—ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン!
シャンゼリゼのど真ん中で大声を上げながら新聞を立ち売りするアメリカ娘のパトリシア。『勝手にしやがれ』(ジャン=リュック・ゴダール、1959年)の、そしてヌーヴェル・ヴァーグの象徴としても有名なこのシーンで、ヒロインのパトリシアを演じたジーン・セバーグはなんともファム・アンファン(少年のような魅力を持った女性)な出立ちで登場している。新聞社のロゴの入ったぴったりとしたTシャツにサブリナパンツ、足元はぺったんこシューズ、小さな巾着のバッグを持ち、髪型は超ショートのセシルカットだ。
この作品は今観るとお洒落でファッショナブルな映画、ぐらいに捉えられるのが一般的だと思うのだが、ジーン・セバーグのファッションは、実は当時のパリの流行でもなんでもない。フランス人が抱いていた、性に対して解放的だというアメリカのヤンキー娘のイメージを反映させたファッションにすぎないのだというから驚きだ。Tシャツ姿のセバーグに向かって「ブラジャーつけてねぇのか?」と言うベルモンドの台詞からもそのような意味が汲み取れるかもしれないが、当時の日本人ももちろんパリの最先端のファッションと受け取っていたようだ。
オードリー・ヘプバーンの影響でサブリナパンツが爆発的な人気を誇ったのが1954年以降だから、この映画の公開が1960年ということを考えるとパンツスタイルはすでに定番のファッションであったのだろうと推測されるが、もの凄いラフな恰好のようにも感じられる。そしてセバーグの持つ中性性を際立たせているのは、なんといってもモンチッチばりのセシルカットであろう。
パリの(というかこの映画の)イメージが強すぎて、私自身いまだにセバーグがバリバリのハリウッド女優ということを忘れてしまうのだが、スウェーデン系アメリカ人の娘としてアイオワ州に生まれたジーン・セバーグは、もともとロングヘアの美少女であった。17歳のときに1万8千人の中からオットー・プレミンジャー監督の『聖女ジャンヌ・ダーク』の主役に抜擢されてデビューするが、このときジャンヌ・ダルクを演じる為にばっさりと髪を切っている。この作品は興行的にもふるわず、プレミンジャーはセバーグの演技に不満を爆発させまくっていたそうだ。
にもかかわらず、プレミンジャーはベストセラー小説『悲しみよこんにちは』を映画化するにあたり再びセバーグに主役を与えた。フランスの小説をハリウッド映画へと作り変え、主人公のセシルを文学好きな夢想家の少女から活発なブルジョワ娘へと大幅に変更、そしてセバーグをジャンヌ・ダルクと同じ少年のような短髪で出演させたのだった。セバーグの容姿が放つ溌剌とした健康的な明るさと、それとは対照的な思春期特有の不安定な脆さがうまく描かれた映画であるが、こちらも興行的には失敗している。しかし斬新なセバーグの髪型はセシルカットと名付けられ、世界中で大評判となったのだった。
『勝手にしやがれ』を撮影する際、ゴダールはセバーグに対し、「君は2年後のセシルということでいい」と伝えた。ゴダールの要望通りセシルカットで登場したセバーグは、終始ファム・アンファンな魅力を振りまいている。ゴダールは俳優の見せ方、とりわけ女優の魅力を引き出すことにかけてもかなりの名手である。アンナ・カリーナを筆頭に、この映画のベルモンドもそうだが、無名の俳優を一気にスターの座へと導いた。ジーン・セバーグも例外ではないだろう。プレミンジャーによって引き出されたセバーグのキャラクターを踏襲させたのは、おそらくゴダールにとってセバーグの子供っぽいユニセックスな雰囲気そのものが、インスピレーションの源になっていたからに違いない。ルノワールの少女像の横にセバーグを立たせた演出からもわかるように、この映画でゴダールはセバーグの美しさに対して溢れんばかりの賛辞を並べ上げている。
とはいえ、当時のフランス人が想い描いていたステレオタイプの開放的なアメリカ娘であるパトリシアは、子供っぽいようでいて本心は決して明かさず、狡賢いようなところもあり、なかなか掴みどころのない女性である。ベルモンドに「とびきりの美人というわけではないが、20点満点中15点といった感じの個性的な女」「ちょっと変わった女」と言わせていることからもパトリアがパリの女とはまるで違っていることがうかがえるのだが、パトリシアはパトリシアで一言目にはフランス人への不満を漏らし、「パリっ子のスカートってダサイ」と平然と言ってのける。パリがモードの中心であるという世界的な常識を考えれば、これはおそるべき台詞である。
パトリシアはどちらかというとファッションにはあまり興味がない女性のように描かれている。とりわけパリの流行にはまるで感心がない。パトリシアの目下の希望はアルバイト先の新聞社で記事を書かせてもらうことだ。パトリシアの部屋で繰り広げられる会話のシーンからパトリシアの興味の対象が明らかになる。絵画、クラシック、とりわけ文学への憧れが顕著なようだ。
それでも、パトリシアのファッションの趣味がおもしろいほど一貫していることには誰もが気付かずにはいられないだろう。パトリシアはいつも縞模様の洋服ばかり着ているのである。シャツもワンピースもタンクトップも、パトリシアの部屋で待ち伏せているベルモンドが着ているバスローブにいたるまで、なにもかもが縞模様なのだ。おまけにパトリシアがパジャマ代わりに着ているベルモンドのYシャツも縞模様ときている。
『勝手にしやがれ』が公開された当時のショックはいかなる手を使ってももはや体感することができない。どんなに強く望んでも、繰り返しビデオを観ながら想像することしか、誰かの記憶を掘り起こしてまとめられた書物から知り得ることしかできない。それがいまさら何になろう?と否定的に考えることもあるけれど、私はいつものように再生ボタンを押してしまう。
ヌーヴェル・ヴァーグの神話に生きるジーン・セバーグ。鏡のなかの、しかめっ面の彼女は今日も私をほんのすこし切なくさせるのだ。
勝手にしやがれ
製作年:1959年 製作国:フランス 時間:90分
原題:À bout de souffle
監督:ジャン=リュック・ゴダール
撮影:ラウル・クタール
脚本:フランソワ・トリュフォー
出演:ジャン=ポール・ベルモンド,ジーン・セバーグ,ジャン=ピエール・メルヴィル
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