チャールズ・ブコウスキー(Charles Bukowski / 1920-1994)はアメリカの詩人、作家。1944年、24歳で最初の小説を雑誌に発表するも、職を転々としながら飲んだくれの日々をひたすら執筆に打ち込む。1952年頃より郵便局に勤め(さらに飲んだくれながら)雑誌に詩を投稿するようになる。1960年、初の詩集が出版される。しかし昼間は郵便局で働き、夜に書くという二重生活は十年間も続けられた。50歳で郵便局を辞め、以降は(やはり飲んだくれながら)執筆に専念。遅咲きの奇人であった。73歳で亡くなるまで、50冊にもおよぶ詩集や小説が発表されている。自身の生活、体験を扱った作品が多く(というかほとんど自伝)、長編小説『くそったれ!少年時代』『勝手に生きろ!人生』『ポスト・オフィス』『詩人と女たち』の順に読むとブコウスキーの人生が一通りわかるようになっている。ラディカルで奔放な生き様から、パンク詩人の異名を持つ。
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みんなが感心したりすることにわたしはまったく感心できず、ひとり取り残されてしまったりするのだ。例を挙げていってみると、次のようなことが含まれる。社交ダンス、ジェット・コースターに乗ること、動物園に行くこと、ピクニック、映画、プラネタリウム、テレビを見ること、野球、葬儀への参列、結婚式、パーティ、バスケット・ボール、自動車競争、ポエトリー・リーディング、美術館、政治集会、デモ、抗議運動、子供たちの遊び、大人の遊び.....ビーチや水泳、スキー、クリスマス、新年、独立記念日、ロック・ミュージック、世界の歴史、宇宙探検、ペットの犬、サッカー、大聖堂、優れた美術作品といったことにも、わたしはまるで興味を引かれなかった。
ほとんどどんなことにも興味を引かれない人間が、どうしてものを書くことができるのか?どっこい、わたしは書いている。わたしは取り残されたものについて書いて書いて書きまくっている。通りをうろつく野良犬、亭主を殺す妻、ハンバーガーに食らいつく時に強姦者が考えたり感じたりしていること、工場での日々、貧乏人や手足を切断された者、発狂した者がひしめく部屋や路上での生活、そういったたわごと。わたしはそういったたわごとをせっせと書く.....―『ブコウスキーの酔いどれ紀行』中川五郎訳より
チャールズ・ブコウスキーという作家を知ったのはたまたまレンタルで借りてきた『ブコウスキー・オールド・パンク』(2006年)というドキュメンタリー映画だった。レンタル屋の棚に並ぶ映画という映画を片っ端から借りて観ていたモラトリアム期に(今だって充分そうだが)、ブコウスキーの名前を見つけたのだ。だから私は彼の作品を読む前に、彼の、年老いたパンクじじいの姿をこの目にひしと焼きつけることになったのだ。映画は朗読会の映像から始まるのだが、仄暗い部屋のライトの下、煙草をくゆらし、すでに呂律はまわらず酒瓶を片手に聴衆に向かって悪態をつき、酒がないと帰るだのとわめき散らす。ただの飲んだくれじじいである。
私はそれより以前にブコウスキーと同時代人でもあるケルアックが自身の小説をテレビ番組か何かの企画で朗読している映像を観たことがあったのだが、スーツを着込んだケルアックは俳優のようで、舌も滑らか、韻を踏むセンテンスは歌のように聞こえ、さらにはピアノ演奏付きという華やかな演出がなされていた。それにくらべてブコウスキーという爺さんは手始めにバーボンを一気に飲み下し、ぐだぐだと酒をくれだのなんだのと客とやり合う。そしてその特異な容姿。疣に覆われた赤ら顔、背を丸めた大きな図体、なんだか鰐のような男だと思った。
ブコウスキーは自身が醜いということも、ドブネズミのようにみじめな(みじめだった)生活を何の偽りもなしに作品のなかで洗いざらいさらけ出す。彼は専業作家になるまで怠慢な日雇いの肉体労働者で、稼いだ金はすべて競馬と酒代に消え、女と一緒に毎日飲んだくれるという生活を送っていた。酔っぱらいながら書いて書いて書きまくって、たとえ売れなくても文学的価値を認められなくても書くことをやめなかったし、死ななかった。毎晩郵便局の仕事から帰宅したあと、明日こそ辞表を出してあんな仕事辞めてやると酔っぱらいながら息を巻いてタイプライターに向かうのだが、次の日帰宅してみると、結局辞めることができなかったと言って女に泣きつく。それでもブコウスキーは死ななかった。
そんなわけで、私はこの数年というもの、ブコウスキーの作品を頻繁に読んでいる。U2のボノやショーン・ペーンがリスペクとする作家というフレコミで、日本では90年代にブコウスキーブームがにわかに起こったらしいのだが、私はだいぶ遅れてブコウスキーに夢中になっている。
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