2012-01-02

好きなものについて書くこと、杞憂

作家、ジョイスの研究者としても知られる丸谷才一氏の『文学のレッスン』によれば、エッセイというものはなにを書いてもいいが、いちばん基本的にあるのは好きなものを書くことなのだそうだ。この、好きなものを書くというシンプルな選択は、実はなにより日本の文化にのっとった行為なのである。なぜなら「好きなもの」というコラムは、そのまま『枕草子』『徒然草』『方丈記』の共通点であるからだ。

丸谷氏が言うように、人が好きなものについて語るのは聞いていて純粋に面白い。まあ批判や愚痴を聞かされるよりはずっといいに決まっているわけだが、好きなものについて語るときの人間というのはまず良い表情をしている。自然と舌も滑らかになる。聞き手にとってまったく興味のない話でも、喋っている本人が楽しそうなのだからなんとなくいいやという感じになってくる。これが延々と続く愚痴であればそういうわけにはいかない。

聞いていて面白いというのはつまりそういうことなのだと思う。私の好きなものという価値基準を言葉で語るには実は相当の労力がいるはずで、見境なしにべらべらと喋ってしまってはそのものの価値を落としかねない。だから人は好きなものを語るとき、普段より饒舌なようでいて実は慎重に言葉を選んでいるのだろうと思う。聞き手はそこから引き出されるエピソードに哲学を探し、言葉の節々に美しさを見出したりする。そう考えると、『枕草子』や『徒然草』や『方丈記』といった好きなものを書き並べた個人的な日記に文学的価値が与えられたのも当然であることのように思える。

前置きが長くなってしまったが、昨日も書いた通り、このブログは私の好きなものについて書くつもりであるが、なにも上記のようなことをこのブログに見出そうとしているわけではない。単純に長続きしそうなテーマだと思ったからだ。

ところで、私が初めてブログというものを付け始めたのは2005年の春、23歳になったばかりの時であった。主に読書後の感想をまとめた本(文学?)ブログとして一年半ばかり継続し、2年ほど休んで年に2、3回更新したが、現在そのブログは全く作動していない。2008年の暮れ頃から映画についてのブログを新たに書き始めたがこちらも今は休戦状態である。そのあいだに画像添付でメモ程度の携帯専用のブログを持ったり、SNSにも登録してみたのだけれど、それらすべてがどれも長続きせずに中途半端な状態に陥ってしまったのであった。

飽きやすいという性格上、まっとうな結果だということに異論はないが、自分は日常線上のコミュニケーションとしてのツールとしてこれらのサービスを利用するというよりは、コメント欄でのやりとりが、密かな匿名性で行われるほうが面白いといまだに思っているからでもある。そしてブログが続かない大きな理由のひとつに、作家の保坂和志氏があるエッセイで論じていたことを真に受けてしまったという、ばからしい経緯があるのでいちおうここに紹介しておく。(ばからしいとは野蛮な表現になったが、氏は私がもっとも尊敬する現代作家の一人である)

「老子」と「荘子」は漠然として焦点の定まらない時期に一番適切な思考の案内だという氏の意見に続く文章である。(全文は『猫の散歩道』という本で読める)



...アルバイトをして社会を知ったような気になったところで所詮アルバイトの立場で見える程度の社会でしかないし、いろいろ文章が書けるからといって雑誌で記事を書いたりウェブでいろいろ発表してみたりしても、これも“所詮”二十年ぐらいしか生きていない人間の知識と経験に基づく文章でしかない。...それはともかく、二十歳やそこらで表現できるものなんてたいしたものではない。




私はこの文章を、まるで自分に宛てられた訓示であるという錯覚とともに、“所詮”たいしたものではない、とはまさにこの私のことであると理解してしまったのである。こんなことをつらつらと書いていると、こいつは病んでいるのではないか?と思われるかもしれないが、いや、現実に私は病んでいるのかもしれないのだが、氏の言うところの“所詮”たいしたものではないというのはウェブ上に溢れたブログであるとかホームページであるとか、その類いのほとんどがあてはまるのであって、当然のことながらなにも自分だけが杞憂することではない。

このブログはそんな自己嫌悪と誤解と勘違いな葛藤とともに生まれた。とにもかくにも、「たいしたものではない」なりにも進まなければならない。4月20日まで毎日なにかしらについて書くこと。どうしてかわからないが、なんというジレンマ。今の私には変化、邁進、躍進したい願望があるようだ。そのことが気持ち悪いほど癪に障る。昨夜は最初の記事を投稿したあとベッドに横になった途端にそれを消してしまいたい衝動に駆られた。今日もこのあとで同じ症状が起きるだろう。書くことで得られる変化が不安や苦痛でしかないのだとしたら、その時にはどうしたら良いものかわからない。

それはそうと悩んでいたブログの表題はやはりインスピレーションを頼りに今のもので決定することにした。そして大した問題ではないが、私が私自身について書くとき、いくばくかの虚構が混じっていると考えてよい。私はここで自分の好きなものについて書くが、自分自身についてはなにも語らないつもりでいる。もしもあなたが自分自身のことを自分以外の誰かに深く知ってもらいたいと考える場合、好きなものについて語るより、嫌いなものを2、3挙げるほうがより早く相手の理解を得られるだろう。これは誰かの書いたもののような気がするが、私自身の意見かもしれない。あまりよく覚えていない。

明日は2012年1月2日現在、私が世界でもっとも愛する男について書く。

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