2012-02-02

私の好きなソフト・ロックのアルバム(2)ザ・ゾンビーズ『オデッセイ・アンド・オラクル』(1968)


ミレニウムの『ビギン』(1968)と同じくらい愛着のあるアルバムなのが、ゾンビーズの『オデッセイ・アンド・オラクル』(1968)である。ゾンビーズと聞いてピンとこないかたもおられるかもしれないが、彼らの『Time of The Season』(ふたりのシーズン)という曲が6、7年前に車のCMに使われていたので、ゾンビーズというバンド自体は知らなくとも、CMで流れていた曲だけは知っているという人は案外多いかもしれない。

私がこのアルバムを手にしたいきさつは、ミレニウムに惚れ込んでソフト・ロック界隈を片っ端から聴きほじっていた時期に、やはりミレニウムの『ビギン』とほぼ同じタイミングで聴いたアルバムである。どうしてもバンド名のインパクトが強烈で、先入観からジャケットの中心にいるイラストの人間がゾンビに見えて仕方がない。しかしサイケ調全開の美しいデザインのジャケットだ。これはメンバーの友達が描いたもので、odesseyの綴りが間違っている。正しくはodysseyであるが、訂正されずそのままの形で現在まで定着してしまった。

このアルバムは、ビーチ・ボーイズの『ペット・サウンズ』(1966)とビートルズの『サージェント〜』(1967)の影響をもろにうけた、現在のところ「サージェント・ペッパーズ症候群」と評価されるアルバムだそうである。確かに一曲目の「独房44」はビーチ・ボーイズのお日様ハッピーなコーラスそのものだという感じもするが、タイトルからくるイメージと歌われる内容がアンバランスな感じのする不思議な曲なのである。“バンド名ゾンビーズによるタイトル「独房44」”とは、かなり薄汚く暗い陰湿なイメージが思い浮かぶが、実際にこの曲を聴いてみると、もうすぐ出所する独房にいる友人(恋人?)のことを想った内容が歌われているのだが、とびっきり明るくてお日様キラキラハッピーな曲なのである。私にはこの「ちぐはぐ」な感じが、ゾンビーズというバンドの偉大な姿を物語っているような気がしてならないのである。

というか、『オデッセイ・アンド・オラクル』というアルバムのタイトルからして、売れなかったバンドが堂々と掲げるにはあまりにも「ちぐはぐ」すぎるのである。タイトルのオデッセイとはギリシャ神話に登場するオデュッセウスという機知に長けた英雄のことであるが、タイトルに掲げたオデッセイとは彼らゾンビーズのことを言い表しているように思えるのだ。神の怒り買ったオデュッセウスがさまざまな困難を切り抜けながら10年近くの歳月をかけて故郷の地を踏むまでの道のりは、ほとんどのリリースが不発に終わり、真っ当な評価をされなかったゾンビーズの姿に重なるところがあるような気もするし、もしくは開き直って自分たちはオデュッセウスだと最後の最後に言い切ってしまったかのような潔ささえ感じられる。まさにそうなのだ、このアルバムはゾンビーズがしめした、ひとつの啓示なのである。少なくともわたしにとってはそのような価値のあるアルバムである。

「独房44」も好きだが、二曲目の「エミリーにバラを」が一番好きである。ゾンビーズという名のバンドが作った曲とは思えないほど(またもや先入観)あざやかな色彩をまとった曲である。そしてもっとも悲しいメロディーと美しいハーモニーである。





ゾンビーズもまた、運に見放されたバンドであった。バンド名で損をしていると方々から言われるのはもはや聞き飽きたという感じもするのだが、冗談抜きにこのバンドはゾンビーズと名付けた時点で、本当のゾンビーズになってしまう運命を背負ってしまったのである。なぜなら『オデッセイ・アンド・オラクル』というアルバムが発売されたとき、ゾンビーズというバンドはもはやこの世に存在していなかったのだから。

