思えば、フランス映画の魅力を教えてくれたのはジャック・タチ(1907-1982)だった。『ぼくの伯父さん』(1958年・フランス=イタリア)という作品に出会ったのは、たまたまつけていたBSのチャンネルで放送されているのをなんとなく眺めていただけのことだったのだが、それまでは単なる娯楽のひとつとばかりに思っていた映画に対する見方を、この映画は一晩にして変えてしまったのである。そこから始まる映画に寄り添った人生、といっても20代に入ってからのことだからだいぶ大袈裟なのだけれど、トリュフォーもゴダールもリヴェットもルイ・マルも大好きな監督だが、一番好きなフランス映画をひとつ挙げろと言われたら、やはりジャック・タチの『ぼくの伯父さん』がわたしの原点のように思う。
ジャック・タチ(Jacques Tati)は本名をジャック・タチシェフと言い、もとはロシアの貴族の出身である。パリ郊外に裕福な額縁職人の家に生まれたが、若い頃から父親の見習いをするもひそかに額縁職人以外の道を探していたようだ。兵役についたことが人間観察のきっかけとなり、またラグビーの選手でもあったタチは(やたらと体格も良い)、手始めにスポーツのパントマイムを仲間内で披露したところ、受けが良かったので本格的に舞台役者としてのキャリアを開始した。タチの舞台は人気を博したが、家柄を重んじる父親には勘当される。20代半ばのことであった。父親との確執もあり、タチシェフという独裁的な響きのする名前をタチは自ら切り捨てた。上の画像はABCシアターという劇場で舞台の成功をおさめていた1936年頃のタチ。「伯父さん」姿ではない若き日の貴重な写真である。30歳手前といったところ。
タチは生涯に5本の長編映画を撮っている。そう、たった5本しか撮っていないのだが、タチの作品は現在までに続くコメディ映画の体系の要となっている。タチ自ら演じる「ムッシュー・ユロ」というおとぼけで粋で愛嬌のあるキャラクターをスクリーンに登場させ、そのどれもが軽快な楽しさと夏休みの終わりを思わせるいくばくかの寂しさが入り混じった思い出のように、いつまでも記憶に残る素晴らしい映画なのだ。
タチは生涯に5本の長編映画を撮っている。そう、たった5本しか撮っていないのだが、タチの作品は現在までに続くコメディ映画の体系の要となっている。タチ自ら演じる「ムッシュー・ユロ」というおとぼけで粋で愛嬌のあるキャラクターをスクリーンに登場させ、そのどれもが軽快な楽しさと夏休みの終わりを思わせるいくばくかの寂しさが入り混じった思い出のように、いつまでも記憶に残る素晴らしい映画なのだ。
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ぼく(ジェラール)のお父さんはゴムホース会社の社長。郊外の一等地に超豪華でモダンな屋敷に住んでいて、門の開閉から庭の噴水、キッチンにいたるまですべてがオートメーション化されている。けれど、ぼくはこの家を窮屈に感じている。そんなぼくは下町に住む無職のユロ伯父さんと遊ぶのが大好き。しかし自由気ままなユロ伯父さんに対して、ぼくのお母さんはお見合いの世話をしたり、お父さんは就職させようとするのだった...
この『ぼくの伯父さん』の主人公もタチが演じるユロ氏である。この映画には何も大胆な特撮や派手なアクションがあるわけでもない。格別面白いストーリーが展開があるとも言い難い。庶民が住むパリの下町と、対照的な上流階級のモダンなオートメーション化された屋敷を舞台にタチのパントマイムがひたすら繰り広げられる。しかしそれを何ともなくぼんやりと眺めていたら、画面を右往左往するユロ氏の世界にいつのまにか引きずり込まれていたのだった。わたしはチャップリンも大好きなのだけれど、チャップリンが喜劇に風刺を盛り込んだドタバタの定義だとしたら、もちろんタチもそこから派生しているわけだが、チャップリンほどドリフターズ的な笑いにはならない。フランス人に大爆笑はないとどこかで読んだか聞いたことがあったけれど、タチの映画を観てもお腹を抱えて笑うなんていうことはないのである。いつもクスクス、ニヤニヤといった感じなのだ。これを、エスプリ全開というのだろうか。
そして、タチの作品でもっとも重要なのは音響である。サイレント映画さながらの無口なユロ氏に変わって音響がとても重要な役割を担っているのだ。音が主役と言ってもよいのではないかと思われるほど、この映画はさまざまな音に彩られている。下町の舗道を走る馬車、市場の喧噪、女性のヒールの音や魚のオブジェから噴き出る水飛沫、絶妙なタイミングで流れるいかにも小粋なおフランスといった印象のメインテーマなど、独特の世界観と音響の見事な融合。チャップリンにも音楽の才能があったように、タチの音楽センスにも目を見張るものがあるように思う。
さて、チャップリンのパスティーシュともいえるタチの作品群のなかでも、この映画は『モダン・タイムス』を意識して製作されたのは明白である。チャップリンほど風刺的ではないが、ユロ氏の住むアナログアパートのささやかな暮らしぶりに見る人情深さ、郊外の一等地にある妹夫婦のオートメーション屋敷で繰り返される不可解な言動、どちらが人間らしく本当に充実しているのかということを「笑い」というオブラートに包みながら上品かつ辛辣に描き出しているのではないか。しかしそんな難しいことなどは考えずに、タチの映画はいつも夏休みの気分で、のんびりと寝転びながら観るのが一番似合うような気がする。
この映画のなかでもっともわたしが好きなエピソードはユロ氏のアパートの下階に住む年頃の少女とのやりとりである。最後のほうのシーンではすっかり洒落て大人びた雰囲気になった彼女に、一抹の寂しさを感じずにはいられないのである。
ぼくの伯父さん
製作年:1958年 製作国:フランス=イタリア 時間:120分
原題:Mon Oncle
監督:ジャック・タチ
脚本:ジャック・タチ
出演:ジャック・タチ
シェアされた動画のひとコマを見ただけでも、それとわかる豊かなユーモアとお洒落心が素敵です。
返信削除いたずらっ子世に羽ばたく。
ぐっどさんこんばんは。子どもの姿を素のまま、上手に撮れる監督はやはりやさしい作品が多いと感じます。このあと子どもたちがお菓子を食べるシーンが続くのですが、お菓子をほおばる嬉しそうな顔だけでもほのぼのとしていて優しい気持ちになれます。
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