2012-01-08

デヴィッド・ボウイ

今日はおそらくまともな内容が書けないだろうということを最初に断っておく。1982年生まれの自分にとって、83年における活動とその来日時にボウイが日本人に与えたイメージと後の影響力を考えれば、83年のボウイ・フィーバー(ものすごい陳腐な言い方で申し訳なく思う)を経験していない自分には彼についてなにかを書くなど、その資格はほとんど持ち合わせていないと自覚しているので、それでも好きなアーティストという枠には収まらないボウイのことをどのように書いてよいのか非常に迷っている。


正直なところ、私はボウイについてそれほど多くのことを知っているわけではない。いくら大好きだとはいえたったの十年弱にすぎないのであるから、語るといってもせいぜいお気に入りのアルバムについて一言か二言書ける程度だろう。2004年の、美しさ衰えぬ50代のボウイを拝見することもかなわなかった。


と、言い訳じみた話ばかりしていても仕方がないので、こんなちっぽけな場所でああだこうだと嘆いている今も、ボウイが音楽界にもたらした革新的な偉業は消えることはなく、いつのボウイも美しいという事実に勝るものはないのだから、個人的な想いをいくつか綴ることにしたいと思う。


好きな映画、好きな音楽、好きな芸術家、その他諸々の好きなもの。私の場合、それらすべてが文学から始まっていると言える。そしてボウイを知るきっかけとなったのも文学からであった。それは20歳ぐらいの頃に阿部和重という映画学校出身の面白い純文学作家を知ってからであるが、寡作で知られる彼の小説なかに『プラスティック・ソウル』という名のついたものがあったからである。これについては阿部和重本人が、白人がやるソウル・ミュージックだと揶揄されていたボウイからとったのだとインタビューで答えており、そのことが私の興味をボウイに向かわせたのであった。(阿部和重についても後々書くことになるだろう)


また初心者のようなことを書いて申し訳ないのだが、ボウイといえばアルバムごとにサウンドとそれに付随するような形で容姿を変化させ続けきたことがまず一番に言われる。そしてボウイのファンは一番好きなアルバムを選ぶという過酷な選択を強いられるのであるが、一番好きなアルバムは...などと言っているようでは、まだまだボウイの音楽を十分に聴き込めていないのだとも痛感している。どのアルバムを一番に挙げるかによってその人の性格まで透けて見えるようだと言う人もいるけれど、どのアルバムもその時代その当時のボウイの精一杯の意識を体現した作品なので私はあまりそのように考えることはない。けれど、やはり一番好きなボウイのアルバムについて、ブログなどに書かれている文章を読むのは相手がどこの誰か知らなくとも楽しい。





そして今の私は絶対に『LOW』である。このアルバムは私が勝手に別名「穴」と名付けているアルバムでもある。なぜなら、一曲目の『Speed of Life』を聴くといつも不思議の国のアリスのごとく、穴に落ちていくような感覚をおぼえるからである。一曲ごとに場面が変わる。ホテルの一室、遊園地、サーカス小屋、宇宙、暗く凍てついたワルシャワの街路、このイメージはそのときどきによって変化するが、ボウイのアルバムのなかでは多彩なサウンドのみならずもっとも視覚野を刺激する作品なのである。そして最後には眠りに落ちるようなアルバムである。実際に私はこのアルバムをかけて眠ることが多い。


ところで私の記憶では、80年代に日曜のお昼に生放送されていたたけしのスーパージョッキーのオープニングに『Speed of Life』が使用されていたような気がしていたのだけれど、検索をかけてもそのような内容はヒットしないので、一体どこではじめてこの曲を聴いたのかいっこうに謎が解けないでいる。






さて、最後になるが、上の写真はおそらくマニッシュ・ボーイズという名前のモッズバンドに在籍して活動していた、まだ10代の頃のボウイである。特別めずらしい写真ではないが、私はベッドの脇のコルクボードにこの画像を引き伸して印刷したものを貼っている。その隣には『二十歳の恋』に出演したときのジャン=ピエール・レオーの写真がある。私のすきなものである。

ボウイは私のアイドルに違いないが、とても不思議な存在だ。彼の顔、佇まいはそれがどんなに退廃的な時期であってもひじょうに美しいが、同時にグロテスクであり、胡散臭さすらおぼえる時があるからである。美と醜が共存しているような人なのである。

私は以前、ギリシャ神話を読みながら、登場する神々に性格や特徴の似たロック・スターを当てはめて読み耽っていたことがあったが、ボウイはどちらかというと神の側ではなく人間の側に近い人物なのだった。多くの誘惑に負けては過ちを認めて立ち上がり、さらに負けては再起するを繰り返すような、ひじょうに人間臭い人物のように私にはうつるのである。そしてやがて神としてむかえられるような、そのような人間だと思うのだ。

今日はボウイ65歳の誕生日である。

4 件のコメント :

  1. デヴィット・ボウイ確かオッド・アイの持ち主なんだよね〜かっこいい!

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  2. RYUさん
    そうです!
    そのような受難も宿命であったかのように思えるのがスターたるボウイのすごいところでもあります。かっこいいよね、ほんとに!

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  3. 初めまして。
    ゴダールとアンナカリーナで探していたら、こちらに辿り着きました。

    ボウイ。。。私も多くは知りませんが、映画があってボウイがあるなら、避けて通れない2つの事。

    『地球に堕ちてきた男』と、レオスカラックスの『汚れた血』。。。。
    前者は、『太陽がいっぱい』のアランドロンの如く、なんとも美しいボウイの主演映画です。
    後者はボウイの歌、『モダンラヴ』にのって駆けるドニラヴァンがあまりにもかっこいい名シーンがございますね!

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    1. masayuki kunimoto様、はじめまして。
      掲載が遅れてしまいまして申し訳ございません。

      ボウイは音楽だけにとどまらずさまざまな方面に多大な影響を与えておられますね。
      役者としてのボウイもなかなか素敵だと思います。
      私はミーハーなので、あの美しいお姿を見られるだけで満足してしまう部分もあるのですが。
      『地球に墜ちて来た男』なんて、内容はさておき、まさにそんな状態で観てしまいます。

      コメント、ありがとうございます!

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