2012-04-10

ひとりの女と大金をめぐる二人の男の物語、またの名を「はなれ一味」 ジャン=リュック・ゴダール『はなればなれに』(1964年・フランス)

トリュフォーの『突然炎のごとく』のもっとも印象的なシーンに、ヒロインのカトリーヌが「つむじ風」という仲間内で作ったシャンソンを披露する場面がある。このシーンに感動したゴダールはトリュフォーの『突然炎のごとく』に対する答えとして『気狂いピエロ』を撮った。ヒロインのアンナ・カリーナが湖を臨む林の中でジャン=ポール・ベルモンドと「私の運命線」を歌うシーンがそれである。

トリュフォーとゴダール、どちらの作品もとても美しいシーンなのでそれについてはまた後日紹介するとして、ゴダールもまた、ひとりの女と二人の男という組み合わせで『はなればなれに』(1964年・フランス)という映画を撮っている。トリュフォーのように複雑な恋愛模様を展開させた男女の物語ではないが、若い男女の青春の一コマに大金が絡んだ痛快コメディといった感じの、ゴダール作品のなかではもっともお茶目でノーテンキな映画と言えるかもしれない。

原作は女流作家ドロレス・ヒッチェンズが1958年に発表した『愚か者の黄金』という推理小説で、ゴダールはこの小説をトリュフォーに薦められて読んだそうである。小説の舞台はロサンジェルスとその郊外だが、映画の舞台はパリとパリ郊外に、小説では数ヶ月の物語も映画では三日に集約されている。どこかロマンチックな香りのする第三者によるナレーションはゴダール本人によるもので、音楽は『女は女である』『女と男のいる舗道』に引き続き、ミシェル・ルグランが担当している。映画の冒頭で「ミシェル・ルグラン最後の?映画音楽」というクレジットがなされ、ギャグなのか予告なのかその狙いは定かではないが、ゴダールとルグランのコンビによる仕事は長編映画ではこれが最後となった。





『Bande à Part』という原題は「はぐれ軍団」とか「はぐれ一味」といった意味で、日本ではおなじみのズッコケ三人組、おとぼけ三人組といった呼び名がしっくりくるように思う。ひとりの女をめぐる二人の男という側面からこの映画を説明してみると、二人の男、フランツとアルチュールはともに犯罪小説マニアで、時間はたっぷりあるけれど金はない。二人はフランツが英語学校で知り合ったオディールという娘の叔母の屋敷にある大金を強奪する計画を立てる。フランツは美男子だがどこか向こう見ずな性格でいつも冷静だ。オディールからは「暗い」と言われている。一方アルチュールは短気で乱暴でフランツとは真逆の性格のように見える。しかし二人が唐突にはじめるビリー・ザ・キッドごっこや闘牛士ごっこの息はぴったりだ。フランツとアルチュールはまるでコインの表と裏のようである。

ヒロインのオディールを演じるのはやはりアンナ・カリーナだ。オディールのキャラクターを一言でいいあらわすとしたら、可憐な不思議ちゃんということになるのだろうか。アルチュールの言葉を借りれば、可愛いが頭が弱いということになる。自転車で曲がるときには誰もいない小道ですら必ず馬鹿丁寧に手で方向指示を出し、不安げな表情で「なぜ?」と「わからない」ばかり言い、ゴダール映画のアンナ・カリーナにしては珍しくひたすら受け身なヒロインである。オディールはアルチュールに一目惚れするが、粗野なアルチュールに対して怯えているようにも見える。うっかり名前を忘れちゃったとも言っているし、そもそも本気でアルチュールに一目惚れしたのかも怪しいところである。しかしオディールは最終的に二人の計画に加担する。粗暴なアルチュールと優しいフランツのあいだで揺れながらオディールははてのない夢を見ているようだ。





そんなことを書いてみたものの、この映画の面白さは物語そのものにあるのではなく細部にあるのだ。さきほども書いたオディールの自転車の件もそうだし、フランツとアルチュールの西部劇のヒーローの真似事や、アメリカ人観光客のギネス記録に挑もうと三人でルーヴル美術館を激走するシーンも傑作だ。実際には館内を走ることは禁止されていて、このシーンは一発撮りで警備員が止めに入る姿もしっかりと映っている。カンヌで公開される直前の『シェルブールの雨傘』のテーマが流れたり、トリュフォーの『柔らかい肌』への目配せなど、ヌーヴェル・ヴァーグらしい遊び心に満ちているのがなんとも微笑ましい。

そしてこの映画の一番の見せ場は三人がカフェですごす一連のシーン。「一分間黙っていよう」という沈黙から始まって、三人でダンスを踊るシーンまでの語りと音楽とサウンドの使い方だけでもゴダールが並大抵の監督でないことがわかるでしょう。うまいねえとしか言いようがないわけですよ。一分間の沈黙のシーンというのはアントニオーニの『太陽はひとりぼっち』にも似たようなシーンがあるのだけれど、アントニオーニは静と動の対比という形で沈黙シーンを織り込んだ。しかしゴダールの沈黙は一分と経たないうちに「飽きたからやめようぜ」と言う。このただの遊びにしか見えないシーンをさらっとやってのけるのがゴダールで、結局のところやはりゴダールはすごいということになるのですが、この踊りのシーンはどの映画でも観たことがない。カフェのシーンだけでも観るに値する素晴らしい作品だと私は思います。ゴダールだけれど小難しいことは一切なし、気楽に観れるというのも良いですね。



はなればなれに
製作年:1964年 製作国:フランス 時間:96分
原題:Bande à Part
監督:ジャン=リュック・ゴダール
原作:ドロレス・ヒッチェンズ「愚か者の黄金」
撮影:ラウル・クタール
音楽:ミシェル・ルグラン
出演:アンナ・カリーナ、サミー・フレイ、クロード・ブラッスール



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