2012-02-06

日常を越えた何か、であった映画へと歩み寄っていった、あのときのこと

わたしがこれまでにもっとも陶酔した映画はジェーン・カンピオンの『ピアノレッスン』である。おそらくこの作品は私がはじめてまともに観たともいえる映画で、映画そのものに惹き付けられたのではなく、まず最初に興味を持ったのは音楽のほうで、その音楽というのはもちろんマイケル・ナイマンの「楽しみを希う心」というピアノの曲で、CMかなにかで耳にしてからというもの、どうしてもその曲が弾きたく思い、映画の内容を知る前に楽譜を買ってもらって弾いていたという思い出がある。13歳の頃だった。

私はこのブログで映画についていくつか思うことを書いているが、熱心に映画を観始めたのは二十代に入ってからのことで、ずっと昔から映画が娯楽のひとつとして、もしくは特別な思い入れを持ったあたかも親しい友人のような存在としてつねに自分の一番近いところにあったというわけではない。そもそも十代の多感な時期にはまるで映画を観たことがなく、その頃の私の日常は平凡だがしかし充分すぎるほど現実に満ち足りていたのだった。そして思春期の少女が抱くある種の妄想のようなものによって日々は薔薇色に彩られており、そのような世界ではいつも自分だけが主役であればよかったのである。今にしてみればとても不思議なことであるが、十代の私には映画も本も音楽もとりたてて必要な拠り所というわけではなかった。そのような調子で一体何をしていたのかといえば、友人の恋煩いを心配し、誰かに恋をして、馬鹿笑いをして、皆と同じように適度に勉学に励んでいただけであるが。

私にとって映画とはつねに日常を越えた何か、なのであった。それは私の生まれた町、今も住んでいる町に映画館がひとつもないということが、少なからずとも映画を非日常的な存在へと遠ざけてしまった要因のひとつなのかもしれないが、しかし、かつて私の生まれた町にも映画館があったのである。今は更地になって久しいが、家から五百メートル足らずの場所にスバル座があったのだ。私が初めて入った映画館はそこである。母に連れられて観た映画は『火垂るの墓』と『となりのトトロ』の二本立てであったように記憶しているが、飽きてしまい途中で出てきてしまったように思う。実際に映画館で『火垂るの墓』や『トトロ』を鑑賞したという記憶はまるでなくて、ましてやその内容など覚えているはずもなく、後々テレビ放送で何度も観るはめになるのだから、唯一記憶しているいちばん最初の映画の思い出はやはり暗がりのなかに放出される白い光というイメージしかない。私がスバル座で映画を観たのはその一度きりで、その後は映画館の前を通っても活気がなく営業しているのかどうかさえわからないような雰囲気であったのだが、いつのまにか深夜にポルノ映画だけを上映するようになっていた。いかがわしいポスターが貼られているのを学校の帰りに男子生徒たちとひやかしたりして、そのことだけはなぜかはっきりと覚えている。そしてスバル座は私が小学校を卒業するかしないうちに閉館してしまった。

私の母親はまるで映画を観ない人間なのだが、それは別に映画が嫌いというわけではなくて、二時間も座っていると家のことやほかの色んな問題が頭の中に浮かんできてまるで集中できないし、二時間もあったら何かほかのことができるだろう、という考え方をする人なのだった。あまり外出するのが得意ではないという性格的なものも関係しているかもしれないのだが、彼女は今までに映画館に行ったことがおそらく五回とないそうである。いまだに、映画って二本立てなの?とか、映画ってふつう何時間なの?と聞いてくることがしょっちゅうあるものだから、映画には興味がないのだろうと思っていると、テレビで放送されているクラシック映画などには熱心に見入ったりしているので、おそらく映画館という場所が、生まれてからずっと田舎暮らしの母親にとっては、あまりにも日常から切り離された場所であったのだということを私はいつも考えさせられるのであった。おそらく母親にとって映画館へ映画を観に行くということは、ピアノリサイタルに行くのと同じような感覚なのであろう。

父親はといえば母親とはまるで正反対で、映画館に行けばとりあえず時間がつぶせるという信念のもとに、映画を観ていれば何も考えなくてすむという能天気なタイプの人間なのだった。父は二十代のときに東京に出て働いているので、そのときに多くの映画を観たと言っていた。そんな経験もあってか同じ田舎育ちでも母親とはまるで違っている。そういえばある時、私がヌーヴェル・ヴァーグのジャン=ポール・ベルモンドが...などと言って映画の話を始めたのだが、母親はまるでピンとこない様子であった。しかし父親がそこで、ジャン=ポール・ベルモンドはアラン・ドロンと同世代で面白い映画に出ていた、と説明をくわえただけで、なぜか彼女はすべての疑問が解決したとでもいうような満足げな表情を浮かべていたのであった。そういえば母はテレビ放映された『太陽がいっぱい』を録画して何度も観ていたではないか......

