おびただしいほどの言葉の氾濫。まずそのことに圧倒され、一度観ただけではこの映画の力のなんたるかを理解することは難しい。物語自体はそれほど複雑なものではないように思う。すべてをコンピュータで管理し、人々の感情を統制する銀河系の都市アルファヴィル。アルファヴィルの中心である巨大な電子指令機「α60」を操るフォン・ブラウン教授は悪であり、その娘ナターシャは「α60」の魔法にかけられたお姫様であり、ジョンソンは眠り姫を救うため悪と闘う王子様のようだ。
そんなありふれた童話を連想させる物語は言葉で埋め尽くされる。アルファヴィルの実態は言葉(音声)で説明され、くぐもるような不快な声で洪水のように流れていく。言葉(音声)はこの映画を構成するもっとも重要な要素であり、むしろ言葉が主役であると断言してもよいだろう。
しかしそれを嘲笑するかのように、この映画に描かれるアルファヴィルの人間には言葉の意味は知覚されない。アルファヴィルに暮らす人々は「α60」の命令のままに行動し、外部の国のことを考えるのは禁止されている。ホテルに到着したジョンソンは、そこで出会うすべての人間と会話が成り立たないことに唖然とするのだった。
アルファヴィルの人間が出会ってすぐに口にする「元気です、ありがとう、どうぞ」という言葉、これは「こんにちは、元気?」「ありがとう、元気だよ、あなたは?」という一連の挨拶を端折ったものだと考えることができるだろう。そしてこの台詞は「α60」による言葉の合理化の象徴とも言うべき重要なキーワードだ。
ジョンソンが跡を追って来た仲間のアンリは「why」という単語の意味がわからない。彼は次第に言葉を忘れている。こうしてさまざまな単語と表現は「α60」によって新たな意味へとすり替えられ、人々はコントロールされていく。
この映画は言葉をめぐる哲学であると同時に、過去と未来の物語である。そのことは劇中でも説明される。《人々は未来よりも過去のことを考えすぎるが、その過去を振り返るという行為こそ「α60」に対して効力を持つ》というのである。
アルファヴィルの住人にとって過去を振り返るということは涙を流すことであり、愛情を取り戻すということだ。ナターシャが「愛しています」という言葉を発して解放されるというのはいかにも!という感じで若干しらけてしまうが、愛情で「α60」を破壊するという発想もゴダールらしいといえばゴダールらしいテーマである思う。
そこで私の興味をもっとも引いたのは、この映画が過去と未来の物語とされていることだ。過去とは、未来とは、いつの時代を指すのだろうか?この映画が製作された1965年を現在と考えれば、コンピュータに管理された世界というのはそう遠い未来の出来事ではないはずだ。人間がコンピュータ(機械)に支配されるという構図はすでに数十年も前からさまざまな芸術で取り上げられてきたテーマであり、特に珍しいものではない。にもかかわらずこの映画には真新しさ(それこそがゴダール映画の精髄とでもいうべきか?)のようなものが感じられるのだ。
面白いのはアルファヴィルの住人に関する部分である。もっともらしい説明はアルファヴィルでは芸術家が排除されるという点だ。「150光年前の社会には小説家や音楽家がいたはずだがアルファヴィルにはまったくいない」という台詞が出てくる。芸術家は変なものを書くからという理由でアルファヴィルでは消されてしまうのだという。
おそらくゴダールはこの映画を撮った時点で、自身ないし映画界を取り巻く環境に何か違和感や危機感のようなものを抱いていたのではないだろうか。ゴダール自身の抱える苛立ちや苦悩、映画人として生きることへのしがらみや葛藤、娯楽ではないなにかというスタイルの映画を撮り続けるゴダールに対する風当たりの強さというものを想像せずにはいられない。そのような居心地の悪さを感じつつ、ゴダールは近い将来、芸術、大胆にいえば映画そのものはもはや取るに足らないものと見なされ、見向きもされなくなるだろうと予見しているのではないか?
さらに興味深いのは音と光の祭典といわれるショーである。アルファヴィルでは非理論的な行動をとった人間は非適応者とみなされ公開処刑される。具体的に紹介されるのは奥さんが死んだ時に泣いたという理由で殺される男だ。そこで語られるのはアルファヴィルに暮らす男女の比率が1:50という事実である。
アルファヴィルでは女性は生き残り男性は適応できずに死んで行く。アルファヴィルという未来都市は、女性によって創造されるひとつの階級社会ととらえることができるのだ。1965年はウーマンリヴがさかんに叫ばれ始めた時期であるから、そのような背景から生まれた発想なのだろうという見方もあながち間違いではないかもしれない。
この映画のダイナミズムを体験することはある種の苦行のようでもあり、幸福でもあり、まさにゴダール的な映画といった感じだが、それゆえ実験的な映画と捉えることもできるだろう。銀河系という言葉から単純にSF映画を連想するが、はっきり言って科学とはあまり関係がない。ゴダールによる言葉をめぐる冒険と愛の物語。そう考えるとしっくりくるのではないだろうか。
それにしても、この映画のシックなワンピース姿のアンナ・カリーナはいつも以上に魅力的、です。
アルファヴィル
製作年:1965年 製作国:フランス=イタリア 時間:100分
原題:ALPHAVILLE, Une Etranfe Aventure De Lemmy Caution
監督:ジャン=リュック・ゴダール
撮影:ラウル・クタール
出演:エディ・コンスタンティーヌ,アンナ・カリーナ,エイキム・タミロフ,ハワード・ヴァーノン,ラズロ・サボ,クリスタ・ラング
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