立てていたが、その気力もたったの10日余りで潰えてしまった。まあこれは予想通りの展開ではある。気を取り直して、今日はヌーヴェル・ヴァーグの映画からクロード・シャブロルの『美しきセルジュ』について書く。


フランス映画の流れを変えた、ヌーヴェル・ヴァーグ。ヌーヴェル・ヴァーグといえばトリュフォーとゴダールの名前が真っ先に思い浮かぶかもしれないが、その円陣を切ったのはクロード・シャブロルである。彼は妻の祖母から3200万フランの遺産を相続し、その金で『美しきセルジュ』を作り上げる。シャブロルの妻はアニエスというマルセイユの富豪の娘でもあった。ゆえにトリュフォーやゴダールらが小さな一間暮らしをしていた頃、すでにシャブロルは結婚して大きなアパルトマンで裕福な生活をしていたそうである。


シャブロルはいつか映画を撮ろうというつもりで、2本のシナリオを書いていた。ひとつはこの『美しきセルジュ』で、もうひとつは次に製作される『いとこ同志』である。それがあまり金がかからないという単純な理由で『美しきセルジュ』から撮影に取り掛かることにした。実はこの『美しきセルジュ』のシナリオはトリュフォーらとも交流のあったロベルト・ロッセリーニに一度読んでもらったことがあったが、「全然おもしろくない」とあっけなく返されたという経歴を持っている。


『美しきセルジュ』の公開は1959年であるが、そもそもこの映画は公開のあてもなく、シャブロルの創作意欲だけで衝動的に自主製作映画として1957年の12月に撮影が開始された。もちろん製作費は自前(妻の祖母の遺産)である。舞台はクルーズ県のサルダンという小さな村で、実際にシャブロルが子どもの頃にすごした想い出のある地でもあった。この映画にはシャブロルの自伝的な素材もいくつか含まれているようである。


『美しきセルジュ』は異なる境遇の二人の青年の心理が中心に扱われる。結核の療養のためパリから故郷のサルダンにやってきたインテリお坊ちゃん風のフランソワ。一方、将来有望であったが学業に失敗し、さらに結婚するも流産で子どもを亡くしていたセルジュは酒浸りの荒れた生活を送っている。

二人の希望の失い方の度合いがあまりにも違うために、再会するも二人の態度はどこかぎこちない。セルジュを立ち直らせようとするもフランソワはまったく相手にされず、最後にはよそ者扱いされてしまう。

若き日のジャン=クロード・ブリアリはパリの青年を演じさせたら右に出る者はいないといった感じである。個人的にはジャン=ピエール・レオーの出来の良い兄貴というイメージを持って見ている。そして、この映画はジェラール・ブランの演技なしには語れないだろう。酩酊状態のタイトルロールから、ラストの笑いまで。まさにラストは『美しきセルジュ』というタイトルがひときわ輝く瞬間である。


この映画は軽快なジャズにのせてきらびやかなパリの街を行き来したり、洒落た会話を交わす男女が登場するといったヌーヴェル・ヴァーグのイメージとはほど遠く、村という閉鎖的な社会にくらす若者の姿をうまく捉えている。事件らしい事件といったらセックスしかなく、村全体がその情報を把握、共有していても暗黙の了解のようにそれを口に出すことはしない。これもまた田舎特有のひとつの姿である。


ヌーヴェル・ヴァーグがおなじみのパリではなく田舎にはじまったことを指摘する人はあまりいないが、ヌーヴェル・ヴァーグとは田舎から都会に出てあか抜けていくことのようでもある。ゆえに、シャブロルの次回作『いとこ同志』は『美しきセルジュ』と対をなすかのように、パリのアパルトマンでどんちゃん騒ぎをする若者の姿が描かれ、田舎者がそこではよそ者として描かれるのである。この『いとこ同志』についてもいつか触れようと思っています。


美しきセルジュ
製作年:1957年 製作国:フランス 時間:99分
原題:Le Beau Serge
監督:クロード・シャブロル、
出演:ジェラール・ブラン、ジャン=クロード・ブリアリ、ベルナデット・ラフォン、クロード・セルヴァル


美しきセルジュ/王手飛車取り [DVD]
アイ・ヴィ・シー (2005-06-24)

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