『突然炎のごとく—ジュールとジム』という映画の構想は、長編デビュー作『大人は判ってくれない』を撮るかなり前の時期からトリュフォーの頭の中にあったという。トリュフォーは映画批評を書きはじめた21歳のときに映画の原作となるアンリ=ピエール・ロシェという老作家の小説に出会い、いつか映画を作れるようになったとしたらこの小説を映画化したいと考えたそうである。この夢が実現されるまでには十年近くの歳月が費やされることになったが、長編映画を撮る機会にめぐまれたトリュフォーは、ひとまず『大人は判ってくれない』と『ピアニストを撃て』の二作品を習作のつもりで撮ったあと、大ファンであったアンリ=ピエール・ロシェの小説を映画化したのである。トリュフォーは三作目にしてやっと自分らしい恋愛映画を撮ることができたのだ。
アンリ=ピエール・ロシェが生涯に発表した小説はわずか二作で、1953年に74歳で処女作『ジュールとジム』を発表し、続けて『二人の英国女性と大陸』という小説を発表している。このふたつの小説は作者であるロシェ自身の人生と女たちの物語で、登場人物はすべて実在し、20世紀初頭のミュンヘン、パリ、ベルリンが舞台になっている。どちらの小説もトリュフォーが映画化した。『二人の英国女性と大陸』という小説は1971年に『恋のエチュード』というタイトルで映画化された(この映画についても後日募る想いを書きたいと思っています。)若きトリュフォーは老作家と文通し、小説の感想や映画化のアイディアをやりとりしていたのだが『突然炎のごとく』の映画化が決まってすぐにロシェは亡くなっている。
ひとりの女性をめぐる二人の男の物語という設定から、二人の男の対比が自ずと浮かび上がってくるが、この映画のテーマはジュールとジムという二人の男の対比を描くことではないように思う。ジュールとジム、そしてカトリーヌを中心とした三人の物語であることに間違いないが、一にも二にもカトリーヌの物語という印象の映画ではある。しかし語り手はジュールということになっていて、ならばジュールの物語であるかといえば必ずしもそうとは言い切れない部分があるし、なんといっても驚かされるのが、私はこの映画をこれまでに5回ほど観ているのだけれど、そのつど自己投影する人物が変わるのである。初めて見た時は同じ女性ということも手伝って強烈な個性をもった感情的なカトリーヌに、あらためて冷静に観ることのできた二度目の鑑賞はジムに、三度目になってもっとも理性的なキャラクターのジュールに、という感じで知らず知らずのうちに気付けば三人それぞれの立場でこの物語を見渡していた、というとても不思議な映画である。
ヒロインのカトリーヌは感情的で衝動的、わかりやすい言葉を借りれば自由奔放な女性として描かれている。カトリーヌのモデルは原作ではナボコフの『ロリータ』をドイツ語に翻訳したとして知られるヘレン・ヘッセルという女性ということになっているが、映画のなかでジャンヌ・モローが演じるカトリーヌはロシェの小説や日記に登場するさまざまな女性を綜合して作り上げられたキャラクターであり、非常に魅力的だ。カトリーヌはジュールと結婚するが同時にジムも愛し、他の男とも関係を持つ。そんなカトリーヌをジュールは許し、彼女のそばにいられることが自分の幸せだと確信し、それを実現させるためであればどんな苦労も惜しまない。カトリーヌが誰と寝てもかまわないし、ジムと結婚すると言い出してもかまわないのだ。
ジュールは基本的には理性的な男である。無条件でカトリーヌを愛し、ジュールにも絶対的な信頼を寄せている。ジュールとジムの友情というのは文学への愛情によって結ばれている。二人とも文学青年であるから互いに情緒的ではあるのだろう。ジムはカトリーヌを愛しながらも昔の恋人とのあいだをふらふらと行ったり来たりして、ジュールに比べるとどちらかと言えば感情に流されやすい。そういう点でカトリーヌとジムは似ているのかもしれない。
しかしカトリーヌとジムの恋愛感情が決定的に違うのは、カトリーヌと昔の恋人のあいだを右往左往するジムに対して、カトリーヌは目の前にいる相手だけを瞬間的に愛することができるという点である。カトリーヌの感情はジュールとジムのあいだで揺れ動くことはない。ジュールと一緒にいる時は彼を愛し、ジムが目の前に現れるとそこにいるジムだけを愛するからだ。それは『突然炎のごとく』というタイトルそのままに、突如として沸き上がる感情なのだ。
もしカトリーヌが同時に何人もの男性を愛するこができる女ならば、不倫という形で多くの男と関係を持ったとしてフローベールの『ボヴァリー夫人』のように描かれるだろう。そのように考えてみるとカトリーヌは実に律儀な女性なのである。解放的であるがゆえにジュールとジムという二人の男を裏切るような真似はしない。ジュールとジムの関係もカトリーヌが引き金となって壊れるようなことは決してない。この映画を面白くしているのはそのようなカトリーヌのキャラクターと、多くの恋愛映画とは一線を画した揺るぎない三角関係の描かれ方にあるのだろう。そんなことをあれこれ書いてみてもこの作品を前にしてみればすべて無駄である。この映画はもはや男と女の神話なのである。
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