ゾンビーズは61年にイギリス郊外の学友同士で結成された。ゾンビーズというバンド名は、初期メンバーのひとりの提案で、誰も真似しないだろうという理由であっけなく採用されたそうである。しかし半年後に名付け親だったメンバーは脱退している...。64年にロンドン・イブニング・ニュース紙の主宰するコンテストで優勝したことをきっかけに、当時のバンドなら申し分のないデッカからゾンビーズのデビューが決まった。

彼らもいわゆるブリティッシュ・インベーションの流れにのったバンドで、デビューシングル『She's Not There』が全英では最高位12位、全米では最高位2位の大ヒット。その後、アメリカではいくつかヒットを出し、わが日本でも『好きさ好き好きさ』のタイトルがヒットするが、本国イギリスでは鳴かず飛ばずな状況であったようだ。ジョン・レノンがプロデュースしたいと申し出たほどの実力を持ったバンドなのに、である。所属先のデッカがストーンズの売り出しに力を入れていたため十分なプロモーションがなされなかったという問題もあるが。ここまではまあ、よくありそうな話ではある。

67年にデッカが契約続行を拒否したため(もはや売れないということが一番の理由だろう)、ゾンビーズは新たなレーベルを探すことになった。イギリスに会社を開いたばかりのCBSが彼らを拾ってくれたのだが、そのとき彼らがレコーディングを行ったのはビートルズが『サージェント〜』を録り終えたばかりのアビイ・ロード・スタジオであった。このセッションの中から、67年9月にCBS移籍第一弾シングルをリリースしたのだが、不発に終わる。2ヶ月後にははやくも第二弾をリリースするが、こちらもまったく売れなかった。もはや楽曲印税収入のないメンバーはバンド活動への興味を失っており、68年にボーカルのコリン・ブランストーンとギターのポール・アトキンソンが脱退する。ここでゾンビーズは解散してしまう。

そんななか、CBSが契約にあったアルバムのリリースを要求してきたのである。残されたメンバーは録音していた曲をまとめて『オデッセイ・アンド・オラクル』を完成させるが、68年4月にイギリスでこのアルバムがリリースされたとき、すでにゾンビーズというバンドは解散した後であったため、プロモーションもできずに、結局話題になることもなかった。そしてイギリスで売れなかったことを理由に、アメリカのCBSはアルバムのリリースを見送ることにしたのだった。

しかし事態は好転する。その頃CBSのスタッフであったアル・クーパーがイギリスに滞在した際に、CBSから40枚ほどのアルバムを渡されていたのであるが、その中に『オデッセイ・アンド・オラクル』も含まれていたのであった。さっそくそれらのアルバムをチェックしたクーパーは『オデッセイ・アンド・オラクル』がとんでもないアルバムだということに気付き、CBSにリリースするよう求めた。

こうして発売されたシングルはアメリカでミリオンセラーにまでのぼり、半年遅れでリリースされたアルバム『オデッセイ・アンド・オラクル』も高い評価を得た。しかしゾンビーズというバンドはもはや存在しておらず、アメリカでコンサートの提案もなされるが、対応できる状況ではなかった。そんななか、アメリカ南部ではゾンビーズと名乗る偽バンドがツアーを行うという珍事件まで発生。ボーカルが事故で死んだので新しいボーカルを加入させて演奏しているという大ホラを吹いて客を集めていたのだから、解散後にゾンビーズの人気がいかに高まっていたか、その事実を知ることができるだろう。




ゾンビーズ最大のヒット曲は「ふたりのシーズン」である。先に書いた、車のCMに使われていた曲である。この曲だけやけに大人っぽくサウンドがまるで違うような気もするが、ぞくぞくする吐息に誰もが恋してしまうに違いない。私はその不憫なバンド名もふくめてゾンビーズがたまらなく好きである。


ODESSEY AND ORACLE(紙ジャケット仕様)
ザ・ゾンビーズ
インペリアルレコード (2010-02-17)
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