この映画はもともと監督でもあるマルク’O(通称マルコ)が興した劇団の出し物として、サルトルら実存主義者が集った有名なサンジェル・マン・デ・プレの中心に、66年に期間限定で設けられた劇場で上演された舞台「アイドルたち」を映画化したものである。舞台「アイドルたち」は半年の上演中、演劇界にとどまらずパリの文化人たちの話題を独占し、新聞にも文化現象として取り上げられるほどの人気であった。映画の撮影も円形舞台の劇場で行われ、俳優もおなじく劇団で演じていたビュル・オジエ、ピエール・クレマンティ、ジャン=ピエール・カルフォンの三人が出演している。
当時、流行の最先端を行く革命的な演劇と絶賛された舞台「アイドルたち」の人気を考えれば、映画化も失敗などするはずがないと思われて当然であった。事実、映画化の際には大勢の俳優やクリエイターたちがマルク’Oのもとに売り込みに来たと言われている。クレジットにはのちに『ママと娼婦』を撮るジャン・ユスターシュの名前もあるではないか(!)しかし映画『アイドルたち』は興行的には失敗する。なぜなら本国フランスでは68年の五月革命の最中に初公開され、観客は激減、というかガラ空き状態であった。しかし伝説は伝説として残り、40年後、カルト映画の印を押されて舞い戻って来たのだ。
この映画はマルク’Oによる知的で前衛的な社会風刺を主軸に、60年代にごまんと生まれたアイドルを消費者産業の犠牲者として祭り上げ、虚像としてのアイドルの真の姿やアイドルを生み出す者たちへの揶揄を、回想シーンと奇妙な寸劇、圧倒的なパフォーマンスで辛辣に描き上げている。しかし40年という時を経て、ヤラセが横行している芸能界のくだらなさを暴かれても、観ているほうはすでに芸能界の裏側などそのほとんどがヤラセであるとわかっているものだから、今さら感の漂う内容になっている。こうして映画『アイドルたち』はマルク’Oの意図するところとはまったく別の方向に、カルトでキッチ、特にわが日本ではおシャレなヴィンテージ・シネマとなってしまったのであった。
おそらく60年代フランスのポップ・カルチャー、もしくはファッション・デザインに興味のない人にとって、『アイドルたち』は実にくだらない映画である。くだらなすぎると言っても良いだろう。現在、マルク’Oの思惑とはまったく異なるベクトルを向いてしまったこの映画は、アヴァンギャルドなファッションと、3人のアイドルたちによるぶっ飛んだパフォーマンスのほかに観るべき内容はほとんどない。ちなみに衣装を担当したのはブリジッド・バルドーの衣装デザインを手掛けていたジャン・ブキャンである。
イェイェ全盛期にあったフランスの歌謡界をマルク’Oは批判的に見ており、劇中のパフォーマンスで歌われるイェイェの歌詞も彼自身がイェイェのくだらなさ象徴するかのように、まさにテキトーに書いたそうで、「タツノオトシゴは靴をはけない」とか「大嫌いな婆さん、爺さんが死んで喜んでいる」というような内容をアイドルに歌わせている。するとアイドルクラブの事務所のマネージャーが不謹慎でばかげているからそういう歌詞の歌はやめなさいとアイドルを叱る。「不謹慎でばかげている」これはマルク’Oの本心であろう。
私が面白いと感じるのは、ビュル・オジエが演じるジジのモデルにもなった当時のアイドル、フランス・ギャルに楽曲を提供し、プロデューサーとしてフランス歌謡界に君臨していたセルジュ・ゲンスブールは、そもそもポップスなど二流にすぎないと皮肉った態度をとり続けた人物でもあり、歌詞がくだらなければくだらないほど曲は売れるという確信のもと、一見のなんの意味もなさないような歌詞を書いてアイドルに歌わせていたのであった。しかし実際にはダブル・ミーニングで別の意味をほのめかしていたり、アイドルそのものへの皮肉が込められていたりと、イェイェの裏側とも言うべきプロデューサーの思惑があったのだ。おそらくマルク’Oはこのことに気付いておらず、イェイェを理解不可能なやかましい歌程度にしか思っていなかったようである。彼が映画のなかで唯一失敗し、見落としていた点があるとしたらそこであろう。
しかし主演の3人によるパフォーマンスがすごい。歌もド下手ながらほぼトランス状態でメロメロな踊りもかなりぶっ飛んでいるのだが、特に小柄で可愛らしいビュル・オジエの全身を駆使したパフォーマンスは爽快ですらある。歌も本家のフランス・ギャルと互角という感じであるところもまた面白い。初めて観たときはフレンチ・ポップ好きの私も若干の拒否反応を起こしたが、回を重ねるごとに中毒性が増し、今では拍手を送っている有様だ。
パフォーマンスに負けず劣らず、そのネーミングセンスにもロクでもない魅力を感じさせる。コケティッシュな「狂乱ジジ」、元ストリートの不良だった「短刀のチャーリー」、元占い師の「魔術師シモン」!個人的には落ち目アイドルである魔術師シモンの存在感が一際輝いて見えた。知的でまともなことを喋っておきながら、腐った卵の割れた匂いで未来を占うとか、やってることは相当胡散臭いというあたりがこの映画のどうしようもない魅力をそのままあらわしたかのようである。どちらにしろ、若者たちは反体制を掲げつつも、なんでもありのノーテンキな、まさにあの時代の雰囲気たっぷりといった感じの映画ではあります。バンドによるガレージぽいサウンドも素晴らしい!サントラがないのが残念ではありますが。
映画のなかで、アイドルとは神のような神聖な存在でなければならない、人々の願望を形にする存在でなければならない、と言うのだが、60年代のアイドルたちは実際に若者たちの見本となるような絶大な影響力を持っていたことは確かなのだ。残念ながら?現在そのようなアイドルは少なくとも日本にはおらず、いたとしても心のなかでひそかに自分のヒーローを崇めるだけだ。いわれてみれば、わたしの愛するアイドルたちは皆60年代に青春時代をおくり、活躍した方々である。もはや60年代そのものが現在からみれば底知れぬエネルギーに満ちあふれた輝かしい羨望の時代となりつつあるのかもしれない。
それにしても若き日のビュル・オジエの可愛いこと!可愛いのに演技派で個性派で、多くの作品に異なったイメージを残されている。年を重ねられた今も好きな女優さんの一人です。
アイドルたち
製作年:1968年 製作国:フランス 時間:108分
原題:Les Idoles
監督:マルク'O
出演:ビュル・オジエ、ピエール・クレマンティ、ジャン=ピエール・カルフォン ほか
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