話がだいぶ逸れてしまったが、初めてこころの底から付き合えると本気で考えさせられるような映画や本や音楽に出会ったときの、あの純粋なまでに好きだという気持ちを忘れないでいたいと思ったのだ。少し考えることがあって2、3日ブログの更新をしていなかったのだが、このブログが嘘で塗り固められすぎているように感じたからである。要するに、生まれてから十代のおわりまでずっと日常の外にあった映画(もちろん本も音楽も)を、ある時を境に大量の映画を観たからといって、そのなかで私が一瞬にして囚われた作品というのはほんの一握りであるのだから、特定の映画については朝から晩までその素晴らしさについて喋り続けることができたとしても、未見である映画の数のほうが圧倒的に多いのだから、それは映画が好きだということの理由にもならないのである。おそらく私は映画が好きなのではなく、私自身の欲望を見抜き、それを再現させ、満たしてくれるような作品が好きなだけである。もちろんこれは私だけに限ったことではなく、そんなことを言い出したらきりがないのだし、好きな映画だけを観ていれば良いのではないかと言われるのも承知で喋っているのだが、作品に対して抱いている気持ちを言葉にして表現しようとすればするほど、そのような考え、というか後ろめたさのようなものが私の背後にぴったりとくっついて離れないのである。このブログで記事を書くときはいつもそのような状態である。

私は一時期、今でもよくあるのだが、精神的なものから大好きだった読書という行為が、本が読めなくなったことがあって、あなたは本当に本が好きなのか?と問われたことがあるのだが、そのときにはっきりとイエスと答えられなかったのである。考えてみると、私は実際には本が好きなのではなく、この話はさっきの映画の話とまるっきり同じことの繰り返しになるのできりがないのであるが、本の虫と呼ばれる人間はあらゆるジャンルの書物を片っ端から読んでいくそうであるが、私の場合は文学の畑をのらりくらりと行き来しているだけで、おまけに同じ本をだらだらと読み返していることが多いので、あまりにも偏向した読書履歴が何の役にも立たないということを日々痛感しながら、それでもやめられずに同じ場所をぐるぐるとまわっているだけである。装丁の美しさや手のひらに感じる本の重み、ページをめくるときの指先の触感や紙のふれる音、真新しい紙の匂いも図書館の埃にまみれたカビ臭い紙の匂いなどは大好きであるが、巷に溢れるベストセラーの類いのものが私にはもっとも不愉快きわまりない書物であり、それを抜きにしてもおそらく嫌いな書物のほうが多いであろう。晩年のサルトルは目が見えなくなっても本を読み続けた。ジョン・ファンテは糖尿病で視力を失っても小説を書き続けた。果たして私にはそのような強靭さをもって本が好きであると断言できるかといえば、おそらくノーである。

もはや何が言いたかったのかよくわからなくなってきたが、日常を越えた何かであった映画がある瞬間を境に私を捕らえた、もしくは私のほうから映画に歩み寄っていった、あのときのどうしようもなく、ただ胸が焦がれるような好きという気持ちを思春期の残り香のなかで感じていたときのことを忘れずにこのブログとも向き合いたいと思ったのである。『ピアノレッスン』は長い年月をかけて私の内に居場所を探し続けていた。その映画を観たとき、私は19歳で、上京していた。





2 件のコメント :

  1. そう、

    「映画が好きだから見る」「本が好きだから読む」「音楽が好きだから聴く」

    のではなく、

    「好きなものを見る、読む、聴く」

    ことが幸福な人生の送り方なんですが、心からそう思える作品に出会うことの難しさときたら・・・!

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    1. そうなんです、だから出会えたときの喜びも大きいです。
      回り道をしても、それだってささやかながら個人の軌跡と呼べるのではないかと思うようにしています(笑)
      私の場合、なんとなくそれらが知らず知らずのうちに繋がっていたりしていることが多く、
      そのような発見もまた面白く、嬉しく、感動したり、唸ったりしています。
      ぐっどさん、こちらでもどうぞよろしくお願いしますね。

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