ところで私の両親はいわゆるビートルズ世代であるのに我が家にはビートルズの、というか洋楽のレコードが一枚もない。母親がまだ若い頃、大事にしていたのは舟木一夫の「高校三年生」のレコードだったし、テレサ・テンと美空ひばりを彼女はよく聴いていた。父親にいたっては出稼ぎのような状況だったのでまるで嗜好がわからない。そんなわけで、洋楽にかぶれた親しい友人もない私は、グランジ、ブリットポップ、オルタナ、我が日本においては渋谷系...そんな実り多き90年代を生きながら音楽に対してあまりにも無頓着で、というか、今思えば私という人間はすべてにおいて晩熟だったのである。いまだにそうであるように。
私が影響を受けるのはいつも誰かの書いた小説のなかであった。はじめにビートルズがやってきた。ほとんど同時にビーチボーイズもやってきた。そしてドアーズが真っ暗闇のなかから扉を叩いた。夜空ではデヴィッド・ボウイが妖艶な笑みを浮かべてこちらを見下ろしており、ルー・リードが数多の言葉をたずさえて私の部屋に居座った。そんなある日、トレンチコートのポケットに眠る切符の穴からゲンスブールが這い出て来た......
という前置きはこのくらいにして、私はソフト・ロックというジャンルに属する音楽が好きである。ビートルズほどやかましくもなく、限りなくポップスに近い美しいメロディーで、時には美女によるウィスパー・ヴォイスに出会えたり、見事なコーラスワークを聴くことができる。それらはすべて輝かしき60年代の賜物である。あの時代に登場したグループは数知れず、うみおとされた名曲もまた浜辺の砂の数ほどであろう。
ミレニウムの『ビギン』(1968)はソフト・ロックの名盤中の名盤と言われるほど名高いアルバムだ。私が初めて買ったソフト・ロックのアルバムはこれである。まずこのジャケットが好きなのだ。内側から窓の外をながめているようにもとらえることができれば、ツバメかなにかの鳥が部屋のなかに迷い込んできたようにも見えるし、静寂という額縁のなかに解放的なイメージを流しこんだというようなジャケット。
ミレニウムというグループを率いたカート・ベッチャーという人はコーラスの魔術師と言われたほど、彼のコーラスアレンジは聴く人をうっとりさせるほど美しい。そしてこの『ビギン』というアルバムは、ミレニウムが唯一残したアルバムでもある。一曲目から目が回るようなサイケデリックなサウンド全開と思えば、動物の鳴き声がきこえてくる実験的な内容ぶり。しかし二曲目にしてすでにコラースの魔法にかかってしまう。ソフト・ロックに位置づけられているが、アルバム一枚をとおして聴くとわかるのだけれど、後半はプログレのような流れになり、ビートルズの『サージェント〜』やはたまたクリムゾンの『21st〜』にも引けを取らないアルバムだと、というか、それに匹敵するほど私は好きなアルバムなのである。
カート・ベッチャーという人は父親の仕事の関係で日本にも滞在していたことがあり、琴の音色をフィーチャーした、ザ・正月的サウンドがあったり、特に13曲目の「語りつくして」というナンバーは日本人の耳にとても馴染みやすいようなメロディーで、私の大好きな曲である。
このアルバムの製作にはコロンビア史上最高の金額が注ぎ込まれたのだが、前衛的すぎるという理由で宣伝にはほとんどお金をかけてもらえなかったので、結果的に売れなかった。しかしスポンサーである「コロンビア」を賛美歌のように歌い上げた面白いナンバーもあったりして、カート・ベッチャーという人はユーモアのセンスにも長け、リスナーを飽きさせることのない巧みな仕掛けを考え出す天才でもあっただろうと推測している。これを超えるソフト・ロックのアルバムに私はまだ出会っていない。
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